22話「血の武器」





 エクソシスト。その職業を名乗るのは、教団に認められた魔魂武器使いのみ。教団に身を捧げた者のみ。
 しかしごくたまに存在する。“本物の”悪魔を祓うと宣言するエクソシストが。いいや、腕の立つ詐欺師が。

 今回のアンリとチトセに課せられた任務は、不当に大金を巻き上げているマジシャンエクソシスト(俗称:手品師)を締めあげることだった。アンリとチトセは手品師の一人の男の持つ特殊な能力に苦戦しながらも、彼らを見事吊るし上げることに成功したのである。
 まず尋問をするかと思いきや、チトセは先に遅めの夕食をとることを独断で決めた。
 かくして、近くの町の宿で手品師の二人組は、新手の拷問を受けることとなった。

 運が良いのか悪いのか。大食漢が二人揃ったこのパーティの食事は何とも豪勢であった。
 テーブルに並べられたのは全てチトセが取った出前である。それらがテーブルいっぱいに載せられていた。空腹のフィルターが掛かっているだけではないだろうが、アンリにはどれもとても美味しそうに見えて仕方がなかった。
 この国に来てすぐに習った箸なるものを構え、その香しい匂いに思わずおずおずとチトセを見遣った。
「こんなに沢山……食べていいん、ですか……?」
「いいに決まってるじゃん。全部経費から落ちるんだし?好きなだけ食べようよ」
 挨拶を済ませ、一番近くに並んていた肉団子に箸を伸ばす。とろっとした餡の掛かったそれを口に入れたアンリの動きが止まる。一瞬不審に感じたチトセだったが、みるみる解ける彼の表情を見て、これが良いという表情だと知る。
「……!!んん……こんな美味しいの食べたことないれふ」
「君向こうでどんだけ粗末な飯食わされてたの……」
「きっと食文化の違いが」
 適当なことを返しつつ咀嚼するアンリをチトセは憐れな目で見たが気にせず、アンリは次へ次へと箸を伸ばし、美味しそうに飯を食べていた。アンリ君はご飯食べてる時機嫌いいよねと言いながら、チトセもまた楽しそうに食べ始めた。
 しかし、この部屋には飯を食べることが出来ない者が二人存在していた。先ほど捕まえられた手品師の二人が。

「食前の空腹を狙って飯で釣るとは……くっ卑怯な……じゅる」
 手品師の一人、灰色の髪の男がそう零す。
 壁際。もともと狭い部屋だ、ロープで縛られた二人が座る位置とテーブルはそこそこに近かった。見ないようにしていても、その香しい香りも、齧り喰らう音も、はっきりと感じていた。
「あぁ〜……」
 隣の少年が、喉の奥から鳴くようなか細い声を上げる。しかし隣の青年はぐっとこらえる。しかしだ、どうやら相当彼に甘いようだ。
「だが俺は負けんぞ……」
「こんなの我慢出来ないよハヴェル……」
「そうだな。あのー、俺話します」
 相棒の少年が音を上げた途端切り替わった男であったが、エクソシストの二人は冷酷であった。
「話すんですってチャンさん」
 チトセを見やったアンリだが、チトセはえーと唇を尖らせた。
「えー?もうちょっと待ってよ。あと俺のことはチトセでいいからさあ」
「え、あ、はい」
「ねえそのタレ取って」
「はい」
 チトセのペースに乗せられて、アンリは彼の言うがまま。「お酒も美味しいねー」なんてチトセは言っており、「ちょっと聞いて?」という男の声も届かなかった。


 食事の後、ハヴェルと名乗った男が右腕を差し出し、袖をまくって手首の内側を見せた。
「これだ」
 そこにはなにやら青い鉱石のようなものが埋まっていた。
 腕を組んだまま興味深そうにそれをまじまじと見つめるチトセに対して、アンリは若干の拒否感を覚えた。
「で、これがどうしたっての?」
 チトセの問いかけに対し男はしっかりとした調子で話し始めた。
「これはとある悪魔に埋め込んでもらった。ここに」

 彼の話によると、昔、その辺りをシマとしていた角の生えた悪魔に拾われ力を与えられた。その悪魔については彼もよく知らないらしいが、乱暴かことを好まない上、人間に手を貸すなど少々変わった面を持つ悪魔であるそう。その悪魔に言われたこともあってこうしてマジシャンエクソシストとして活動しているというわけだ。
「だとすると、君は魔女だよ。しかもただの魔女じゃない。その発言によって自らの罪が重くなるだなんて思わなかったの?」
 悪戯っぽく言ったチトセにハヴェルと名乗った男は平然と返した。
「まさか。何かを隠したところで意味が無いと悟ったんだ。それから、まだ気付かないのか?」
 はっとアンリが立ち上がる。
「あなたは武器使いじゃない、だから――」
「そう」
 杖はフェイク。彼を拘束し杖を隔離していたって全く意味が無い。気付いた時にはもう遅い。
 ハヴェルの足を縛っていた縄がパラパラと解け、彼は隣の相棒を抱えて窓から飛び出し闇夜に消えた。
 追いかけようとしたアンリが違和感を感じ振り返ると、チトセが足首を掴んでいた。何故、と言いたげなアンリを落ち着かせ、彼はふふんと笑った。
「あいつらは泳がしときゃいいよ。武器使いじゃないなら尚更。彼らはトクマ(特別指定魔女)の判が押されることがほぼ決定だろうし、それですぐ捕まると思うしね」
 チトセは懐から紙のようなものを取り出しつつ続けた。
「でも言ってたでしょ、このあたりで強い力を持った悪魔がいて、そいつがラスボスだって」
「えらく噛み砕きますね」
「分かりやすい方がいいでしょ」
「まあ……」
「……ここいらの悪魔にも組織体がちゃんとあって派閥らしきものもあるってことが分かった。そいつは最近増えてる悪魔の根源かもしれないんだよ。倒しちゃえば万事解決って訳」
 そう言い手にしていた白い紙を窓から飛ばした。ひらりと舞った紙片は宙で赤く燃え上がって消える。アンリが不思議そうに尋ねた。
「あれは?」
「連絡用の式神。うちには特殊なシャーマンがいてね。……北支部で言うと伝書鴉、本部でいうと?」
「普通に通信器しか使ってなかったですね。初めて見ました」
「西の方は暗黒点が少ないからなのかもしれないね。通信器がよく使えるならそっちの方が便利だもんね。――まあとにかく今は向こうからの指示待ち。そのまま追いかけろか一旦帰ってこいか、ね」

 アンリがこちらに呼ばれた理由、それはグレイヤーいわく彼の先生についての情報を聞き出すことだった。しかしそれができないと分かった今、建前であった「東方の悪魔勢力の増大に際しての戦力の分配」が本当の理由として存在している。そして、この問題が解決すると恐らく彼は本部に戻されるのであろう。条件としては簡単に思えたが、アンリにはそれがそうとは思えなかった。なにか、一筋縄では行かないそんな気が。

 考え込むアンリに窓を閉めていたチトセが不意に声を掛けた。
「そう言えばさアンリ君。俺、少し前から君に確認したいことがあったんだ」
「え、はい。……?」
 アンリが顔を上げると、チトセは窓に背を向けカーテンをさっと後ろ手に閉め、なにか含みのある笑みを浮かべていた。
「邪魔者もいなくなったし。ね」
「?」
 怪訝な顔をするアンリ。不審な空気を感じながら、無意識のうちに後ずさりした。
 そしてこの後、アンリは予想だにしなかった体験をすることとなる。

             ◆◇◆◇◆

 東方のエクソシスト隊、四番隊の隊長であるニルス・グレイヤーは、朝に尋問していたあの胡散臭い魔女から興味深い話を聞いた。
 本人は魔女と呼べるほどの力も無く大した活動も行っておらず、畢竟山篭りしている道士と言った感じであったが、彼女が持つ札は特別な力を持っていた。彼女はそれを「角の生えた悪魔に貰った」と言うのである。
 彼女の言ったその悪魔と出会った場所を割り出し、周辺を一人で調査していたところ、別件で派遣していた部下の二人が案外近くにいることを知った。そして彼は急いで山を降り、近くの少し大きな街まで来たのである。

 部屋を尋ねて階段を登る。しかし部屋を確認しいざ入ろうとした時である。戸の向こうから、何やら尋常ではない雰囲気を感じた。
 感じたのは直感とかそういうものではない。聞こえてきたのである。彼はさっと息を殺し聞き耳を立てた。扉越しに聞こえたのは、部下達の声だった。

「ねえ、ちょっと大人しくしない?」
「そんなの、今からされることが分かっててできるわけないじゃないですか」
「強情だねえ」
「嫌ですっ、や、っ、嫌だと」
「はいはい抵抗できるなんて思わない。俺の方が力は強いんだからね……」
「くっ本当だ強い……。って、あっ嫌だっ痛いやめてください!ダメですって、そんなことしたら!……」
「暴れないで。これもう手遅れになる。暴れた方が痛いよ」
「う、…………ひ、どい……っ……」
「あれっ泣いてる?」
「な、わけないじゃないですか。嫌い。チトセさんなんて、嫌い。……です」
「えー……嫌われちゃったよ」

(な、一体向こうで何が……!)
 グレイヤーは困惑した。普段の雰囲気に似合わず彼はおろおろと狼狽し、どうするべきか迷っていた。
 もだもだしている間も壁の向こうからはまだ何やら会話が聞こえてくる。しかしグレイヤーは腹を括り、まずひとこと目を決めてからドアノブに手をかけ、一気に押し入った。

「はいこんばんは!!!!!……あっ」
「お?あれ、たいちょーじゃないですか。どうしたんですか」
 拍子抜けするほど、間の抜けた声。
 どんな光景が広がっているのかと思えば、一概に安堵できるものではなかった。
 右腕から血を流しぐったりしているアンリ。グレイヤーを見てさっと顔を逸らしたが、目にうっすらと涙を溜めていた。と、その腕を掴んでいるチトセ。彼は己の上司を見て陽気に笑っていた。
「……いえ、ごゆっくり」
「え?!ちょっとグレイヤーさん!グレイヤーさん助けてください!!」
 逃げようとしたグレイヤーにアンリが泣きつく。確かに可哀想である。渋々彼は部屋に入った。
「……何してたんですか」
「武器が埋まってるから抜いてあげようとしてるのに嫌がるんですよお」
 恐ろしいことをへらりと言ってのける部下。
「そりゃあだめですよ」
「え」
 グレイヤーはゆっくりと近付く。びくりとアンリが身構えた。
「血まみれじゃないですかよく見なさい。それにもうそれはその状態で定着していますから、無理なことをしない方がいい。あなたの時とはまた違います」
「ほー」
「痛み損……」
 グレイヤーは彼に近付き、腕を掴み上げる。
 何をされるのかと一瞬顔を強張らせたアンリだが、グレイヤーの行動と起こした出来事に目を見開いた。
 掴んだ左手とは逆の空いた手で、己の武器に触れる。その直後、じわりと空間に染み出すように飛び出した、小さな無数の黒い蝙蝠達は、無言で召喚された彼の武器の一部。それらは大群で押し寄せアンリの傷口の血を舐め取り、床やチトセに付いた赤をも綺麗に吸い取っていく。やがてその黒が彼の剣に戻ったのも束の間、今度は腰のポーチを探り、何か液体のようなものを取り出しそれを掛けて右手を翳す。
「……!」
 傷口に翳した手から、何か光が漏れた……訳ではないが、そう錯覚する程、アンリの傷口の痛みは引き、どこか暖かさを感じる。むずむずとした感覚が過ぎれば、彼は手を外した。なんと綺麗になっていた。傷口も無ければ、武器も無い。
「!?……えっ?」
 動揺を隠せないアンリは自らの腕をくるくると見、そっと皮膚に触れるも、なんの変哲も無い己の腕である。グレイヤーは混乱しているアンリに語りかけた。
「何故武器が貴方の中に侵入したのだと思いますか。それが正しいからなのですよ。その武器はそうやって、血液と同化させて使う物です。魔魂武器は様々な使い方ができますが、正しい使い方をすればそれ相応の強さが得られるはずですよ」
 アンリは信じられないと言ったように、彼の言葉をそのまま反芻する。
「血液と、同化……?」
「ええ。元は液体だったでしょう?」
 そう言えば、とアンリは過去のことを思い出す。先生の武器だったティテラニヴァーチェを持たされていたが、それは液体で瓶に入っていた。
「はあ。それにしても全く」
 グレイヤーは盛大な溜息をつき、アンリの額を二本の指で突いた。アンリはうわっと思わず声を上げて仰け反った。
「そういうことは言いなさい。もう定着していたので違和感も無かったでしょうが、参考までに言ってくれればこうしてルイナーにトラウマを植え付けられることも無かったのですよ」
 チトセがえっトラウマ?とアンリの方をちらりと見ると、彼は反射的に身構えた。
「……恐らく前感じた妙なものというのはこれでしょう。全く、あなただけの問題ではないんですからね。はあ。全く。本隊の隊長の教育はどうなっているのやら」
 そう言い嫌味がましくため息をついた。少ししおれたアンリにチトセは「ははあ怒られちゃったねえ」などと気の抜けた声で言った。

 グレイヤーは咳を一つし、ところで、と話を変えた。
「これからの話です。貴方達が拾ってきた情報ですが、私が既に調査済みです。残念でしたね。作戦はまた隊員揃ったら伝えます。のでまず帰ってきなさい」
 了解ですと各々が返事をする。

 チトセがふうと息を吐いて、あ、と思い出したようにアンリの方を向く。
「というかさ、アンリ君貧弱すぎなんだよ。女の子みたいな筋力だったよ?」
 うっとアンリに言葉の矢が刺さった。すかさずグレイヤーがチトセを咎める。
「それは言い過ぎではありませんか」
「たっ……体質もあるのかもしれません。あまり筋肉付かなくて」
「まあそこまででもないけどさ、大丈夫俺が鍛えてやるからさ」
 ひらひらと手を振りながら、頼りがいのある先輩のようなことを言うチトセ。グレイヤーが一言添える。
「あんまりやっちゃいけませんよ。背が伸びなくなりますから」
「まじすか。えーじゃあ一生アンリくんはちびでひょろひょろなんですね!?違うか、ちびでムキムキか高身長でひょろひょろか……」
「ちょ」
「いいえ。そこそこにするのですよ。全くあなたは極端なことを……」
「ああ!たいちょー頭良い!」
「馬鹿にしていますか」

 二人のやり取りを眺めていたアンリは、二人の信頼関係と距離の近さを感じ取っていた。信頼関係があって、ずっとこの二人はこんな距離感なのだろう。同時に、心の端に物悲しい何かと。だから、急に振られても何のことか分からなかった。
「ねっ!」
「え?」
 はっと気付くとチトセがアンリに同意を求めている。彼の気迫に押されて戸惑いながらもアンリは頷く。
「ほらーアンリ君もこう言ってますよー」
 そう言いアンリの後ろに回り、肩口から顔を出してへらへらと笑う。
「貴方酔っているのですか……」
「酔ってまーす」
 その直後「あ、やばい眠たい」とアンリの背後で聞こえたかと思うと、背中がかなり重たくなった。なんと彼は立ったまま寝るという器用な芸当を成し遂げているものの、体重をアンリに大きく預けている。しかしあっという間に崩れ落ち、アンリが必死に支える形となった。
 大きなため息をついたグレイヤーは、アンリの方に向く。
「この酔っ払いをよろしくお願いします。私は帰りますので」
「えっ!?」
 グレイヤーは出ていく手前で彼に向き直る。
「彼酔うと毎回こんな感じになるんですよ。飲んでから一定時間経ったあと急に。いつも酔ってるみたいですけどね。……飲ませた貴方の責任です。これからは気を付けなさい」
 そうしてグレイヤーはカツカツとブーツの音と共に去っていった。
 理不尽に取り残されたアンリ。とりあえず引き摺るようにチトセをベッドに放り込んだ。両腕の疲労感を感じながら、筋肉のしっかり付いた成人男性は重たい、そんな当たり前のことをぼんやり思い、これからは酒に気を付けようと思った。それにしても、
「こんな時に悪魔でも来たら困りますね」
 ふとそう呟き窓際まで行き外を伺う。お高めのこの宿の三階からの景色は隣の建物の壁などではなく眺めは良かった。そう言えばここはこの国でも大きめの街。まじまじと見たこともない、夜中にも関わらず、屋台や店の灯りの灯る繁華街や、塔のような背の高い建物なども見える。
 悪魔とは本来、人の手が入らない森などに住むもの。だいぶん離れていたが故に、悪魔の気配など感じなかった。
 気のせいだ。そう考えて、彼は窓を閉めた。

 しかしのちに、彼は自身の勘が当たっていたと知ることとなる。

             ◆◇◆◇◆

【???】

 とある森の奥。人の子なら普通は迷い込むこともないであろう深い深い森の中に、古びた小さな社があった。
 太古、そこには神が祀られていたのであろう。しかし人に忘れられて消滅したその神の住まいには、もっと別のものが住んでいた。
 外見こそ朽ちかけた屋根に苔の生えた緑の社だが、その中は意外に綺麗で、また意外に広かった。

「いやあ。よく来たね」
 ぺちん、と扇子を閉じたのは、奥にいたこの社の主。悠々と肘掛に体をあずけた彼は、来訪者に笑いかける。
 彼、彼女とも言い難い。独特な和装を身にまとい、座している。釣り目がちな金の目と、暗がりでも映える長く白の髪。白い肌に尖った耳。そして、額の右側にあるのは竜の様な白い角。辺りには、小さな悪魔たちを侍らせている。
「会えて嬉しいよ。僕の名前はツボミ」
 ツボミと名乗る、彼こそが、この辺りを総括的に支配している悪魔だった。彼に対する来訪者は、同じく悪魔。この空間にアンバランスな、黒っぽい簡素なドレスの少女。仰々しくゆっくりと、頭を下げて礼をする。
「リィンリィン、ですわ。こちらこそ、会えて光栄ですわ」
 まあまあ頭を上げて、と、ツボミは顔を上げさせる。
「西ではこういう堅苦しいものなのかい?よく知らなくてね」
 そう言い、薄い桃色の唇を弓なりにしてにこりと笑う。首を傾けると、しゃらんと耳飾りが揺れた。

「ようこそ。和和ノ国へ」


             ◆◇◆◇◆

閑話「四話直後 たいちょーとルイナー」



 ある日の教団本部、その長い廊下を早足で歩く人物がいた。
 顔には狐の面をしており、男なら若干小柄、女なら若干大柄といった体格で性別はどちらか判別できない。白い、どちらかというと銀の髪が長く垂れ、後ろで緩く結われている髪が歩く度に揺れる。そんな(彼、彼女とも言い難いので狐と形容する)狐の歩く背後から、走ってくる人物がいた。
「もーたいちょー!俺を置いてきましたね。酷い!」
 不服そうに文句を垂れる彼に、狐は面倒くさそうに首をもたげた。
「立って寝ていた人を置いていくもくそもありませんよ。あとうるさいですよルイナー」
 ルイナーと呼ばれた彼、彼の名はチトセ・ルイナー・チャンと言う。軽い調子のこの男は四番隊の副隊長である。言わずもがな、隣の狐は隊長である。
「酷いですね隊長。あっそういえば三番隊の女の子に悪口言われてましたよ!」
「うるさいですよルイナー」
 何を言われても全くへこたれないチトセと全てを煙たそうにあしらう狐、こと四番隊隊長のグレイヤー。内情を知る四番隊の面々がこの様子を見たらいつも通りだとむしろ微笑ましく眺めただろうが、本部でアウェーな行動ばかり取っていた彼は本部での株は恐ろしく低かった。
「ねえ隊長、どうして隊長の歩くところは人がいないんですか」
 嫌味など全くなしに、ただ純粋な瞳を向けたチトセに、グレイヤーはさらりと返す。
「あなたがうるさいからですよルイナー。本部ではうるさい人は関わらないように避けられるのです」
「ええー?俺避けられてるんだ。困ったなあ」
 へらへらと笑いながら歩いていると、ある部署の内開きの扉が開き、一人の女性が勢いよく飛び出してきた。
「おっと」
 ぶつかるかと思ったが、チトセはひょいと右に飛び避けたのでぶつかることは無かった。代わりに女性は顔から床に突っ込み、眼鏡が飛び資料をあたりに撒き散らした。
 女性が起き上がり、眼鏡を探して掛けると、目の前には見知らぬ男が資料の束を差し出している。女性は真っ赤になってまごつき始めた。
「ハッ……あっご、ごめっ、あ、……う」
「う?」
 はっきりと言いたいことを言わないまま、彼女はチトセの手から資料をぶんどり、「ごめんなさあい!」と叫びながら逃げ去っていった。
 チトセは頭を掻きながら「本当だ。避けられちゃったよ」と苦笑いした。
 その後その部屋から出てきたのは、教団員の小柄な少年。黒髪の彼は、「あれっラグランジェさんどこ行っちゃったんだろ……」と呟いた。そしてチトセ達の顔を見ると、ハットしたような硬い顔をして軽く会釈をした。
「手続き中に、何もしなくても出ることないのに。突然脱走だなんて変な子だね?」
 そう言ってひょこりと部屋から顔を出したのは、同じく教団員の青年。彼も一拍後に二人に気付いたが、反応は大きく違っていた。
「うわーーっ!?狐っ!」
「おいうるさいぞレイン」
 オーバーに驚き怯えた彼を引っ張り、黒髪の少年は「すみません」とそう言って、慌てて戸の内側に引っ込んだ。

 唖然としつつ、チトセはグレイヤーに尋ねた。
「あれは?」
「あれも嫌われてます」
「へえーっ俺またひとつ本部事情に詳しくなっちゃったな」
 頭の上で手を組み歩きながら、飄々とチトセは返す。
「あなたはどこまで本気なのか分かりませんねえ……」
 狐の呟きは、彼にしか聞こえていないはずだったが、チトセもまた知らないふりをした。

「たいちょー、」
「はい?」
 頭の上で手を組み、ふらふらと歩きながら、チトセはグレイヤーの顔を見ることなく続けた。
「たいちょーがどんな言われをされても、たいちょーがどんなことをすると言っても、俺はたいちょーに付いていきますからね」
 彼の言葉を聞いて、狐はくっくと笑いを堪えたようだった。
「もちろん、それなら心強いですね」
 当たり障りのないことを言ったが、本当に感じたことは心の内に留められたまま、声に出すことはなかった。

「そんなこと分かってますよルイナー。いろんなこと言いますが、ずっとあなたは私の言うことしか聞かないんですから」







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