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57話「アリア・レコード」





 黒と白。対極なる二筋の閃光。

 かつての教え子と師だった二人が激しくぶつかり合う。
 一人は生きる為に、一人は神になる為に。


◆◇◆◇◆


 一言で表すなら最悪だった。卓上のボードゲームを、卓ごとひっくり返されたのだから。

 それでも尚諦めない。彼女の目的は一つ。
「全部私が殺してやる!」
「お前は相変わらずおっかねえな!」
 声の主はアーサーだった。アルモニカを見つけ、彼女の元まで来たのだ。
「仕方ないでしょ!結界の中に入りたいんだから!」
「ああそれは確かに、目星の付かない敵を探し当てるのは至難の業だな……」
 全てを片付けることなどおおよそ不可能なことなのだが、アルモニカの表情はそれをやる気だった。それを見たアーサーは些か戦慄したものの、同時に心強いとも思った。
「グレイヤーさんの武器を使えば一掃もできるかも知らねえけど、あの人は今……」
「私が今何ですか」
 翼の生えたレイに抱えられて登場したのは、狐の顔を描いた布を、顔に下げた男だった。レイは彼を送り届けると他の場所へ応戦に向かった。
「グレイヤー隊長」
 彼は地面に降り立つと、アルモニカを指差した。
「あなたの持っているそれを使って結界を無効化します」
 何のことかと言わんばかりに全員がアルモニカを見たが、驚いているのは彼女自身も同じだった。何のことか気付いたアルモニカは、左手に握っていた白い石を開いて見せた。
「それは、この世界の法則を破る石。という可能性に掛けましょう」
 グレイヤーの口から発せられる、珍しく不透明な策に驚きながらも、アルモニカは石を光の壁に押し当てる。
「駄目!」
「ええ!?」
「やはり駄目か」
「でも、待って……」
 アルモニカは、壁に手と耳を付けて囁いた。
「聞こえる」
 その言葉に、グレイヤーはピクリと反応した。アルモニカは振り返り声を張り上げる。
「私、いけるかもしれない!」
「いけるって、どうやって――」
 耳を劈く咆哮。その時、地面が揺れて裂け目ができたかと思うと、大型の悪魔が姿を現した。蔦のような腕を無数に持ちうねらせる悪魔は、強者が密集した中心部に視点を合わせ、ゆっくりと近付いてきた。緊迫した状況で、彼らはそれぞれ武器を展開させる。
「タイミングが悪い時に!」
「おいアル!お前はこっちを気にしなくていい!」
「アーサー!」
「多分、お前にしかできない!だから早く!」
 アルモニカは頷き雅京を解除すると、結界の縁に戻った。
「なあアル!……いや、なんでもない」
 生きて帰られるか分からないなんて、もし駄目だったらだなんて、そんなことを――
「何言ってるの!」
 振り向くと、アルモニカが手を伸ばしていた。
「アーサー!私、絶対に帰ってくるよ!だから、よろしく!」
 何も話していないが、彼には分かる。親友は信頼できる。アーサーは、自然と顔が綻んだ。
「任せろ!」
 空中で拳を突き合わせた。
 そうは言っても状況は変わらない。
「アーサー・エルフォード。やることは分かっていますね?あの悪魔や他の敵から、戦闘不能の私と彼女を護りながら、柱を破壊するのです。私には柱が分かります。視界を捨てることで、感覚が冴え渡っています。なるべく早く、結界を解く。可能でしょう」
「あ、ああ……?」
 無謀な話ではないか。
「まああなた如きでは無理でしょうね」
「ッ!否定出来ねえ!」
「あなた、一人なら」
「……!」
 瓦礫を駆け上がって来たのは、アーサーもよく知る人物だった。足音で誰か気付いたグレイヤーは彼を隣に来させると、遠くを指さした。
「クロウ、見えますね?」
 ベルガモットは頷いた。
「私の指示に従って、柱を破壊しなさい」
「お前の言いなりになるのは気に入らないが、仕方ない」
「口より手を動かしなさい」
「口は動かしていない」
 照準合わせ繰り出す弾丸は、人垣を越え飛行する敵影を避け、目標を激しく燃え上がらせる。
「お見事」
「うるさいな」
「左から下級悪魔が接近していますよ」
「うるさいな、見えてる」
 同時に左方に発砲した。
(ベルガモット隊長、口が悪いんだな……)
 状況に似合わないことを考えながらも、アーサーは武器を構える。
 深く吐いた息は白く、襟元は霜を下ろした。

 阿鼻叫喚の戦場にこだまする武器使い達の歌が、仲間を勇気付け鼓舞する。
「凍てつかせ、コールブラント!」
「喚け、ゲオルグ=サイデリケ」
「震えろザバルディ!」
「踊れフレデーリャ!」
「解き放て、アレン。逆巻き狂え、アレス!」
「我と一体となれヴィクトリアーラ!――我が前にひれ伏せ、グラヴィディア!」

 終わりの見えない戦いにも終わりと救いが来ると信じ、彼らは武器を奮った。

 戦え。生き残れ。守り抜け。

 彼らにできることの唯一を、そして、全てをここに捧げて。


◆◇◆◇◆


【結界の中】

 圧倒的な力量差。見慣れた、けれど攻略しきれない槍の攻撃に翻弄される。
 服を裂きながらも避け、剣で受け流し、隙をついて斬り掛かる。汗が伝い息が切れる。
「あなたはこうやって、以前も僕とわざと戦った!あの団長室の亡霊も先生でしょう!」
 僅かに微笑んだのは肯定だろうか。
「亡霊か。まさに私のことだ。消え損ね未だこの世界に留まっているのだ、私は」
 両者の戦いは終わらない。そういうと互角かと思えるが全く違う。片方が手を抜いているのだ。まるで、稽古でも付けているように。
「あなたは何故回りくどいことをして僕に殺させる?!僕には分からない!」
「結構だ。君は何も知らない子供のまま、私の言う通りにしていればいいのだから」
 そうはいかない。分かっている。こんな戦い意味が無いと分かっている。しかしアンリには何もできなかった。自分の身を守る為に、戦うことしかできなかった。歯痒さに痺れを切らし、アンリは距離を取り、大技を出す体勢に入った。その心積を察知したサズは、嬉しそうに口角を上げ、槍を構え直した。
「来るか、見せてみろ。お前の全力とやらを」
 アンリが黒い剣を構えると、その剣から、その手から、背後から、足元を伝い溶けた黒が左右に伸び円状に溜まり始める。
「三千黒箭!」
 声と共にティテラニヴァーチェを薙ぐと、剣から、足元から、黒の溜まりから、真っ直ぐサズを目がけ無数の矢が飛び出した。真っ白な衣は黒に呑み込まれたかけたと思ったその時、「雷装!」と地を響かせるような声と共に、高い天井から一筋の閃光が走った。一瞬煌めいた光と熱で黒は蒸発し、その中心には、静電気を帯び僅かな光を纏ったサズの姿があった。彼の背後には光輪のようなものが見え、彼の持つ武器ティターニャの効果であることが見て取れた。
「この程度か?」
 彼は無傷だった。対してアンリは三千黒箭を放ったことにより更に消耗していた。伝う冷や汗を拭う。
「もしかして、殺されないとでも思っているのか?」
 繰り出された突きを瞬時に避ける。だが、僅かに避け損ねた直後、小指の感覚が無くなった。
「な、」
 今の彼の攻撃は、触れた者を麻痺させ感覚を奪う。
「生きた屍となった君を、レコードに運ぶことだってできるんだぞ。私は、私を殺して見せろと一つの可能性を提示しただけだ。だが、そうはいかないようだな……」
 片膝をついたアンリに、サズはゆっくりと近づいて行く。
「僕をレコードに連れて行って、どうするんですか」
「レコードを完成させる。そして、私の悲願を達成させるのだ。意のままに、この世界を操るのだ」
「馬鹿げてる」
 ふと、アンリに一つの思いが浮かぶ。まさかと顔を上げると、彼には分かっているようだった。
「……その前に、外にいる武器使いには全て死んでもらう。お前に好意を持っている存在も全てだ。邪魔にしかならないからな」
 殺され、大切な大勢を全て自分のせいで失い、そんな男に世界を操られる。そんな最悪のシナリオだけは避けなければならない。どうすればいいのか分からない。けれど、生き残れば他の選択肢が生まれる。この男を止めることができれば、できればの話であるが。
 感覚を失いかけた左腕を地面につき、何とか立ち上がる。
 こんな所で終わる訳にはいかない。血で汚れた頬を拭う。閉じた瞼を大きく開き、緑の瞳を煌々と輝かせた。
「僕に、生まれ落ちた意味なんて無かった。それを与えてくれた全てを、僕は、失うわけにはいかない!あなたには渡さない!」
「ならばその意志を見せてくれ!できればの話だがな!」
 激しくぶつかった刃、直後、アンリの視界がぱっと白くなり、キラキラと光り輝いた。
――聞こえる?私は側に居るから……
「……!」
「どうした?気でも迷ったか?」
 第一波を受け流した直後だったようだ。再び繰り出された第二波。刃がぶつかった瞬間、走馬灯のように声と映像が駆け抜けた。

『お前みたいに気味が悪いの、あたしの子供じゃない』
 痩せこけた両手首を台に括りつけた、黒髪の女の首が落ちた。

『赤い目なんて縁起が悪いわ。それにこの前、また変なことを言っていたのよ』
 水場に響くようなくぐもった声。水滴に映し出されたような映像が次々と移り変わっていく。
『図書館には近寄らない方がいいぜ。亡霊が、よく出るから』
『俺は、誰とも違う。この世の誰とも分かり合えない』
 孤独な少年がそこにはいた。
……


「俺の記憶を覗くな!」
 サズは酷く俯き頭を抱えていた。今までの戦闘では見たことが無いくらい、呼吸を乱し狼狽していた。
 今のは確かに彼の過去だった。
 完璧に見えた『賢者』の皮を剥がした。それを可能にしたのは彼女のお陰だった。
「は、花守か……。餌にするんじゃなく、先に始末しておけば良かった」
 アンリの隣にはアルモニカがいた。
「ありがとう、アルさん!」
「今のうちに!」
 アンリは武器を構える。アルモニカは彼の背中に両手を当てた。
「大丈夫。あなたは一人じゃない!」
 何かが流れ込んで来て、全てが一体となる感覚がした。ティテラニヴァーチェを展開させる。

{私はティテラニヴァーチェ。あなたに力を貸してあげるわ。持つもの全て}

 救え多くのものを。絡めとれ全てを。浄から不浄から、善から悪まで全て。数多なる事象を、幾千にもなる歴史を。その手で。

「八方羂索、不空救世三千黒箭!(フクウグゼサンゼンコクセン)」

 背後から溢れ出した黒は、数多の腕となり、武器となり、黒い矢がサズに降り注ぐ。同時に白い腕が何本も伸び、その腕から放たれた白い光が結界の天井を突き破った。


 不老不死の体と言えど、回復には時間が掛かる。白と黒の矢が刺さり、ボロボロになったかつての師を前にして、アンリは小さく問いかけた。
「先生、あなたは何の為に僕を生かしたんですか」
 サズは、ゆっくりと瞳だけを動かしアンリを見た。
「神話だ……俺は、神を作るのだ……」
 直後彼は吐血した。あまり話せないのかもしれない。
 手にまだアルモニカの温かみを感じ、アンリはそっとサズに触れた。





 男は、自分の存在に常に疑問を抱いて生きてきた。そして、この世の法則に違和感を覚えていた。
 彼の人間離れした力、彼の見た目、俗世離れした彼の言動。そのせいで、彼は周りから酷い扱いを受けていた。
 けれど彼は、この世界で唯一一人、この世界の不完全さに気付いていただけだった。


 神になりたい。男はいつしかそればかり考えていた。
 長すぎる時は、彼の興味を削ぎ、生きる目的を失わさせる。けれどある時、二人の男の私利私欲のまま利用された存在を見て、男は思い出した。本来の目的を。そして、今しかできないことの重要さに気付いてしまった。その存在に偶然出会わなければ、彼は本来の目的を思い出さなかっただろう。

「神になってまで、やりたかったことは何ですか」
 サズは少し考えたのち、うわ言のように語りかけた。
「お前は、不幸か?」
「……?」
 アンリには聞き覚えがあった。遠い昔、彼が呟いていた。
「何故不幸なんだ?考えたことはないか。本当の神がいたら、俺たちは不幸になんかならないだろう……」
 苦しみも、悲しみも、何かが原因でもたらされる。アンリは様々な人間に利用され、理不尽な世界に振り回されてきた。誰か一人が悪ければ、それが良かったのに。彼の師が全ての元凶なら、それが良かったのに。悲しそうに歪む紅の深さが、答えを何となく教えてくれる気がした。
「先生は、敵じゃない」
 それでも、彼のした事は許せない。彼の行動は不可解だ。
「あなたの考えていることは、僕には分からない。……それでも、あなたは僕の父親のような存在です」
「それは、独りよがりな勘違いだ。俺はお前のことを道具としてしか見ていない。……お前は優しいから、周りの人間も優しいと思い込みがちだが、現実はそうでもない。疑うことを、もっと教えてやれば良かったな。ああでもそうしたら、俺からも離れてしまうか……」
 似つかわしくないその表情は、彼が昔から時折見せる、柔らかな表情だった。
「しっかりと、覚えておけ。情が湧こうが沸かまいが、善は善で、悪は悪だ。悪は、しっかりと裁け。世界の為に。それが、俺がお前に、最後に教えられることだ」
 長い時を生きた賢者。そんな彼も、一人の少年の前では当時のまま、先生だった。
「お前の先生である男の願いは、お前が自由に生きることだ。過去にも縛られず、俺にも縛られず」
 アンリは喉の奥から声を絞り出す。
「無理です」
 サズは首を横に振った。
「選択しろ、何もかも、お前の意思で」

「僕は、先生を……」

(それは、大魔術師の光の弓矢。

永遠の魂の呪縛さえなければ、またどこかで、一つになれるだろう……ようやく、俺は還れるんだ……)




◆◇◆◇◆


【結界の外】

 アルモニカとグレイヤーを守っていた武器使い達は疲弊し、ベルガモットでさえ息を切らしていた。けれど、どこからか飛び出した無数の矢が敵影を撃ち抜き、かなり数は減っていた。

「これで最後ですクロウ!へばってないでやりなさい!」


 結界が解け、真っ先に飛び込んだのはアルモニカだった。
 だが、結界の中には誰も居なかった。アルモニカの横を、他の隊員達が次々と通り過ぎ、結界の中心部へと集まって行った。
 アルモニカはしばらく呆然としていたが、はたと花の場所に気付き一人駆け出した。


◆◇◆◇◆


【???】

 白衣の人物が二人。二人だけというのにアラーム音が騒がしく、薄暗い部屋は赤く点滅している。白衣の二人は慌しく叫んでいた。

「海水が流入しています!耐衝撃値を超えているのが原因かと!」
「ほらねやっぱり!アリアさんは大馬鹿者だ!計算もまともにできないのか!」
「もう終わりです!早く離脱しないと我々も危険です!」
「あーちょっと待ってセト君ちょっとだけ待ってそれか先に行ってて」
 ガスマスクを着け始めた男を見て、セトと呼ばれた白衣は驚いた顔をしていた。彼がこんな無益な選択をするのは珍しいからである。
「……待ちますよ。ギリギリまで」
「三分でいい」
 そう言うと男は白衣を脱ぎ捨て、部屋から飛び出して行った。


◆◇◆◇◆


 走る、走る。その脚がちぎれそうになるまで。熱を持った体が汗を流して、受ける風で表皮を冷やす。
 薄暗い屋内を、奥へ奥へと進んでいく。
 赤いランプが点滅し、照明は落ち、辺りはよく見えない。だが身の安全を顧みるよりも早く立ち入り禁止のフェンスを乗り越える。止まっていられない。
 やがて大きな空間に出た。手すりのある手前までは赤いランプで状況が見えるものの、その向こうは完全な闇になっていた。けれど、その向こうにいるとアルモニカには分かっていた。彼女はそこから飛び降りた。



 寄せては返す波。
 どうやら落ちた際当たりどころが悪く、気絶していたようだ。濡れた体を起こす。すると、少し離れたところで、浅瀬に横たわっている人物を見つけた。
「アンリ!」
 駆け寄り触れると、彼はゆっくりと身を起こした。
「来てくれたんですね」
「……うん」

 二人共真っ白な服を着て、素足だった。海は、波があるから海だと思ったけれど、水中には色とりどりの花が咲いていて、もしかしたら海なんかじゃなかったのかもしれない、そんなことをアルモニカは考えた。極彩色の海面は深く青い空を反射して、とても綺麗だった。再会した時に見た花畑のように綺麗だと彼女は思った。
 手を握り、二人は水の中を歩いた。
 色とりどりの花を素足で踏むと、パッと極彩色の小魚になり散っていく。足の裏の感覚はあまり無かった。
「アンリってさ、すごく、自分勝手だよ」
「……嫌いですか?」
「……うん」
 アンリは寂しそうな顔をした。アルモニカは立ち止まり、手を引いた。アンリが振り返ると、アルモニカは泣きそうだった。
「行って欲しくないよ」
「……」
「でも、でも駄目なんでしょう?」
 アンリはアルモニカを抱き締めた。声は落ち着いていた。
「あなたに最後に出会えて良かった。すごく落ち着くんです。怖さも、不安な気持ちも、無くなってしまう」
 違う。
「いつか、またいつか、あなたに出会いたい」
「嘘だ」
 そんな言葉、アルモニカは聞きたくなかった。
 アンリはそっとアルモニカから体を離した。アルモニカは両手を握る。
「本当は、アンリと一緒に行きたい」
 アンリは困った顔をした。
「分かってる。分かってるんだよ。……じゃあね」
 二人は手を離した。名残惜しそうに伸ばした指先を合わせながら。

 彼は一人、深い海の向こうへと、歩を進める。
「、でも!」
 声を上げても、聴こえない。
「違うの!」
 手を伸ばしても、もう届かない。
「我儘で、自分勝手で、何処にもいかないって約束、破ってばっかり!」
 傾いた西陽を背にして、彼が何かを口にした。
「分かんない!」
 聞こえない。
 波の音がうるさくて、何も聞こえない。
「そんなところも、好きなのに……」


 真っ暗で、騒がしい。
 冷たくて、寂しい。
 最後に感じた熱も、海の中。


57


「さよならは済みましたか?――ようこそ、アリアレコードへ」














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