27話「師匠と弟子」





 東方悪魔集団の親玉、ツボミを討ち取ってから暫く、ユリーカの支部には沢山の依頼が届き、日々の忙しさは増した。皮肉なことに彼の言った通りになったのだ。命乞いのように喚いていた訳では無い、実のところ、彼はちゃんと抑止力となっていた。
 だが教団員たちは、自分たちが間違っているとは決して思わなかった。ツボミ達には彼らなりに正義があった以上、こちらとて曲げるわけにはいかないからである。しかし、誰もが納得した訳ではなかったようだ。

 某日。任務を終えて帰ってきたチトセが立ち寄った鍛練場で見たのは、技の練習をしておくように言ったのに何故か眠りこけている弟子の姿だった。隅で丸くなっているアンリを掴み、前後不覚のまま引き摺るように、寮に隣接した温泉まで連行していった。

 ここにある温泉は露天風呂も付いた大浴場だ。温泉が有名な和々ノ国ことユリーカ、団員用に設営されたものであるが、その広さはなかなかで先代のこだわりが伺い知れる。

「眠い……」
 初めて見た時は驚いた光景も、もう慣れたら感心する程度で。湯船の縁に組んだ腕に頭を乗せ、アンリは眠気を訴えていた。
 頭の上に器用にタオルを乗せたチトセがため息をつく。
「さっき寝てたでしょ。昼間っからどうして眠いの」
 目を閉じたままのアンリがぼんやりと答える。
「昼だからですよ。昨晩は遅い任務がありましたし、今日は非番だから眠いんですよ。チトセさんこそ昼間っからどうして風呂に入るんですか」
「昼だからですよ」
「いや意味分からないんですけど」
 ナイスツッコミと言って頭のタオルをアンリの頭に乗せる。アンリがそれに気付いているのかいないのか、ぼそりと呟いた。
「本当にあれでよかったんでしょうか」
「何が」
 アンリは、ツボミ攻略前の任務での出来事を思い出しながらぼんやりと続ける。
「――チトセさんは、あの時言いました。『邪魔になるわけではないから、無駄に殺したりしない』って」
「いつだそれ。そんなこと言ったっけ?」
「似たようなことを言ってました。――僕は、思ってました。悪魔は人間の敵だから、人間に害をなすものだから殲滅すべきものだと。でも、本当は違うかもしれない。あの時も。……今回だって、あの時彼の言う通りにしていたら……?」
 彼の中にあるのは迷いだった。それに気付いたチトセは茶化すように笑った。
「ふーん?痛い目に遭っといてよくそんなこと言うよ。君ってば都合の悪いことは忘れるわけ?」
「あれはあれですよ」
 まあまあと適当に流しつつ、暫くしてチトセは言った。
「そんなこと言ってたって仕方ないじゃん。それにね、私情混じったけど、あれは悪だと思ったから。隊長だって元々そのつもりだったし、俺のこととやかく言わなかった」
「……?」
 どういうことかと体を起こした時、チトセは彼に何かを差し出した。
「?」
 見るとお猪口である。なにやら白い液体が注がれていた。
「ん、あげるよ」
「ありがとうございま……え?」
「俺はね、君に対して――」
 もう一つのカップに注ぎ、口を付けようとしていたチトセ。僅かに漂うアルコール臭にアンリはハッとして、頭の上のタオルなど顧みず慌てて阻止する。
「何やってるんですか!困りますから!」
 アンリの懸念はこの男の酒癖の悪さだった。呑むと立ったままでも寝るようなこの男の後始末をするのは大変である。実はそんな目に遭ったのは一度や二度ではない。しかしチトセはえーと唇を尖らせる。
「なんなのいいじゃなーい。この為にアンリ君連れてきたのに」
「な!?」
 温泉で一杯。一度やってみたかったなどと語るチトセだが、そもそも湯船に浸かりながら呑むなど体に悪い。いやそういう問題ではなく。
「飲酒は自室でしてくださいよ。没収しますね」
 伸びる手から逃れようと、チトセは身をそらす。
「なんの心配をしているの。これ甘酒だしアンリ君だって呑めるよ」
「いやそういう問題ではなく……ん?」
 甘酒、それは辺境と呼ばれたこの国で愛される甘味飲料であるが、アルコールはほぼ含まれていない。などと言う言葉がアンリの頭をよぎった。
「頂きます」
「うんうん」
 何か話が中途半端に終わっていたような気がしたが、初めての甘酒の尋常ではない甘さと酒独特の風味に衝撃を受け噎せたせいかよく思い出せなかった。

             ◆◇◆◇◆

 ツボミの討伐から数ヶ月経ち、彼の残党も減ってきた。悪魔関連の事件が少なくなった分、魔女探しや遂には人探しまで四番隊にも仕事が回ってくるようになった。
 これまでの間、チトセはアンリを頻繁に連れ回した。彼によると「どちらも剣だし自分が教えてるから共闘するには一番戦いやすい」だそう。実際はチトセ一人で十分な実力を持っているのだが、どうやら余程彼のことが気に入ったらしい。チトセがアンリに適切な手解きを行ったお陰で、アンリはあまり無茶な戦いをしなくなった。否、今まで体に負担を掛けながら行っていたことを普通にできるようになったのだ。チトセの剣、啼剣と形は違うものの、チトセはある程度の剣術の知識はあった。それに特殊な魔魂武器において重要なことはどれも変わらない。彼と共に戦場を駆けたアンリは、少しずつであるが強くなっていった。一方彼の内面、記憶が戻ってから、アンリ自身、心に抱える闇があったのだが、それは日々の様々な出来事の下に埋もれ形を潜めていた。

 本部にいたアンリからすればかなり温暖な気候のユリーカだが、庭の木々が赤みを増し、寒さがやってきたと思ったら一気に冷え込んだ。訓練室の道場の床を素足で動き回るのもさすがに辛くなってきた頃、そんなある日のことである。

「アンリ君、もう聞いた?結構本部がややこしいことになってるらしくて。本部に帰ってこいって」

 特筆すべき任務の無い日の日課となっていたチトセとの鍛錬のあと、彼はアンリにそう切り出した。水で喉を潤したアンリが聞き返す。

「ややこしいこと?」
「俺もよく分からないんだけど。隊長たら話してくれなくてさ。ここ、本部の情報がちゃんと下りてこないんだよね。隊長は結構行き来してるから聞いてると思うんだけど、わざとかなんなのか知らないけど、言ってくれないよね」
 そう言いチトセは苦笑した。

 確かにアンリにはそのような書状が本部から来ていた。それを直に手渡したグレイヤーには、「あなたは大したことありませんから、当初の予定通り本部に帰ってもらいます」などと言われていたが、もしかしたら理由が違うかもしれないということか。
 そもそも建前はさておき、アンリがグレイヤーに引き抜かれる形でユリーカに来たのは、彼の恩師である先生、もとい元団長サズ・ホリーについての情報をグレイヤーが得るためにあった。しかしアンリからまともな情報が得られないと分かったために、目的が建前と置き換わったのである。目的にある程度則した理由での帰還であるが、もしかしたらこれも建前なのかもしれない。

 俺にまで言われたということは急かされている、準備が出来次第発った方がいいと言ったチトセの言葉を受け止める。ゆっくりしていられないのだ。アンリは、拳を握りしめた。

「では、これが最後の手合わせだったんですね。……長らくご指導ありがとうございました。師匠……チトセさんがいなかったら、僕は……」
 頭を下げたアンリに、チトセはへらへらと笑いながら首を振った。
「はは、最後みたいな言葉はよしてよ。――本部で見かけた時はよろしくね。また遊びにおいでよ」
 チトセは笑った。おいでよだなんて、すぐに来れる立場でも距離でも無いことはお互い分かっているのに。
「それに、君はまだ未熟だからさ。教えたいことがいっぱいある」
「まだまだ師匠には敵いませんもんね」
「そうだよ。君は弱い」
 ずばりと言い切ったチトセ。ちゃんと自主練も毎日やってよね、などという会話をしていたが、急に、あ、と呟く。
「……俺何もないや」
「?」
 きょとんとしたアンリ。その様子を見て、いやいや、とチトセは両掌を広げて笑う。
「こういう時なんかあげるもんでしょ?俺が肌身離さず身に付けてたお守り的なさ」
「師匠は物に頓着無いしそういうの持ってなかったですよね」
「まあお守りとか信じないからねー」
 へらりと笑ったチトセ。アンリは、ふと己の持ち物を思い出した。襟から手を突っ込み、首からあるものを外す。口の開いたチトセに、それを差し出した。それは木でできた十字架のペンダントだった。
「あげます。昔シスターに貰ってからずっと持ってるお守りです」
「逆じゃない?」
 正論。不穏な何かが起こっているであろう本部に行くアンリが、なぜ運を手放さなければならないのか。押し返すチトセだったがアンリは首を振る。
「僕はもう、いいんです」
「なんでさ」
「あの時から、今まで、僕は十分すぎる運を貰った。だから、」
「あのね、」
 アンリの言葉に、堰を切ったように溢れた言葉を、チトセはアンリにぶつけた。
「なんでそんなこと言う?諦めるって言うのか?」
 どこか必死なチトセの声。アンリは驚いたようだったけれど、ゆっくりと口を開く。
「諦めてなんかないです、生きることを、まだ。――師匠はよく諦めるなって言ってたじゃないですか。ちゃんと、覚えてます。……そうじゃなくて、運だけじゃない、ちゃんとした力が必要なんです。それに、」
 そして寂しそうに笑った。
「絆が欲しかった。師匠として、先輩として、仲間として、友達として、チトセさんの存在は大きいんです。とても楽しかった。暗い夜も何でもなくなるくらい。本部の友人達と会えないのに、そんなこと、全然感じなかった。お別れになるの、正直、寂しいです。でも、師匠は忘れちゃうでしょ?」
 いつもなら言わないアンリの心の内。正直なその言葉。終始チトセの表情は半泣きであったが、アンリの言葉を聞いてそれは見る間に崩壊した。ぽたぽたと落ち、頬を伝う水。「ごめんね」なんて言いながら、震える手で顔を覆った。狼狽したアンリにチトセは声を震わせながら言った。
「君は馬鹿、すごく馬鹿、だから俺が馬鹿だと思ってる。忘れるわけ、ないでしょ。君の中の俺どれだけ馬鹿なの?俺は元々一人じゃないし、君がいなくなったって、平気だけど、」
 彼の頭を巡るのは、思い出だった。
 最初はグレイヤーに本部からの新人の面倒見るように言われて、正直めんどくさいと思った。でもグレイヤーの頼みだしやるかと言ったところ。チトセ・ルイナー・チャンとは、そういう男だった。――本部で昔ちらっと見かけた時、かなり取っつきにくそうな印象を受けていたし、実際変わった子だった。思ったよりまともだけど、馬鹿馬鹿しい、適当にやっていこうと思っていたのに、弟子がいるのはなんだか楽しかった、教えると吸収してその分成長していく様子を見るのも良かった。段々どうでも良くなくなった。彼のことを知るほど、何とかしたいと思った、救いたいと思った。すぐに別れが来ると初めから分かっていたのに、どうしてこんな濃い八ヶ月を過ごしてしまったのか。そう語るチトセ。……その言葉を聞いてアンリは俯いた。握りかけた彼の手のひらから、チトセは十字架を取った。アンリが顔を上げる。チトセは、息を大きく吐いて、何度か深呼吸をした。落ち着いた頃、手の甲で一度涙を拭うと、すん、と鼻を鳴らした。
「俺は宗教なんて信じないからこれは役に立たないけど、仕方ないから預かっておいてあげる。また取りに来て。俺が本部に行った時でもいい。これが役に立つ、君の元へ」
 そう言い首に掛けた。
「僕だって信じる神はいません。でも、そうします。忘れたりなんかしません」

 何も見ていなかったことに気づき一度光を見つめたのに、再び暗闇を見る羽目になったアンリには、チトセの明るさが救いだった。チトセがアンリの悩みについて知っているようには思えなかったが、それでもである。そんな彼にとって、チトセは変わった人間だった。いつも自分の好きなことをして、悠々と、飄々と過ごしているような。今まで出会ったことのないようなタイプの人間だった。武器の扱いを教えてもらったけれど、きっと得るものは他のところからも多かったのだと思う。

 しかし、残酷なことに、少しだけ時間が足りなかった。

             ◆◇◆◇◆

 翌日、アンリの乗る予定の船の出航する港には、丁度非番だったユハと、仕事をサボって出てきたチトセが見送りに来ていた。行くのを渋っていたチトセをユハが引っ張り出したのである。

 周りには、他にも各々の身内への見送りが沢山いた。二人はそれらに紛れる形となった。
 少ない荷物を背負ったアンリが、二人に気付くと欄干から手を振った。
 汽笛が出航を告げる。ユハは大声で、息子を見送る母親のようなことを言いながら大きく手を振った。一方、チトセは船を見つめたまま小さく呟いた。
「ああ、やだな、俺、やっぱり帰したくない……」
「副……隊長……?」
 ユハが見たチトセの表情は、どこか悔しそうだった。途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「だって、本当にまだ未熟な子供なんだ。気付いたからには、最後まで、ちゃんとっていうか、伝えたかった。のに、伝えられなかった。あの子、よくないこと考えてる。でも、言ったらあの子は不安定になる。だから、言わないでいた、変わることを恐れてた。気付かないふりをして。――俺は中途半端なことをした、」
「……」
 チトセは何かについて言っているようだったが、ユハにはよく分からなかった。けれど、チトセとアンリの日々は知っている。毎日変わっていくアンリも、それだけじゃない、チトセも見ていた。

 小さくなっていく船を眺めながら、黙ったままのチトセに、ユハはため息をついた。
「なに泣いとんねん」
「泣いてないですー」
 ユハは、海の揺らぎを見ながら呟く。海風が頬を撫でる。
「あんたみたいな人間は、一生弟子なんか取らんと思とったわ。隊長の頼みと言えど、面倒臭いって言うとったんはどこのどいつや?やけど、毎日楽しそうやった。心の底では隊長の言うことしか聞かんような人やったのに、最近はちょっと変わってるん、私知ってるで。……副隊長は、アンリ君のこと信用できん言うんか?あんた、思ったより心配症なんやな」
「ユハ、」
 流石に言い過ぎたかと肝を冷やしたユハであったが、チトセの口からはそんな言葉は出なかった。
「ていうかあの見送りのセリフなんなの、クソダサかったよ」
「し、失礼なー!」
 人の少なくなった港の片隅で、二人はふざけあった。

             ◆◇◆◇◆

 船は数日で、島国ユリーカから、大陸の港ザイトンに停泊した。ここから降りあとは大陸鉄道を乗り継ぎ、遠く離れたメルデヴィナ教団の本拠地、ヴァルニアを目指すのだが、アンリはその乗り場の受付で初めて驚くべきことを知る。

「鈍行しかない?」
「ああそうさ、兄ちゃんどこまで行くの」
「テトロライアまで」
「テ、テトロライア?」
 受付をしていた髭の男性が、憐れむような目を向ける。
「直行便が一ヶ月前までは出てたんだがなあ。今は鈍行とかしか無くなっちゃってな。テトロライアまでなら乗り継ぎとか停車時間とか色々あるから、それを含めて三週間くらい掛かるね。可哀想に」
「三週間……」
 来た時は一週間掛からないくらいだったのだが……仕方ない。と切符を買った。

 こうして長い列車の旅が始まった。この長旅は、アンリの極東を想う気持ちから、西方世界へと帰る気持ちを作るには十分な時間となるはずだった。そう、何も起こらなければである。

             ◆◇◆◇◆

【エルドバ】

 エルドバ、そこは砂漠の大オアシスとも呼ばれる街だ。南西には大陸の内陸部であるがゆえ砂漠地帯が広がっているが、その近くで一番の大都市。太古、交易仲介都市として栄え、最近東と西を結ぶ主要な列車が止まるようになってからは、街の姿は一部近代的になっていった。

 暗く、冷えた夜。夜でも明るいその街を眼下に見据え、高台に立つ一人の男がいた。
 吹く砂の混じった風に、羽織ったマントを口元まで持ち上げて押さえる。男は黒い帽子を被っていた。はためくマントの隙間から見えるのは、特徴的な黒と白の服。その身なりから見るに、彼は教団員であろう。
 突然電子音が響く。その彼の持つ通信器だ。慌てて取り返事をすると、相手は随分慌てた様子で彼を急かした。声は幼い少女。『塔』のものだ。

《近くで交戦中!応援に行ったげて!》
「座標は?……って、おいおい、かなり距離あるぞ」
 なんで俺がと文句を垂れる彼に、『塔』は厳しかった。
《文句言わないでよ!お願い行って!他に手空いてる暇人いないし!急いで!》
「はいはいーっと」
《あ、ちゃんと『あれ』、使ってよね!試用期間中にデータを出さないと》
「分かってるって」

 念押しした声に一人で頷き、彼は通信を切る。さて、と懐に手を伸ばす。
「初めての乗車だな」
 取り出したのは、黒い液体の入った小さな瓶。それを床に叩きつける。派手に飛び散った黒に飲まれ、男はそのまま姿を消した。







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