50話「必ずあなたを」

img



【ポルポタ ガルディナ神殿】

 ハザール帝国に接する小国の最東端、つまり中華燐朝との国境付近に、ポルポタという遺跡都市がある。かつてはこの国もハザールの一部であった。霞んではいるが過去の国境の壁が見える。古代ハザールの侵攻を止める為に城壁を築いた王朝は既に没国し、何代かの新たな王朝が続くにつれ、この城壁はただの古代のシンボルとなっていった。
 ポルポタは遺跡都市ではあるものの、その規模の小ささと破損の大きさ、そして同時代の類似した遺跡が近くにあることからその価値は蔑ろにされていた。考古学と文化保護の観点では、ハザールという国が大きく進んでいたのである。そういう意味で、ここは遺跡というより廃墟であった。
 大陸横断鉄道は、この小国を経由しない形で敷かれている。暗黒地帯が国土面積を広く覆うこの国は、西方で言うテトロライアのような文明の遅れを見せていた。特にこのポルポタ周辺は人も住みにくい地帯で実際かなり距離を経なければ集落も無かった。彼女がここを選んだのは、そうやって一般人を巻き込まないように配慮した結果なのかもしれない。


 その日は雨が降っていた。
 石畳にまばらに芽吹いた草木が、しっとりと濡れて雫を垂らす、静かな遺跡。中心にはガルディナ神殿と名の付いた神殿がある。ガルディナ神殿は今や崩壊が激しく屋根のない部分も多い。元々天井が存在していたのかもう分からないが、南側には柱が点在する広場がある。人も滅多に訪れないのか、その柱には緑が蔓を伸ばしている。
 その建造物に紛れるように、一人の女が立っていた。街の中心の広場に立つ黒髪の女性は、濡れるのも気にせずに、弓を片手に立っていた。先の折れた、深い緑のとんがり帽子、同じ色の簡素な服。現在では異質な服装だが、それは彼女なりの正装だった。
 こつり、こつりと音がする。黒髪の女性は、音のする方から現れた傘の男に集中する。
「久しぶりねリューシュカ」
 それはまるで、あの日再会した時に似ていた。
「まさか本当に来るとは思わなかった」
 視線の先には傘の男。彼の外見的特徴はこの世界で悪魔と呼ばれる種族と酷似していたが、それは悪魔のものではなく、古代の民イレイアの物だった。彼はエネミ・リラウィッチ。本当の名はリューシュカ・フラーメル。喪服のように真っ黒な格好をして、疲れた金の瞳を女……ローザに向ける。
「忌々しい魔女を葬り去ることのできるいい機会です」
「そう……!」
 ローザは歯を食いしばると勢い良く地を蹴る。彼女の手の中には刃。矢のように疾く、傘を刺し無防備に立ったままの男の元へ。接触の刹那に取り出されたナイフを触れることなく吹き飛ばし、そのまま男を刺し貫く。その勢いのまま押し倒したのだがそれだけでは終わらない。拳銃を確認すると真っ先に弾き飛ばし、瞬時に取り出した長い針を腕に突き刺したが、直後爆発が起こり、彼女は右手を負傷しながらも飛び退いた。
「小細工を……」
 煙の中から現れた男は、何事も無かったように涼しい顔をしていた。ただ彼の左腕は無くなっており傷口は焦げ付いていたのだが、傷口がボコボコと泡立つような仕草を見せたかと思えば、そこから新しく腕が生え、元通りになった。
「小賢しい真似はやめなさい。私が不老不死たる所以は超回復。お前の力では私は殺せませんよ」
「分かっているわ。私だって手ぶらで来たんじゃない。あなたも分かってるでしょう、リューシュカ」
「その名で呼ぶな!」
 その声に呼応するように、彼の後ろから炎の球が飛び出しローザに向かって飛んでいく。
「ッ!」
 突然のことに追い付かなかった。彼女は完全に避け切ることはできず、柱の上に避けたローザの服の裾を焦がす。更に追撃するように、得体の知れない白い球が飛んでくる。
 ローザはバックステップで柱から柱に避けていく。その身の軽さはおおよそ人間のものとは思えないが、彼女の足首の周辺が円状に白く光っており、それも何かの能力なのだろう。焦げていた服の裾はひらひらと動きに合わせて舞い、いつの間にか元通りになっていた。
 追撃を避けきり、柱の上からエネミを見下ろしたローザの目は、彼の背後に黒く足の多い悪魔が複数控えているのを捉えた。蜘蛛のような姿をしたそれらは人間の膝ほどの背丈があり、自然的なものではないのは明らかだ。それらはカクカクと不気味な声を発したかと思うとローザに飛びかかる。彼女は両手に炎を灯した。
「火傷するわよ!」
 飛び出した白色の糸をローザは事も無げに焼き払う。続いて彼女の背後から迫っていた兎の人形のような悪魔を避けるように神殿の中心へと降り立った彼女は、完全に周囲を囲まれた状態にあるにも関わらず落ち着いた様子で炎を展開させた。
「不知火!」
 両手に灯った一つの炎は、左右に分かれて二つになり、その炎はまた二つずつに増え、彼女の手の水平線上に無数に広がる。そして弾けたそれらは一匹ずつ敵に命中していき、悪魔は火に包まれた。
 焦げ臭い匂いと風に舞う魔灰は、降る雨に流されすぐに落ち着いた。その間に見えた男は、炎を逃れたのか傘の下で涼しい顔をしていた。
「……」
「あなた、一人じゃないのは分かっているわ。一体何人連れて来たのよ」
 ローザの視線は不意に、階段を上った先の広場に向けられる。
 そこには、燐朝の日除けのような傘を、動物を模した可愛らしい人形のような悪魔に持たせ、優雅に脚を組んで座り高台から二人を見つめる女の姿があった。彼女も魔女帽を被っており、赤い派手な格好をしている。耳は尖っており、その髪の色や目の色は悪魔ことディアイレのものである。金の瞳が意地悪く光る。
「あらあら、うちの子が燃やされてしまったわ。雨だと言うのに随分と強い火力みたいね」
 ふふと笑ったこの女の名前はメイメイと言った。ローザは彼女を睨む。
「そんな怖い顔しないでよ。私はただの観戦に来ただけ。うちの子達も勝手に付いてきてしまったようだけど?」
 その時、黙っていたエネミが口を開いた。
「メイメイ、あなたは余計なことはしないで頂けますか」
「ああらそう?まあ、私にあなたを助ける義理は無いし端からそんなつもりも無いから手出しはしないけれど。うちの子もみんなこっち帰って来させるわ」
 手で口を隠して笑い、メイメイは傘で顔を隠した。
(ま、あんな面白いリラウィッチ、滅多に見れないし。でもいいのかしら?ただの湿っぽい研究者のくせに、うちの子がいないであの女に太刀打ちできるのかしら。それでも古代の民。その力、見せてもらおうじゃない)
 メイメイが腰を据え直した時、小さい人形の形をした悪魔がやって来て、彼女に何かを耳打ちした。メイメイは目を細める。
「……そう。では、彼らにも、あの妹にも、こう伝えておいて――」
 小さい悪魔は頷くと、その場を去った。入れ替わるように、丸い小さな悪魔が彼女の側に座った。


 メイメイのことを無害だと判断したローザは彼女を追い出すことを早々に諦め、エネミに向き直る。
「……あなた、やはり力は使えないようね」
 エネミは先程から悪魔を使って(彼らが勝手に攻撃しているらしいが)攻撃はしているものの、本人の能力を見せたことは無い。それもその筈だ。彼が不死になる前、錬金術を学ぼうとしたのは彼にだけ能力が備わっておらず、それを本人が気にしていたからだ。そのことを、ローザはしっかり覚えている。――だが、傾けた黒い傘から半分見えた彼の表情は、確かに笑っていた。
「使えない?そう思いますか。私は、ちゃんと力を使えた。知らなかっただけです」
 彼は傘を投げ捨てると走り出した。嫌な予感を感じた彼女は瞬時に目隠しの力を使おうとした。
「ブラックボックス――!」
 巨大な黒い箱を出現させ、内部と外部を完全に遮断させるこの力で彼を閉じ込めようとしたのだが。
「発動しない!?」
 急激に迫るエネミ、懐から取り出したナイフは、面食らったローザに深々と突き刺さる。
 ローザはナイフを抜き、焦る心を抑えながら傷口に手を当て回復を試みる。しかしその力は発動せず、血が虚しく指の隙間から漏れていく。
「うそ、なん、で……」
「……彼女に再び出会えたから、僕は絶対に今、花を咲かせると決めたんだ」
「どういうこと……」
 雫の溢れる天上を見上げ、エネミは目を細めた。
「僕の体は古代の民の物だ。でも、死んでしまったローザの体はもう花の毒に耐えられない。彼女を見つけることができたら渡そうと思って、彼女の分だけ解毒薬を作っていた。――だが、それも無駄な物だったんだ。当時の僕は、ローザと自分だけが生き残る世界を作りたかったようだけど、とんだ誤算だった」
 そう言う彼の手の中には小さな青い瓶。それは草むらに投げ入れられた。
「私が、もう、あなたのローザじゃない、ってことね……!」
「あれ、まだ立てたのか」
 ふらりと立ち上がった彼女は、力強くエネミ……いや、リューシュカを見つめた。ナイフの先を彼に向ける。
「でも、あなたはまだ私のリュカ。私は、必ずあなたを殺す」
「物分かりが悪いな」
 リューシュカは溜息をつく。
「お前が自身があったのは、代々伝わるあの杖があったからだろう。だが、お前の杖は無い」
 彼の手の中には真っ二つになった彼女の弓。先ほど奪い取られてしまったようだ。リューシュカはただの木の塊と化したそれを遠くに放り投げる。遠くで乾いた音がした。
「何度も何度も邪魔をされてきた。最期の時までその顔を見ることになるとはな。……勝つのはお前か僕か。ここではっきりと決めよう。……必ず、お前に絶望を見せてやる」
 歪んだ感情。俯いていたローザが顔を上げた時、その表情は絶望ではなかった。まだ諦めていない。
「……二度も同じことを聞いたわ。できることならやってみなさい!」
「諦めの悪い魔女め!」
 叫ぶと、二人は刃に互いの命を乗せて、赤い雫と火花の散る、危なっかしいダンスを踊る。

「なあにあれ。野蛮だわ。とてもじゃないけど古代人の戦いとは思えないんだけど」
 目を細めたメイメイは傘の下であからさまに残念がった。
「悪魔同士や武器使い同士の戦いの方が、よっぽど面白いわ。いつもと違うリラウィッチも、もう見飽きたわ。彼も何か秘策があるんだと思ってたのに。とんだ誤算ね、もう帰っちゃおうかしら」
 そう言い懐に手をやり取り出したのは黒の瓶。しかしそれを見て、彼女は、はたと手を止める。
「やっぱり、もう少しだけ見ておこうかしら」
 何かを思いついたであろう彼女は嬉しそうに唇を持ち上げると、瓶を大事に仕舞った。
「後でお隣の国の街に行こうかしら。有名な劇団が公演をするとかで、観客も毎回超満員だと聞くわ。もうすぐ死ぬかもしれないなんて知らないで、ルティアから遥々凱旋に来るのよ。面白いわね」
「ミィ」
 傍に仕えていた悪魔が首を傾げる。
「けれど人生の終わり、目の前で流星が降ってきたらもっと素敵よね!花火で演劇のエンディングを飾る、素晴らしい演出だわ!」
 扇子を振りあははと高笑いをした女を確認すると、丸いお付の悪魔は彼女の側をそっと離れた。


 メイメイが何を企んでいるかなど微塵も知らず、二人の死闘は続いていた。
「あなたとこんなこと、したことなかった!」
 ローザのナイフは鋭く、リューシュカのシャツの袖を裂いた。同時に切っ先が掠めた右腕からは血が滲み、彼のシャツを染め上げる。
 ローザの方がフットワークが軽くリーチも長い。有利だと思われたのだが彼女は手負い。更に相手は超回復による不死身である。ローザは圧倒的に危機的状況に追い込まれていた筈だった。
 けれどふとローザは気付く。彼の腕から血が出続けていることに。ローザは攻撃の手を緩め、一度距離をとった。
「もしかして、私が力を使えない時は、あなたの回復も行われない?」
「そう思う?」
 彼は張り付いた白髪の下から淀んだ金を覗かせる。
「だとしたら、大きな欠点だわ」
「気付いたのなら教えてあげよう。この力は、科学ではなく確かに古代の力。不老不死の薬とは、不死の能力を閉じ込めた内服薬のようなものだ。同時に、僕自身の力と相性が悪く、同時に使うことは不可能」
 けれど同時に言えるのは、力の切り替えはこの男の匙加減次第。不意を突くことができなければ、彼を殺すことはできない。
「力を、後天的に得ることができるの……?どういうこと……?」
「黒の瓶にあるように、力を分離させて使うことは可能。不死の力が具現化されていた薬があれば、本来誰だって不死になることが可能だ」
 能力は一人一個、基本的に先天的な物。武器やディアイレのように、人間の枠組みから外れた物はその法則に則らないことがあるのだが、おおよそはその通りである。
 ローザが知っている常識。ローザ含め古代の民は、先天的に一つの力を自覚している。しかし記憶を持ったまま何度も生まれているローザは、その回数分、とまでは行かずとも、幾つか能力を使い分けることができる。その理由は分からない。どんな仕組みなのかも、誰がそうしたのかも。
「誰が?何の為に……?」
 一瞬上の空だったローザの頬を、切っ先が掠める。上体を大きく反らした彼女は、そのままナイフの猛攻を、後ずさりするように避けていく。すぐに建物の壁に追い込まれたが、彼女は瞬時に体勢を低くし腕を掴むと、その勢いでもって彼を壁に叩きつけた。
「聞いてリュカ、花を止めて」
 刃物を首筋に当てられているのに、死と隣り合わせになっているのに、リューシュカは平然としていた。
「それはできない」
「……っ」
「言っただろうローザ、お前に、必ず絶望を見せると」
 ローザは首のナイフで喉を掻っ切った。崩れ落ちた体、だがすぐに転がった頭は首の元に転がり、くっついてしまった。ローザがとどめを刺す間もなく彼は回復する。最後の切り札を見られまいと、彼女は飛び退いた。
「超回復って言えるレベルなのかしら……」
 戦慄を覚えながら、ローザは自らの腹部の傷を癒す。
「一度投げたものは、もう戻ってこない。一度壊れてしまっては、もう二度とは戻らない。あるのは死なない体だけ」
 ぼんやりと口にする彼は、まるで、自分自身を語っているかのよう。
「リュカ、あなた、」
「人間は滅びる。残るのは、あの村の生き残りである僕と、僕たちの子供たちだけだ。残念だったなローザ、時間が来れば、勝手に世界は終わる」
「だめ、絶対にだめ!」
 ローザは叫んだ。懐から取り出した小さな白い石。それを振ると、光る一本の矢となった。それを握ると駆け出した。
「あなたを殺す、絶対殺す!絶対に!」
「不可能だ!僕は不死身なんだ!」
「いいえ、必ずあなたを――」
「確かにそうね!」
 突然に視界が真っ暗になり、体が浮く。響いた甲高い笑い声を聞き、ローザは何が起こったのを知る。
「でも、果てる時はもっと迷惑を掛けてから果てなさい!近くの街までひとっ飛びよ!あははははは!!」
 黒の瓶、一瞬にして、使用者の望んだ場所へと、黒い液体が掛かった者を運ぶ。
「リラウィッチ、爆弾まだ持ってたけど大丈夫かしら?大丈夫じゃないわね!あはっあはははは!」
 ひとしきり笑い、メイメイはやっと落ち着きを取り戻す。
「あーあ。他人事って本当に楽しいわね」
 笑いすぎて目に涙を溜めているこの女、まさに悪魔といったところか。
「ああ……」
 溜息を付いて空を仰ぐ。
「雨雲が、すぐに引いていくわ」



 海沿いの都市ザイトンにある劇場の天井に大穴が空いた。幸い少し前に避難指示が出ており今日の公演は急遽中断。キャストも観客もその場にはいなかった。ただ、一部を除いて。
 火薬が炸裂し、劇場の柱が破壊されて建物は崩壊を始める。外にいた人々は悲鳴を上げた。爆心地が僅かに分散していたのは、ローザの最後の抵抗と言ったところだろうか。
 ステージは崩落し奈落の底。そこには小さな空間ができていた。
 薄暗くて、痛くて、煙たい。煙の分子に乱反射して、筋を残している一筋の光は、天井に空いた穴から降り注いでいるようだ。その時、ローザはリューシュカが覆いかぶさっていたことに気付いた。巨大な建材に下敷きになり、二人共身動きが取れない。彼の腹には鉄の柱が刺さっており、その先はローザの顔のすぐ側に突き立っていた。穴の開いた傷口からは、再生しようにも異物が邪魔をして上手くできない様子が見て取れた。
「……どうして、私を庇ってる?」
 咳き込み、血反吐を吐く彼は、細めた瞳でローザから目を逸らす。咳と吐息の混じる掠れた声で言葉を紡ぎ始めた。
「……愛してたんだ、何よりも。辛かったんだ、手にできた筈の幸せが永遠に崩れ去った、この世界が。――全てを終わらせたい。僕を苦しめてきたものを、積み上げてきたものを全て破壊して。それなのに、君がそうさせてくれない」
 ローザは首を振った。
「終わらない。花が咲いたら私は死んでしまう。人間は死んでしまう。あなたは、永遠に一人になってしまう。そんなこと、させない」
 彼女は世界が終わることを恐れていた。正確には、自分がいなくなって、彼が永遠に一人になることを恐れていた。
「花を止めるつもりなんて、無いね。あの時言っただろう。一度落ちた林檎は落ちるだけ、もう誰にも止められない。あの時既に、決まっていたんだ。依代の命が無くなっても、花はその場所で咲くことができる。時間が早くなるか遅くなるか、それだけだ」
 ローザはそんなこと知っていた。だから依代に死ぬことを許さなかった。
「お前のことが、世界で一番嫌いだ。けれど、ローザのことは、世界で一番愛していた。おかしい、何処かで、何かがおかしいって、聞こえる気がするけれど。……何がおかしいのか、分からない」
「リュカ……」
 彼は血反吐を吐いた。
「――お前に、必ず絶望を見せてやる。お前が願ったことを、叶えては、やらない。……お前には、世界は救えない。僕も、救えない」
「……いいえ」
 ローザの手の中には白く光る石が握られていた。
「私の勝ちよ、リューシュカ」
 ローザは目を細める。
「……一体、何年待ったかしら。何年、願ったかしら。ずっと、ずっとあなたにまた出逢いたいと願い続けてきた。今あるこの命は、あなたと出会うために授かったものだと思ってた」
 ゆっくりと背中に手を回すと、その身を抱き寄せる。
「けれど違う。もう、あなたを一人にはしない。必ずあなたを救ってあげる」
「救えないだろ。人の、新たな命が生まれなければ、お前はこの輪廻から抜けられる。……でも、僕はいつまでも、ここにいる。大地が裂けて、業火の地獄が口を開こうとも。その炎に焼かれようとも。いつまでも許されず、永遠に炎に焼かれ続ける」
 彼女の耳元で響く声は、空虚と言うには何処か寂しさを湛えたものだった。
 永遠の命を人は求める。不老不死という言葉は、俗世の欲に塗れた者には実に甘美な響きに聞こえる。今ある富、地位、名声を手放したくない。美貌を失いたくない。死ぬのが怖い。様々な恐怖から、人は不老不死への憧憬を増させるのである。
 しかしながら。永遠の時という物は実に恐ろしいものであると、頭の良い者は気付いているだろう。ましてや、高尚たる志の無い者には、いつか苦痛になる物であろう。
「いいえ、必ずあなたを救うわ。私には、とっておきがあるの」
「そんな方法があるなら、是非聞いてみたいものだな」
 ローザは微笑んだ。
「聞かせてあげるわ。後で、沢山ね。――どうして、今までこんな簡単なことができなかったのかしら。どうして許されなかったのかしら。でももう大丈夫だからね――」
 光の矢が、突き破る。光の柱が天を割る。



 光の柱は温かく、悲しく、それを見た人の多くは訳も分からず涙を落としたという。





 崩壊しかけた建物の中。逃げ遅れた女の子と、彼女を助ける為に残った男がいた。客席に忘れた人形を取りに行った為出口は炎に塞がれ、逃げられなくなったのだ。
「おじさん、あの光は天国の光?わたしたち、死んでしまったの?」
「まだ、死んじゃいないよ。……僕たちはね」
「う、おかあさん、おとうさん」
 大声で泣きじゃくる少女を抱え、必死に走る男。他に出口という出口は無く、天井に空いた穴が憎らしい。けれど無情にも火の手は徐々に広がって、彼らは逃げ場を失くしていく。
 そんな彼らの前にひょっこり現れたのは、不思議なお面を着けた人物。呆気に取られた二人を前にその人物は礼を一つして、女の声で話し始めた。
「ご覧頂きましたのは、運命に翻弄された男女の悲しい悲劇。けれども最後は和したその姿に、カタルシスを覚えたのではないでしょうか。何百年とすれ違い続けた彼らは、天上にてようやく一つになれたのです。――これにて閉幕となりますが、感じた確かな愛を、伝えてみては如何でしょうか。いなくなってしまう前に、あなたの大切な人へ」
 それは流暢な中華訛りであった。
「え、演出……?」
 少女はぽかんとしていたが、やがて拙く両手を叩き始めた。
 しかしその人物の正体に、男だけは気付いていた。
「姉……さん……?」
 その時穴から人影が姿を現わす。その後ロープが投げ入れられた。
「はあー!やっと来たわねえ、全くトロいのよぉ!その足は何の為に付いてるのよお!」
 仮面の女は叫ぶ。
「おっと」
 男は少女の耳を塞いだ。




 建物から無事脱出し、少女を親元まで送り届けると、男……ミンはへなへなと座り込んだ。
 そんな彼の前にやってきたのは、仮面の女……もとい、ミンの姉のリンであった。彼女は手を差し伸べる。
「はい」
「ご、ごめん姉さん。今持ち合わせが無くて……」
 疲れた顔で笑ったミンを無視し、彼女は無言で彼の手を取り立ち上がらせた。
「違うわよぉ。もう、私を守銭奴だと思ってるのぉ?」
「いや、守銭奴でしょ」
「失礼ねえ」
 もういいわとリンはそっぽを向く。彼女は弟を病院まで運ぶつもりだったらしい。
「――誰を好きになったって構わないけど、金の取れない奴だけはやめておきなさいよねえ」
 ミンは溜息をついた。
「はあ……姉さんは……。でも、ローザからは結構貰ったでしょ。ちゃんとしたとこで換金するんだって、姉さんうるさかったじゃないか」
「あんなの最初だけじゃない」
「それまで死にかけてたくせに」
「あんたもでしょお?」
「痛っ」
 軽く殴られ瞳に涙を浮かべたミン。けれど彼は久しぶりに姉弟のように接することができたことを、何となく嬉しく思っていた。

 最後の仕上げだとメモを書き残して、ミンの前からいなくなったローザ。ここで出会えるとは、彼も彼女も思っていなかっただろう。
 振り返ると街の自警団が消火活動をしている様子が見えた。だが、彼にはその内部の光景がありありと浮かぶらしい。そっと呟くと、その場を後にした。

(ローザ。……おやすみなさい)



◆◇◆◇◆



【ポルポタ】

「折角教え子の最期をこの目で見てやろうと思っていたのに。あいつも呆気がないな」
 神殿の近くの茂み、青草の合間に隠れるように転がっていた青い瓶を、白い服の男が拾い上げた。
 黒の瓶に比べ、瓶の形も美しいそれは、青い光を放って揺れる。
「リューシュカ・フラーメル。元々花を止めるつもりは頭目無かったらしいが、これを使えば、もしかしたらできるかもしれんな」
 彼はそれを懐に仕舞うと、大袈裟に溜息を吐いた。
「大魔術師の弓矢。今のうちに折っておくかと思ったが、どうも探しづらい状況にしてくれたなあ、あの女。恨みを買うのは良いが、背中を刺されないように注意をするんだな」
 白い服の男は、少し離れた場所で下品に笑っている女を横目に立ち去る。

「さて、レコードまで先回りだ」

51話へ