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36話「罪と罰 下」





「あなたは花となりゆく人間だから。……世界を破滅に導く、毒を持った花よ」

 確かに目の前の女性はそう言った。
 ひゅ、と、喉から空気が漏れる音がした。
 信じられないと言ったように、彼はその言葉を反芻する。
「毒を持った、花……?」
 やたらと抽象度の高い言葉だと思った。アンリはなんのことだと言いたげな顔をしているが、ローザは至極真面目な調子で続ける。
「あなた達が悪魔と呼ぶ物と人間との間には、違いが幾つかあるでしょう。その大体は悪魔に害を及ぼす要素の方が多いということは知っているだろうけど、一部人間だけに影響を与える要素があるの。……もしそれが拡散されたら、パンデミックのようなことが起こるでしょうね。そしてそのトリガーとなる種と呼ばれる物が、あなたの中にあるのよ」
 息を飲んだミン。しかしアンリは、突然のことでそれを受け入れきれずにいた。
「は……?何故、 そんなもの、人の中に」
 その声は心なしか震えていた。
「宿主から奪いエネルギーを溜める必要があったんでしょうね。生まれつきではないと思う。それから、隠すのにも最適」
「取り出すとか、そういうのは……?」
 ローザは無言で首を振る。
「無理よ。種と宿主は、時間と共に完全に一体化してしまう」
 それは死をも意味する残酷な宣告だった。
「それを証拠に、あなた、悪魔達に気付かれ始めているんじゃないかしら。何か違うって。本能的に、傷付けられないって。それにそろそろ自覚症状が出てきてもおかしくない頃」
 アンリは黙りこくってしまった。心当たりが無い訳では無い。必死に、違和感を覚えた記憶を辿る。
『あなた、いい匂いがする……』
 自分に好意を持つと言った悪魔の少女の言葉が蘇る。『花の種』と呼ばれる物が悪魔にだけ好意的な作用を示すものなら、彼女が自分から接触し、あんな行動を取ったのも理解出来る。
 図星だったかとローザは眉を寄せる。そして彼女は畳み掛けた。
「あなたが生きている限り、破滅は防げないわ。――けれど、宿主を殺せば種も一緒に力を失う」
「!」
「ローザ!」
 彼女は案外、直接的に死ねと言ったのである。
 当事者であるというのに落ち着いたように見えていたアンリだったが、俯いて腕を抱き、か細い声で口にする。
「意味が分からないですよ、そんなの。――これは、罪に対する、罰ですか……」
 やはり心中は穏やかではない。しかし、そんな様子とは対象的に、妙な落ち着きがあった。彼は息を飲んだ。
「……でも、僕がいなくなれば、」
「あなた、馬鹿言ってるんじゃないわよ!」
 突然のローザの叫びに、アンリだけでなく、隣で座っていたミンも、思わず顔を上げた。立ち上がった彼女はアンリの肩に手を置き、強く言った。
「今のは鎌を掛けただけ。駄目よ、そんな選択肢を選んでは!諦めるなんて、死ぬなんて!そんな馬鹿なこと!」
 その時、深い海に沈んでいた激情が、一気に噴き出した。
「じゃあ……っどうするって言うんですか!誰も、彼も、生きろ、生きろって、これはもう僕だけの問題じゃないでしょう?!受け入れたくないって言ったって、死にたくないって言ったって!本当は、どうすることもできないんじゃないんですか!……っ、」
 それは不安と怒りと悲しみ、そして悔しさの表れだった。これは彼自身、何も悪くない故に余計感情の整理がつかないのである。生きることをやめるなと自分を励ましてきた言葉たちは、まるで責任を持たない。
 再び俯いてしまった彼に、ローザは悲しげな表情をしながらも口を開いた。優しい声だった。
「受け入れきれないのも、無理は無い、分かるわ。だって、あなたは何も悪くないもの。あの人が謀ったことよ」
「……あなたには分からない……僕の気持ちなんて」
 俯いたまま、ボソりと呟いた声を彼女は聞き逃さなかった。パン!と両手で彼の頬を挟んで、ローザは激を入れた。
「しっかりしなさい!グダグダ悩んで何になる?迷って立ち止まって何か起こる?違うわ。あなたは!受け止め、行動しなければならないの!進まなければならないのよ!理不尽な現実に縛られるのが運命なのだとしても、それはあなただけじゃないのよ。だからこそ、それを認めあなたは受け入れなければならないの!」
「……!!」
 彼は、彼女の言葉の意味を理解したようだった。次に呟いたローザの口調は優しかった。
「分からないこと、無いのよ。言ったでしょ、私、普通の女の子だったのに。こんなことになるなんて思わなかったわ」
 ローザ・シャーマン。彼女は転生を繰り返す運命を背負う。だがそれは突然訪れ、彼女もまた受け入れざるを得なかった。
「ローザ……」
 隣で静かにしていたミンに、ローザは笑いかけた。
「ふふ、舐めないでもらいたいわ。私は何百年も年上のおばあちゃんよ」
「お、おばあちゃん」
「そうよミン。あなたもみんな孫みたいに見えるわ」
「そんなこと君の口から聞きたくなかったなあ。君は僕のヒロインだから」
「ふふ、残念」

 アンリはと言うと、落ち着きを取り戻し、じっと掌を見ていた。
「得たものを、手放すのは心苦しいですね」
 でもこの痛みは、得たからこそ感じるもの。それがどれだけ大切だったのかを証明する痛み。

「でも、よかった」
「何が?」
 ミンが不思議そうにアンリの顔を見た。アンリは一人呟いた。
「あの人の呪いじゃなかったんだ。やっぱりあの人は、僕を恨んでなんかない」
 そう、勝手に許されたような気がした。青い世界のエメラリーンが微笑んだ。

◆◇◆◇◆

 時は僅かに遡る。

 レイの話は、我々が悪魔と呼んでいた存在は古代の人間達の末裔である、ということであった。今まで自分達がやってきたことを省みながら、すっかり暗くなってしまった三人だったが、そこへと、段々と近付いてくる足音を聞いた。
「!」
 緊張が走る。だが、暗闇から現れたのは一人の緩い気を纏った糸目で白衣の男だった。
「おやおやー?誰か人がいると思ったら、メルデヴィナの方じゃないですか。こんな所に座り込んで、どうしたのかと思っちゃいましたよー」
 彼らが驚いたのは、彼が突然現れたことだけではない。今まで見えない仕切りがあって移動できなかった場所をすり抜けて歩いてきたからだ。アーサーが勢いよく立ち上がる。
「お前……お前がこの壁を作った張本人なのか?だったら」
「待て、アーサー」
「え!?あ、はい!」
 サクヤがアーサーを制し、彼の隣へ進み出た。サクヤを見てアーサーは目を丸くした。
「あれっ壁は!?」
 アーサーとサクヤの間には見えない仕切りがあったはずだ。だからこんなところに座り込んで。……振り返って後ろに手を伸ばしてみると、その手は宙を切った。白衣は顎に手をやり、「やっぱり彼だったのか。もしくはトラップか……」などと呟いた。
「いつの間にやら解けていたようだ。どうやら、彼らがやってくれたようだな」
 サクヤがアーサーに言う。
 それを受けて目の前の白衣は更に距離を詰めると、意地の悪そうな表情を浮かべ、アーサーの顔を覗き込んだ。
「それなのに赤い腕章の副隊長殿ったら、僕に失礼なこと言っちゃってさー。僕が寛容でなければあんなこんな根回ししちゃう所だったよー」
「す、すいません……大変失礼しました……」
「あなたは研究社の人ですね?この建物とはどういった関係で」
 サクヤの問いに、白衣……シリス・レヴァーニャは、首を振った。
「現管理者かもしれないけど、作ったのは僕じゃないよ。見ての通り、もう使い物にならないからさっさと壊したかったのに、随分と着手に時間が掛かったね?お陰で誰かさんがトラップを仕掛けていったよ」
 嫌味たっぷりな彼の言葉の一部に、サクヤは強く反応した。
「現管理者……つまり、」
「社長をやらせてもらってるよ」
 シリスはにっこりと笑った。
「そんなことより気になってることがあるんだけど、君達オラルトの遠征隊に入ってた?支部が壊滅した、」
 突然話題が変わったが、三人中、二人は心当たりがあり、各々の反応を示し、また昔のことを思い出していた。
 オラルトでの事件についてだが、あれは、とある村にて子供が悪魔の被害にあっているから調査してほしいとのことだった。向かったメリゼル班と三番隊サクヤ組達だったが、サクヤとアーサーの行方も分からなくなる。そして彼らを助けに行ったレイン・セヴェンリーが圧倒的な暴力でもって研究所を壊滅に追いやってしまったのだ。……しかしその事件で重要なのは、メルデヴィナ教団にバックで援助をしている研究社ピコというのは、外っ面だけは良いものの、かなり怪しげで実際人道に反したことを平気で行っている集団だということであり、同時にそのことを理解していない人間が、メルデヴィナの組織の中でも多いということも問題であった。実際、オラルトでの研究所と、スポンサーの製薬会社であるピコとは別物だと思っている人間も多い。また、多少の進言や影響力は持っているだろうが、一体どれほどピコがメルデヴィナ教団の内部まで手を入れているかを理解していなかった。それはサクヤとて同じである。
「あれは、お互い手違いがあったのでうやむやになったと聞いています。それを蒸し返すのは、」
「ああ、立場のある人間ではなく、僕個人の質問って言えば良かったな。ただ興味が湧いただけ。ま、犯人探しをしようってつもりじゃないし?もし君がそうだったら恩を売りやすいかなって思っただけー。ねっエーネ?」
 グレヴォラ以外に前の名で呼ばれるのは、いい気がしない。サクヤは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「そう言えば、ニコライ君、優秀だったのに、どうしたの?いなくなって君も寂しくない?」
「……その質問には答えかねます」
 限りなく薄らとした記憶の中、世話をしてくれていた研究員と、揺らぐ意識と視界の片隅に映った、脳天にナイフの突き立った男が重なる。はっとしたシリスは顔を覆った。
「ああ、ああ、もう。ごめんね、僕今少し機嫌が悪くってー」
 パッと手を広げ、にこりとしたまま、白衣は人差し指を立てた。
「何も、僕は嫌味を言いに来ただけでも、楽しく雑談しに来たわけでもないんだー。わざわざ僕が君達に声を掛けたのは他でもない。忠告」
 彼の言葉に、三人はざわついた。だが、彼の口から出たのは、予想外のことであった。彼は大きく天井を仰ぐ。
「この建物、中心に大きな穴が空いていて、地下まで空洞ができていることは、地下から上がってきた者なら分かるねー?大きな柱も幾つか崩れ落ちたこの建物が、どれほど長く持つと思う?」
 階層毎に大きさは違えど、地下までひどく崩れていることはアーサーがよく知っていた。
「それは……。!」
 その時、不穏な音がした。何かが割れるような、砕けるような。その直後、建物は大きく揺れ始める。轟音の中、呑気にシリスは叫んだ。
「あははすごく良いタイミング!すぐ脱出した方がいいよ。それは僕もだけどね!アハハ!さあ!依頼人のことを守ってもらおうー!」
 出口を探して走り出した一同。混沌とした中、呑気にシリスは笑いながら、アーサーに担がれていった。



 煩かった音はすっかり静まり返った。乱れた息をやっと感じる。無我夢中で走ってきたことを思い返しながら辺りを見渡すと、静かな森の中、さっきまで自分たちのいた建物は、その半分をものの見事に崩壊させていた。
 立ち上がる粉塵が落ち着くのを待っていると、翼の生えた仲間が宙を飛んでアーサーの元へやってきた。
「アーサー!無事なのですか!?……あれっ、あの男は?」
 レイの言葉にはっとして、あたりを見渡したのだが、白衣の姿は無かった。記憶を必死に辿ってみても、確か一緒に脱出したはずなのだが……
 その時、足音がして、誰かが近付いてくるのが分かった。身構えたものの、それは無駄なことと知る。
「……アンリ!」
 彼とは、この研究所に入ってから一度も会っていなかった。
「良かった。お前も逃げることができて」
 だがアーサーは何かに気付いたようだった。表情を硬くして、ゆっくり近付く。
「…………アル……?」
 アンリの背に負われた少女は、眠ったように動かなかった。彼は頷いた。
「崩壊が起こる前に、既にこの状態でした。呼吸は安定していますが、早く帰りましょう。心配です。ちゃんと診てもらわないと」
 彼の瞳は暗かった。そんなことには気付かなかったアーサーは、明らかに動揺した様子で「あ、ああ」と頷いた。
「俺、背負うの代わるわ。かなり疲れるだろ」
「……ええ、お願いします」
 彼らの様子を見届けたレイは高く飛び、未だ見えない三番隊の隊長の姿を探した。


 崩壊の混乱に乗じてこっそり逃げようとしたシリスの腕を、強く掴んだものがあった。それはサクヤだった。彼女の口調は強い調子だった。
「待ってください。聞きたいことが」
「やだって言ったら?」
「この依頼をしたのはあなただと言いましたね。そして、この仕事はもっと早くに行われるはずだったと」
「この人僕の話聞いてないよ……」
 困り顔のシリスに、サクヤは強い調子のまま続けた。
「こんな状態なら、もっと早くに崩壊してもおかしくなかった。なのに丁度我々が来たタイミングでそれは起こった」
「普通に考えて閉め切ってた所開けて中で暴れたからじゃないのー?」
「中に巣食っていた悪魔というのもたったの一匹限りというのもおかしい。彼だってあんな環境で何故こんなに長く生き続けられた?そもそも何故人を悪魔にする実験をしている?……しかもあなたはピコの人間、しかも社長ですよね?わざわざ我々に依頼しなくても、自分の力でなんとかできたのでは?」
「あーーーもう質問は一個にしておくれよー。というか痛いよー」
 呆れたように叫んだシリスの様子に、サクヤはハッとして、その強い力で掴んでいた手を離し、「失礼、」と咳払いをした。シリスはぽんぽんと腕をはたく。
「あのね、君たちと違って僕達は非武装勢力なの。中見たでしょー?悪魔が一匹暴れただけで、酷い惨劇になったんだよ、それに、気付いてないだけで僕ら結構依頼はしてるから」
 そこまで言うと、「はい!」と彼は手を叩いた。
「じゃあね、また会う時はもっとましな格好ともっとましな場所で」
 そう言いにっこり笑うと、シリスという男は、真っ白なままの白衣を翻し、その場を立ち去った。

「彼は社長と言ったのですね」
 背後から聞き馴染んだ声が降ってきて、振り返ると、やはり、鉱物のような重そうな翼の生えたレイが降りてきた。
「ああ。我々のスポンサーの」
 レイは眉を顰めた。
「サクヤは知っていたのですか?ピコが我々に力を貸すのと同時に、非人道的な実験を行っていたことを」
「知っているも何も。私はそこで造られた人間だ。何となく、大きな力を持った組織であることは分かっていた」
 冷静に返したサクヤに、レイは思わず声を荒らげた。
「でもっ、おかしいと思わないのですか?!知っていた癖に!何故そんな冷静でいられるのです?!何故そんなことができるのです!メルデヴィナ教団は、世界の悪意を排除する組織。悪魔を殲滅させ、世界に平和と光をもたらすことを理念に掲げているというのに!それに賛同し力を貸す研究社自体は、陰に隠れて教団に排除されるようなことを平気で行なっている!」
「確かに、おかしい。私だって、あそこまでとは思っていなかった。レルが、あんな姿にされるなんて……」
 悔しそうに、サクヤは拳を握りしめた。
「でも、もっとおかしいことがある。知っているのに情報を制限したり、裏で手を回しているのに何故か交錯したり、要するに、我々が弄ばれているような節がある所。そして、それがまかり通っている所。私の知らない、手の届かない所で、何かが起こっている……」
 レイは目を細めた。
「ボク達は、誰の為に、何の為に戦っているのでしょうね」

 顕になった真実と、言い知れない無力感の中、この物語は幕を閉じた。


◆◇◆◇◆

【とある男の自供】

 ああもう気分が悪い!何てったってまたあの人!いつでも邪魔なのはあの人!今回だって、なんてことをしてくれてんだろう!ほんとそろそろ嫌になっちゃうよねー。
 研究所が僕達には何ともできなかったのは事実。だから教団に依頼したんだ。けれど、片付ける実力が無かった訳では無いからねえ?勘違いしないでよねー。
 あ、「悪魔が巣食ってる」だって?えへへ、いい表現でしょ?無論、その大半は既に死んでいるよ。地下にいっぱい浮かんでたんじゃないかな。
 え?何言ってんの。悪魔みたいなことをやる人間達だよ。あそこはまるで地獄絵図。開けたら最後、災いしかない悪魔の匣。ああエネミさんと一緒にしないでよね。僕はあんまり気持ち悪いことは受け付けないんだ。あの人は手段を選ばないからね。え、よく知ってるって?へー。あんまり興味無い。
 それにしても君達も十分悪趣味だよ、家路に着く前に捕まえてこんな椅子に縛って!普通にお話を聴くだけならもっといい方法あったでしょ!君たちのことも嫌いになりそうだよーうわっ痛い!ごめんなさいー!君たち、乱暴なエネミさんって感じで危険だよ……特に白いの。
 ん、どうして素直に話してくれるかって?決まっているよ。僕エネミさんのこと嫌いだから、エネミさんのことを嫌いな君たちとは友達なんだ。敵の敵は味方って言うでしょ?それに僕、君たちのバックとお友達なんだー。というかその、君達が手に持ってるのが怖くてね。僕痛いのは嫌だからー。

 はい。満足した?そう。じゃあこの縄解いて……解いて。ちょっと?解いて!ほどいてー!どこ行くのー!ねえー!







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