42話「翻る反旗」

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【本部】

 テトロライア第二王女の聖誕祭から数日後のこと。昼の少し前のことである。本部の建物内のスピーカーから、知らぬ女の声で、予定に無い放送が流れ始めた。

《――団長空座で混乱期にある我がメルデヴィナ教団!けれど心配はいりません。我々は団長の意思を次ぐ、このような不測の事態の為に用意された組織。今後は我々が指揮します――》
「あいつら……」
 放送を聞いていたアーサーは思わず言葉を漏らす。近くを通りがかったシャルロットは、アーサーの顔を見て不安げな顔をした。

 放送の内容は以下の通り。ガーディと名乗る前団長の組織したグループが、教団トップの正当な後継権を訴えるというもの。勿論直後にグレイヤーなど一部はそれを否定した。しかし、僅かながら彼らの話を信じる者もいた。何故なら、リアリティのある話も同時に語られたからだ。『教団は研究社に操られている、研究社ピコの言うがままとなったのはエクソシストのせいだ、彼らがのさばったせいだ。しかも研究社は悪魔を生み出す研究もしている。真の姿になる為には、闘いと権力を望むばかりの彼らの排斥が必要だ』と。


 一階の医務室では、白衣を着た小柄な少年が、机の中や上の物をがさつに箱に放り込みながら早口で何やらまくし立てていた。隣で必死に引き止めるのは、本部三番隊隊長のサクヤだった。
「何なの今の!まるで僕らが悪者みたいに!こんなアウェーな状況でここに居られるか!」
「待ってくださいクルス!考え直してくれませんか!あなただけでも――」
「勝手にやってくれよ、僕は部下達と一緒に会社に帰るから」
 そう言いダンボールを両手で抱え勢いよく部屋を出ようとした時、出入り口に青い髪の女が立ち塞がる。彼女は無言でクルスを見下ろした。
「……ロリタ。君も一緒に帰るんだぞ」
 青い髪で青い目をした鋼鉄の乙女は、ゆっくりと首を水平に振る。
「マスター。仕事が沢山残っています」
「こんな時に仕事なんてしなくていいの!」
「では、せめて私を置いていってください。機器のメンテナンスや医療行動の基礎パターンは組み込まれていますから」
「……もう、勝手にしろ」
 振り返ることなく去った後、ロリタが抑揚の無い音声でサクヤに言った。
「私に悲しみはありませんが、私は仕事をする為に作られたドロイドなので、仕事ができないと僅かにパフォーマンスに影響が出そうです。ですのでこの道を選びました。しかし、マスターが傍にいないのもまた、支障を来しそうです」 
「すまないな……こんなことにしてしまって」
「構いません」


 三人しか知らなかった筈のガーディとエクソシストの対立は、教団内で全面的に周知された。しかし、多くはエクソシストありきの教団であることを分かっており、突如現れたガーディという謎の存在の肩を持つ者は少なかった。教皇の治めるメルデヴィナ教団が本来の姿だと唱える者も僅かで、特に意思を持たない者達の間には、今まで通りを望み何となくエクソシストに批判の声を上げない風潮が広がった。……しかしそれも、ある男が声を上げるまでの短い間のことであった。

 その後開かれた緊急会議の場で、本部一般隊の中でも代表格であったレイクレビンという男が突然反旗を翻した。
「ガーディこそ正当な継承者であると僕は考える」
 そう発言した彼に、サクヤは目を丸くした。
「どういうことだ」
「エクソシストという少数の実力者からこの団のトップを決める方法が乱暴だと声が上がったから、彼を団長にしたのだろう?結果彼はエクソシストに殺された。だが彼は死してなお自らの意思を継ぐ者を残していた。ならばガーディという者は、団長自身なのではないかい?我々は彼らに従うべきだ」
「それは分かっているが、そもそも彼らが本当に元団長の組織した物なのかは分からないだろう。今、教会も返答に応じず真実は分からない。安易に信じるのは――」
「それでもエクソシストの言うことよりは信用できるよ」
「っ!」
 レイクレビンの目は冷たかった。
「幾度となく裏切りを重ねるエクソシスト。おまけに己の利益の為だけに研究社にべったりで、本当に正義を謳う組織のトップに相応しい存在かい?」
「違――」
「はは、笑えるね。僕の父親だってエクソシストに殺されたんだ。信用は元からできない。今回ではっきりしたよ」
「レイクレビン、それは私情か」
「すまない、そうだ、少し取り乱してしまったようだね」
 口を挟んだのは、ロイド・ステンスレイ。レイクレビンは席に座り、やっと語るのをやめた。
 研究社と癒着……もとい密接な繋がりがあるのは組織自体なのだが、彼らは、教団の重要管理職を網羅していたエクソシストが利益の為だけに働き研究社と癒着していたと嘯き全てをエクソシストに押し付けていった。
 レイクレビンはその後多くを語ることをしなかったが、エクソシストへの猜疑心が他の文官達に伝染するには十分であった。


「……どうしよう……」
 会議の後、逃げるように執務室へと入ったサクヤは、頭を抱えた。グレイヤーは、報告を聞き「ふむ」と喉を鳴らす。
「分が悪すぎます。完全に嵌められていますね」
「レイクレビン上級官はガーディ側だったんでしょうか」
「ただの私怨というのもあるかもしれませんがその可能性もあります。注意しましょう」
「注意も何も、もう私達に味方はいない……」
 完全弱気なサクヤ。
「まだ彼らが指定してきた日取りより時間があります。急ぎましょう」
 彼女に見えていた未来は、孤独と絶望であった。それでもまだ、『準備』は進めている途中だ。残したままの謎もまだある。諦めるのは良くないと、己を奮い立たせていた。


 夜、作業を終え自室へと向かう。自分の部屋だと思っていたその部屋からは、明かりが漏れていた。
「……」
 鍵を差し込むまでもなくドアノブは回った。そっと開いて中を覗くと「お帰りなさい」と声がする。笑顔で出迎えた男の名はレイン・セヴェンリーと言った。
「……帰ってたんだな」
「はい。メリゼル班長はまだ手続きで現地に残っているんですけど、他のみんなは今日の朝には帰ってきてます。真っ先にサクヤさんに挨拶したかったんですけど、忙しそうだったから……」
 そう言い悲しそうに目線を落とした。机の上には異国の菓子と、ティーカップが二つ置いてあった。仕事のついでにわざわざ買ってきたのだろう。その優しさを感じながらも、つい遠ざける。
「すまない、今は、その、一人にさせてくれないか」
「えっ」
 露骨に傷付いた顔をしている。胸が痛む。けれど、そうしないと――
「……俺には、泣いてしまいそうだから、って言ってるみたいに見えます」
「……」
「サクヤさんは頑張ってますよ」
 その言葉が、どれ程救いとなっただろうか。
 自分じゃ何もできない。隊長なんて、テトラールキの代わりなんて、本部エクソシストの代表だなんて、本当は荷が重すぎる。逃げ出したいくらいの重圧。彼女はただ、戦場を駆るだけの副隊長だったのに。あの頃は何も余計なことは考えなくていいとあの人に、そしてグレヴォラに言われているようだった。……それでも今は逃げ出す訳にはいかず、彼女は必死に努めていた。けれど、上手くいっているという実感はまるで無い。今だって、もっと……。しかしレインの言葉は心からの言葉だと感じた。彼はいつでも彼女に肯定的な発言しかしないと分かっているのに。
「な、泣いてるんですか!?」
 サクヤは首を横に振る。
「レイン、うっ……わ、私は、」
「みんなが色々噂していました。けれど、俺はサクヤさんを裏切るような真似しません。俺はいつでもサクヤさんの味方です。最初はサクヤさんが俺を助けてくれたからって思ってたけど、今は違う。……サクヤさんの一生懸命な所、応援したいと思います」
「レイン……」
 弱ったサクヤの前では彼は泣かなかった。抱き締めた手をパッと広げて彼は笑う。
「さ、泣いてないでこれ食べましょ!俺見つけてきたんですよ!ヨウガン!」
「……羊羹だ」
 サクヤが鼻を啜りながら突っ込む。
「聞きました……、羊の内臓でできてるんですよね……サクヤさんが前言ってたから買ってきたんですけど、これ大丈夫ですか……?」
「いや……え……?」
「しかもヨウガン……?内臓、溶岩、どっち……??うわ……分かんなくなってきた……」
「どこで泣こうとしてる?!落ち着け、内臓じゃないし溶岩でもない!これは甘くて美味いらしいんだ」
「甘い内臓……!?サ、サクヤさんこれ絶対あなたには食べさせられない!!ダメです!!」
「人の話を聞け!」
 深夜にも関わらず、一人部屋からは楽しい声が聞こえていた。


◆◇◆◇◆


 会議での事件の翌日、三番隊のミーティングルームにサクヤはメンバーを集めた。
「東で、本部で登録された武器の使用反応が出た」
「なんすかそれ。そんなことできたんすか?」
 サクヤは頷いた。
「ああ。昔ローセッタ・ノースを見つけ出した時も、武器使用の反応が出たからだ。微細なものだったが偶然拾えることがあるんだ」
 ローセッタ・ノース。かつて教団のエクソシストとして参謀という地位にまで上り詰めた女性であるが、聖夜事件からその身は追われることになり、現在は武器として教団が所有している。
「それでアーサー、お前はレイと共にそっちへ向かえ。武器はティテラニヴァーチェ」
「ティテラニ……ヴァーチェ」
 アンリが持っていた武器の名であった。アーサーとアルモニカはそれぞれ目を丸くする。少し驚いたものの、どこか割り切ったようなレイは身を乗り出す。
「で?ボクは今まで通り、暗黒地帯の調査でいいのですよね?」
「頼む。レイの目的地とアーサーの目的地が偶然にも近かったからな。途中まで一緒に行けるだろうと思ってな」
 レイは再び体重を椅子に預け、隣にいるアーサーの顔を見る。
「ですってアーサー。ボク今日の夜には起つ予定なのですが?」
「え?早くね?」
「さあ、ちゃっちゃっと用意するのです!ついでにボクを食堂に連れて行くのです」
「お前さっき食べただろ!」
「あんなの昼食に入らないのです!さあ!」
 二人は騒ぎながら部屋を出て行った。アルモニカとサクヤだけになった部屋で、アルモニカは口を開いた。
「隊長。……私を北部に行かせてください」
「零していたのを覚えていたんだな。北部のレディ隊長とコンタクトを取りたいと」
 アルモニカは頷いた。
「どこにいるか分からなくても、きっと見つけてみせます。あの人なら何かを知っているかもしれないし、できれば本部に応援に来て欲しいですもんね……」
 アルモニカはグロリア・レディを知っている。それはおおよそ一年半前の遠征でのこと。彼女は達観した視点と圧倒的な実力を持ち、現場に颯爽と駆けつけた。しかし彼女には放浪癖があり、北のフィルグラード支部に連絡しても暫く留守にしているとのことだった。
「現地の方々を信じて待てばいいんですけど、どうもじっとしていられなくて。あの人なら、きっと来てくれるだろうと勝手に思ってはいるんですけど……」
 サクヤは頷き、ふわりと微笑んだ。
「ありがとう、アルモニカ。私は君が言い出さなくても頼むつもりだった」
「サクヤ隊長……」
「あの二人にも言っておくが、念の為黒の瓶を使ってくれ。暗黒地帯が僅かに拡大しつつある。交通機関がいつ分断されてもおかしくないからな。――大丈夫。三番隊は、バラバラになっても三番隊だ。……でもできれば早く帰ってきてくれな」
 悪戯っぽく笑ったサクヤに、アルモニカも思わず頬が緩む。
「何かあったらサクヤ隊長が大変なことになりますもんね」
「ああ。いよいよ分身しなくちゃいけなくなるな」
 とは言え忙しいのは変わらない。応援に来てくれていたグレイヤーも、今日は近場で起こった事件の解決に出ていた。
「では、よろしく頼む」
「はい」
 そう言い黒の瓶を三本受け取った。


 本日分配された書類整理をし、一通りの準備を終えると、日は傾き空は赤くなっていた。北部へ行く旨を綴った書類を提出しに向かう途中、通りかかった中庭でアーサーを見かけた。
 手前のベンチ、こちらに背を向けて座っている。足元にあるのは荷物のようだ。
 足音に気付いたのか、彼は振り向いて手を振る。アルモニカは、彼の前まで歩いてきた。
「暇だからってこんな所で感傷に浸るなんて年寄りくさいなあ。誰かさんの癖が移ったみたいだ」
 アルモニカは暫く、何のことを言っているのかと言いたげな顔をしていたが、ようやくそれが「アルモニカが仕事ができない間暇を持て余し頻繁に中庭に通っていたこと」を言っていると気付くと、「失礼ね!」と赤くなって抗議した。
「何言ってんだ?俺のこと言ってんだぞ?」
「もー!そうやって馬鹿にして!」
「してねえよ!」
「ふーん……あっそう言えばレイちゃんは?」
「あいつが早くしろって言ったくせに、自分は遅れてもいいのかね。お菓子の持ち運びに苦労しているらしい」
「紳士なのなら大人しく待ちなさいよ」
「だから待ってるんだが??」
 馬鹿馬鹿しい会話をしながら、アーサーは大きく息を吐いた。
「なんか元気そうで安心したよ」
 その言葉に、少し驚いた顔をしたアルモニカであったが、「うん」と笑って見せた。
「あんたは元気が無さそうに見えるわ」
 アーサーは暫くの沈黙の後、こう口にした。
「あのな、俺は、あの人のよく言ってた言葉を最近よく思い出すんだ」
「?」
「ベルガモットさんが昔言ってたんだ、『何か大きなことが起こっている時は、その裏で何が起こっているか気にかけておいた方がいい』って。あいつとちゃんと話せれば、その意味が分かる気がするんだ。もしかしたら、今この教団で起こってることの理由も」
「……うん」
 いつか全てが繋がる時が来るのだろうか。
「俺は真実を知ることを恐れてた。たった一つの居場所が無くなっちまうんじゃねえかと思って。サクヤさんがこの組織の裏側を調べたいと言い出した時、正直やめてほしいと思ったんだ。臆病だから。――でも、こんな状況になったら無くなるも何もねえよな。動かなかったらやられるだけだ」
「……そうだね」
「お前も何処か行くんだっけ?」
 そ、とアルモニカは立ち上がる。
「北へ向かう。実力ナンバーワンを呼びに行くの」
「そうか」
 アルモニカは振り返って微笑む。
「だからね、本当は私が行きたいところだけど、任せたわよ。……きっと、連れ返して来てよね」
「……ああ」
 アルモニカはそう言うと、「気を付けて行ってらっしゃい」と手を振って去っていった。

 アーサーは疲れたようなため息をついた。
「失恋?」
「え!?違げえし!」
 突然声がして、肩を跳ねさせたアーサーはキョロキョロと辺りを見回す。暫くしてやっとその声の主は木の影に隠れていることが分かった。木の幹に隠れるようにひょっこりと顔を出している。
「テン……」
「そんな顔しないでください。私はずっとここにいたのにあなたが気付いてくれなかっただけです」
 そう言ってテンは飛び出した。
「アーサー、」
「あのな、前から言ってるけど年上を呼び捨てなんて」
「あなたが兄さんに会いに行くと聞き、やって来ました。場合によっては殺してしまうかもしれないんでしょう?」
「……知ってたのか」
「さっき」
 妹としてはさぞ複雑な気持ちだろうとアーサーは思ったが、テンは全くそんな様子は見せなかった。
「アーサー、どうか無事に帰ってきてね」
 そう言って微笑んだのだ。
「お前、兄貴はいいのかよ」
「……兄さんは、大丈夫ですから」
 その言葉の意味は、アーサーには「心配はいらないから自分の仕事をやりきれ」と言っているように聞こえた。


◆◇◆◇◆


「なあにこれー」
「モニターよ、確かに珍しい物ね。それより見て欲しいわ」
 薄暗い部屋。本部が混乱している様子をモニター越しに見ながら、和やかに談笑する二人の女。
 微笑を浮かべた黒髪の女……ミカミは優雅に紅茶を啜り、一方子供っぽい言動が目立つミクスは、モニターに顔を近付けて楽しそうに笑っていた。
「仲間割れをしてるわね。……と、これは昨日のものね。こっちは一昨日」
「見ていて気持ちいいねー!」
 無邪気な少女の様子を見ながら、ミカミは溜息をつく。
「あなたみたいに性根の曲がった女の子、私、あなた以外に知らないわ」
「死ぬ前のマスターがね、ミカミに似たんだと思うって言ってた」
「な!?」
 ミカミは口に含んだ紅茶を吐き出して噎せた。ミクスは知らぬ顔で「ねえミカミ」と振り返る。
「マスターはいつ帰ってくるの?」
「さあ。復活には時間が掛かると聞いているわ。少なくともここのエクソシスト共との戦いが終わったらじゃないかしら」
「ええーいつから始まるのそれ全然待てないよー!」
「せっかちさんね。仕方ないじゃない物事には順序というものがあるのよ。まだあの男からサインは出てないわ。それにしても、どうしてあなたはそこまで急ぐの?」
「やりたい事をする為には、マスターの許可が必要なの!」
「ふうん。前も言ってたけどやりたい事って何?」
 ミクスはニコニコしながら明後日の方向へ目をそらす。
「え?ちょっとね。兄弟喧嘩みたいなものかな。まあ、それも目的に過ぎないけど?」
「それって彼の許可が必要な事?」
 そう言うと、ミクスは露骨に顔を輝かせて跳ねる。
「いらない?いらない?じゃあ終わった後で言えばいいかなあ!サプライズだね!」
「事後報告ね。よく分からないけど、いいんじゃない」
「わーい!じゃあみんなにも相談してみよ!」
 髪を生き物のように跳ねさせながら、彼女は奥の部屋へと消えていった。

「あの子に兄弟なんていたのね」
 ミカミが彼女と出会ったのは、ほんの一年程前のことだ。まだまだ知らないことが多すぎる。
「他の構成員とは相談するのに私とは話さないだなんて」
 寂しいこと。そう言い紅茶の最後の一滴を啜る。
 けれどミカミはミクスに深入りするつもりはなかった。彼女自身、話すことさえ億劫な過去があるからだ。そう思い、カップをテーブルの上のソーサーに置いた。
 しかしながらだ、この部屋に他に誰かいただろうか。
 突然部屋の出入口が重い金属音の後開く。ミカミは身構えたが、現れた人物の顔を見て肺の中の空気を吐き出した。
「あんただったの。もう驚かせないでよ」
「すまないね、驚かせたつもりは無いんだけどね?」
 そう言った人物は、帽子を脱ぎ、マントを脱ぎ始めた。声を聞きつけ奥の部屋からミクスが帰ってきた。
「おじさんおかえり!久しぶり!」
「お嬢、久しぶりだね」
「あたしは見てたけどね?」
「僕は見ていなかったからねえ」
「ねえこの前あたし誕生日だったよ!」
「そうかい。何か買ってあげるとしよう。お嬢はいくつになったんだい?」
「うん?えーと、十七くらい?」
「初めて会った時もそう言っていたねえ君は」
「そうかも!」
 妙な会話をしながら、男は制服を着替えていく。頬杖をついたミカミが男に語りかける。
「それにしても、あんた嘘が下手ね」
「そうかい?頑張ってるんだけどねえ……」
 楽しい話し相手をやっと捕まえたと言わんばかりにミクスはねえねえと男に話しかける。
「おじさん、エクソシストに親が殺されたってほんと?」
「本当だよ」
「だからエクソシストが憎いんだね!」
「違うかな」
「ええー?」
 ミカミは腕章を外し、赤い帽子を被り直した男に手渡す。
「ほら、返すわ」
「どうも」
 腕章を腕に嵌める。赤い制服に映える白い腕章に記されているはNの文字。
 この男の名はアラン・レイクレビンと言った。メルデヴィナ教団の持つ一般隊の中でも代表格の男であった。
「エクソシストを排斥すれば、次頂点に立つのは誰かな?世界で一番武力を持った組織のトップになるのは」
「うん?」
 彼の言葉を聞いたミカミは嘲笑を浮かべた。
「ふっ……あなたみたいに打算的で利己的な人初めて見たわ」
「そうかい?あなたは相当素敵な世界で生きてきたようだね。僕はたくさん見てきたよ。こういう大人達」
「おじさん?」
「いつぞや抱いた憎しみが消え失せる程、僕は疲れたと言ってるのさ。……さあお嬢、みんなに会いに行くんだろう。僕も近くまで用事があるから一緒に行こう」
 荷物を取りに来ただけだからと、彼はすぐに部屋を後にしようとする。ミクスはその後ろを追いかけ振り返った。
「じゃあねミカミ!すぐ帰るからあたしがいなくても泣くなよね!」
「ふん。誰が泣くのよ」
 腕組みをした呆れ顔に手を振り、重い扉を閉めた。


◆◇◆◇◆


【雪山】

 時は僅かに遡る。丁度ヴァルニアの本部では、エクソシストとガーディの対立が内部で周知されるようになった頃のことである。

 何も無い、あるのは積もった雪と時折露出する岩肌。誰かの作った階段がいくつか山頂に向けて伸びており、その一つは誰かが踏みならした新しい跡があった。吹雪いていない今は僅かにその痕跡が見える。それ以外、何の変哲もない雪山。
 その空間に、唐突に三十センチ程の一筋の黒が伸びる。それは俄に弾け、飛び出るように二人の人物が雪上に降り立った。
 おおよそ雪山に似つかわしくない服装の二人は、それぞれ首元まで上着を引き寄せたり、己の腕を摩った。
 この二人は昨日まで夜行列車に乗って北の大国スヴェーアを目指していたのだが、暗黒地帯が拡大している影響で、鉄道が途中までしか運行していないことを知る。持ち合わせた残り僅かな黒の瓶の消費を抑える為わざわざ鉄道に乗ったのだがこれも仕方がないと、目的地まで黒の瓶を使ったのだ。しかし……
「座標が少しおかしいみたいですわ」
 フードを被り、腕を抱えて凍える白髪の乙女はリィンリィン。隣にいたアンリは首を振る。
 長距離移動術式黒瓶……通称黒の瓶は、とある悪魔が開発し、その技術を教団の技術班が解析して生産した物であったが、実験の結果、実用性は認められなかった。移動距離も限られており、また精度が低いとのことであった。そのことは、彼は実験の一端に携わったことがあるのでよく知っていた。エルドバから実験中だったアーサーと共に帰還した際何かと大変だったのだ。
「精度が低いことは知っています。……歩きましょう」
 そう言い歩み始めてすぐ、彼の平たい靴底のブーツは階段の上を滑る。
「アンリさん!」
 驚いて手を伸ばしたリィンリィンはアンリの腕を掴み、勢いよく引き寄せる。勢いそのまま逆方向に倒れ込み、二人は暫く悲鳴と共に雪の上を転がった。
 雪上に投げ出された二人は既に雪まみれ。この状況に、アンリは噴き出した。リィンリィンは彼の顔をまじまじと見つめる。
「……楽しい?」
「あ、いえ。何というか、かっこ悪いなと思って」
「ふふ……」
 雪の上で座り込み笑う二人の元に、誰かがやって来た。
 振り返ると、見覚えのある顔だった。厚着をして、薪を背負う東洋人の男。彼は不気味そうに二人を見下ろした。
「な、何をやっているの君たち……」
「ミンさん……」
 彼はローザと共に行動していた人物だった。

 ミンに案内され歩いて数十分で、彼らは目的地である小屋を発見した。
 戸を叩くと、覗き窓が少しだけ開き、しばらくして錠の外れる音がした。

 暖炉のある部屋の中は暖かかった。この家の主の名はローザ。彼女は、「今度はお茶を用意できたわ」と嬉しそうにテーブルにカップを置いていった。
「さっきはびっくりしたよ。ストレスで頭おかしくなっちゃったのかと」
「すみません……」
 それぞれテーブルを挟む形で座る。カップを置くと、ミンが切り出した。
「君たち、呪いを解く方法をずっと探してるんだよね?残念だけど、ローザにもそれは分からないんだ」
 アンリは僅かに俯いた。ローザが続ける。
「情報屋は先月何者かによって殺された。生きていたら紹介したんだけど。闇雲に探すのは無理があるんじゃない?でも、逃げる手伝いはしてあげるわ。あなたが今教団に捕まっては元も子もないもの。あそこ、何がいるか分からないわ」
「あなたからは、薬を貰いに来ただけです。それと謝罪を述べに来ました」
 ローザは呆れ顔で溜息をつく。
「……律儀な人。謝罪なんていいわ。私こそ、無茶なことやらせてごめんなさい。焦っていたの。今に至るまで」
「……」
「それでも信頼できる仲間がいるようで安心した。――挨拶が遅れたわね、私はローザ・シャーマン」
「リィンリィンですわ」
 ローザはリィンリィンに手を握手を求めようと手を出しかけて引っ込めた。
「この体じゃ駄目だったんだわ」
「僕はミン・ヤン。ごめんね、僕も握手は遠慮しておこう」
「分かっていますわ」
 触れることさえできない。そのことは理解しているけれど、彼らは目の前の人物が悪魔であること自体に対して過剰に反応したりはしなかった。
「アンリ君、あなたに大事なことを二つ伝えるわ。あなたを追っている者の名と、その居場所を」
 ローザは写真を二枚出してきた。
「死ぬ前の情報屋に貰った物よ」
 街で隠し撮りをしたかのような二枚の写真。アンリは息を呑む。そのうち一枚はよく見覚えのある顔だった。
「……生きてたんですね」
「シロウ・ジュディ、そしてクロウ・ベルガモット。彼らは誰かに雇われてあなたのことを各地で嗅ぎ回っているわ。まだ出会ってはいないわよね」
 アンリは首を振った。
「……ベルガモットさんは、元教団のエクソシストです。しかも、死んだと思われてる」
「あっ!?」
 アンリの言葉でミンは驚いたようにローザの顔を見た。
「知っているわ。……まさか裏切ったなんて思いもしなかったけれど、もしかしたら彼には彼の考えがあるのかもしれない」
「この人あの隊長さんだったの!?前スヴェーア行きの列車で会った?姉さんの友達の?あの人なんでアンリ君を追い掛けてるの!?」
「ミン、私の話聞いてた?」
 二人が喧嘩している間、アンリは写真のもう一人の、白い衣装に身を包んだ男の顔をまじまじと見ていた。
「そういえば、僕を追っているのはこの人達だけではないですよね」
「……ええ、勿論教団やエネミも追いかけているでしょうけど、実行しているのは私の把握している分で彼らと、もう一人――」
 彼女の口から出た人物の名は、ここに居合わせた四人の中ではアンリだけが良く知っている者の名だった。あまりに唐突で彼は相当驚いた。しかし同時に、少し嬉しくなったという。

「君達、もう出て行くの?これから天気悪くなるよ」
 話を聞いてすぐ立ち去ろうとした二人に、パイを持ったミンが呼び止めた。
「急ぐでしょう。天気を少し変えてあげるわ。ミン、私達も発ちましょう」
「二人共どこへ行くつもりなの?」
 ミンの問いに、アンリは答えた。
「会えそうな知り合いの中で恐らく、一番真実に近そうな人の所へ。ここからは近いので」
 ローザとミンは顔を見合わせた。

 その後新たに情報を得た彼らは、その情報を元に遺跡都市ミジャンスクへと向かうこととなる。その時使用した武器の反応を探知され、彼は教団の追っ手と戦うことになるだろう。
 荒野の熱が、確かにすぐそこまで迫っていた。







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