8話「フィルグラード」





 北方スヴェーアに教団が持つ支部は、首都より北のフィルグラードにあった。何しろ亡くなった前皇帝が、外観を壊すからという理由で教団を首都に置くことを嫌ったからである。そもそも首都に、国でさえないのに巨大な力を持つ軍隊というイレギュラーな存在などを置くこと自体嫌だとは思うのだが。そこは国として上手く避けようとしたのだろう。実際フィルグラードは暗黒地帯のすぐ傍の辺境地である。
 三番隊、そして五番隊第四班とメリゼル班こと同じく五番隊第五班は、フィルグラード支部の門の前にいた。
「ねえ……何これ……」
 アルモニカはその他の隊員同様、建物を見て唖然とする。ここは殺風景な本部とは全く違い、外観が古城だった。そして一部教団とは思えない趣味の悪そうな黒い部分がある。まるで一部が魔王城だ。
「現第二テトラールキである二番隊隊長が、あの黒い所を好きに改装しちまったらしい。城なのは初代の趣味だとか。聞いてちゃいたが、これはすごいな」
 見上げ、素直に感心しているアーサー。確かにここが教団支部だと言われなければ、立派な城である。けれども、ここは教団だ。本部を見てきたこの遠征隊にとって、城である必要は分からないのである。
 門の前、集団の先頭にはベルガモットとサクヤ。サクヤは武器を使っていないのか、義手の入っていない腕をはためかせ、代わりに髪が腕のようにふわふわと動いている。
 先程出てきた子供のような出で立ちのエクソシストは二人と話をすると、顔を青ざめて中へと引っ込んで行ったが、入れ替わりに一般文官が小さめのタンクをいくつか持って出てきた。
「お待ちしておりました。決まりとして、敷地に入られる前に聖水を被っていただくことになっています。寒いかもしれませんが、中でも揮発性の高い聖水を用意しましたのでどうか」
「やはり被らなければならないか……」
「ええ」
 文官の言葉にざわつく"儀式"未経験者達。とりわけレインはマフラーを鼻の上まで上げ、その冷たさを想像して震えていた。
「み、水被るの?!何でそんなことするの。周りに撒いてないの?」
「本部と違って毎日撒いてたらすぐ無くなって調達が大変だろ」
「何でフレッドはそんなに冷静なんだよお!」
「おいおいあんまり騒ぐなレイン。ほらフレッド手伝え」
「はい班長」
「わあああん!」
 メリゼルとフレッドが押さえつけたことにより、真っ先にサクヤが髪で構えた聖水を被ったレイン。目をきゅっと閉じたレインだが、暫くするとすっと熱が奪われたかと思えば彼の服は乾いていた。
「ぎゃっ冷たい!……あれっ?」
「揮発性の高い聖水だ。高いんだぞ?」
 いたずらっぽく笑うメリゼルだが、彼女もガタガタと震えている。
 サクヤは端から容赦無く順番に上から荒っぽくかけていく。
「はい、はい……アーサーは……っと。はい」
 何故かアーサーの前だけ、掛けそうになりながらも危なっかしく素通りすると、また順に掛けていく。聖水を被ったアンリは水を滴らせながら、拭いもせず不思議そうな顔をして呟く。
「どうして――」
「聖水アレルギー」
「?」
「聖水はジクロロフィチルって言う物質が主な材料なんだが、どうやら俺はそれがだめみたいで。じんましん出るから」
「ジクロロフィチル……変わったアレルギーですね?」
「ああ」
「聖水はだめだったのね」
 アルモニカも知らなかったようで、納得したように濡れた体を少し遠ざける。気付いたようにアンリも離れると、おいやめろと笑いながらふざけて小突く。大丈夫なのだろうかとひやりとしたが、なるほど高い聖水だ。アンリもアルモニカも気付けば乾いていた。

 中に入ると意外にも知った顔が出迎えた。
「遅かったのです!」
「レイ、来てたのかよ」
 車椅子に座ったふわふわな赤目の子供が、ぽこぽこと怒ったように顔を赤くする。
 子供、一見性別が分からないのだが一応彼女と呼んでおこう。彼女の車椅子は普通のそれとは少し違うようで、アンリも見たことがない。きらきらと光る何かが背もたれの左右両側、後ろに付いている。どうやらあのか細い腕でホイールを回さなくともそれが代替の推進力となるのだろう。動く度にぱたぱたしている。
「全く。いつもボクをのけ者にして!ボクの任務の到着まで待てなかったのですか!」
「お前は速いから、それを見込んでのことだ」
「ほっ褒めても何も出ないのですー!」
 サクヤに怒りながらも少し嬉しそうなレイ。
 彼女は先日まで別の任務に一人で行っていた。終えてすぐ、自分を残して発った三番隊を追いかけ魔魂武器ヴィクトリアーラでここまで飛んできたと言うのだ。
 それにしても。と、レイが率直な疑問を口にする。
「列車の速さを計算して急いで飛んできたというのに一日も遅れてくるとは。一体何してたのですか」
「昨日ここに伝書鴉を飛ばしたのだが返答が得られなくてな。許可が降りなかったんだ。昨日何かあったのか?」
「?何も無い普通の一日だったのです。……どうやらここは本部に比べて空気が自由ですから、もしかすると本部なら問題になるようなこともここでは取りだたされないのかもしれないのです」
「それはどういう……」
 少し意味深な回答をしたレイ。サクヤはあまり気にしないようにした。ここではそうなのだろうと割り切って。
 彼女は隊員に振り返る。
「私は隊長と、第二テトラールキに会ってくる。少し待っていてくれ」
「私は行かなくても良いと思うのだが」
「隊長が行かなくてどうするんですか。そう言っていつも何処かに行ってしまうんですから」
「すまんな」
「謝ることはありません」
「怒ってるな?」
「レディ氏いらっしゃるといいですね」
「やはり怒っ――」
「行きましょう」
 短い言葉を繋ぎながら立ち去るサクヤとベルガモット。その背を見ながらアンリが呟く。
「隊長は話せたんですね」
「正確には違うんだけどね。背中を向けてたから見えなかったかしら。話しているのは武器よ」
「魔魂武器にそんな能力が。興味深いですね」
 アルモニカの指差す隊長の背には、形は銃剣と似ている、彼の武器ゲオルグ=サイデリケがあった。彼の開かぬ口の代わりに声を出すと言うのだ。因みに仕組みはアルモニカにもよく分からない。
「本部では武器の使用は禁じられてるんだけど、ここでは平気みたいね。一体どうなってるのかしら」

 アンリな不意に、こちらをじっと見る視線に気が付いた。他でもないレイだ。
 レイとは以前、交戦しお互い傷付け合って以来会っていなかった。ずっと謝りたいと思っていたのだ。
 しかしどう切り出そうかと迷っていると、レイはアンリに来るのですと言い、左手でアンリの腕を掴み自分の目線の高さになるようにすると、伸ばした右手をアンリの頭の上に乗せた。
「アンリと言うのでしたね。アンリはボクが認めた相手なのです。だから許してあげますのです」
 中々に変わった事を言うレイ。きょとんとしたアンリに続ける。
「ボクが怪我を負ったのはあれが初めてなのです。初めてそんな相手が現れて、偶然と言えどちょっと嬉しかったのです」
「でも、痛かったでしょう?ごめんなさい」
「アンリの方が痛かったのです」
 そう言って微笑みぽんぽんとアンリの頭を撫でる。なんだかすごく変な心地がした。
 見ていたアルモニカとアーサーが口々に呟く。
「レイちゃんが他人を認めるって、初めて見たかも」
「お前、偶然だなんて。本気で負けたことは認めないだなんてやっぱりお前らしいな」
「アーサーはうるさいのです」
「えっ、そんな、だって」
「確かに今のはうるさかったわ」
「ううう悪かったよ」
 詰り合いながらもどこか楽しそうに話す三人を、アンリは見上げながら少し不思議な感覚に捕らわれていた。きっと、いつか自分も自然とこの中に入りたいと思ったのだ。しかし彼はまだ自分の気持ちをよく分かっていない。すこし、感情が変化したのを感じた。


 待っていろと言われているのに、メリゼル班の面々は早くも彷徨きその個性を開花させていた。
「サ、サクヤさん、どこいくんだろ。それに三番隊の隊長さんと仲良さそう……」
 そわそわとレインは小さくなっていく背を見つけつづけている。そんな彼のお守りことフレッドは、冷静に返す。
「なあレイン。今第二テトラールキに会いに行くって言ってたよな」
「よし尾けよう」
「ええ?そんな発想になるか?!あっそうだったお前そんな奴だったわぶっ飛んでたごめんな」
 だらだらと呟きながらも、だっと走り出したレインを逃がさぬべく必死に掴んで引き止める。しかしすごい力で振り払わられ、彼は無惨にも床に転がった。レインはやらなきゃいけないことがあるんだ!とそう言い走って行ってしまう。
「おわ……いってえ……あいつ力の加減知らないから」
「甘噛みを知らないパンダのようだ。さながら君は飼育員か」
「別にうまいこと言わなくていいんだよヤジロー。見てないであいつ止めろよ。他の奴も三番隊も」
 余程痛いのか、床に寝たまま唸るフレッド。しかし傍で先程コメントしたメリゼル班の青年や周りは非情だ。無理だと言う意思を各々示す。
「ぐすっ遂にアンリや班長まで……この風潮やだ……」
「ただし、いくら自由な空気が漂っていると言えどもあれは怪しいな。そろそろ補導されてる頃か」
 メリゼルがそう呟いた時、タイミング良くガタイのいい男性に担がれた、涙を流しながら離せと懇願する先程のパンダがあっさりと捕獲されてきた。やはり怪しかったのだ。


「どう思うレイクレビン」
「どうって?いつも通りさ。お前の部下達は愉快だなあと思ってな」
 メリゼルは、呆れたように壁際に立っていた第四班班長に声を掛ける。彼は腕を組んだまま笑う。
「お前の班はそれでいいと思う。少し個性的だけどな。……エクソシスト三番隊とも関係は良いようだし」

             ◆◇◆◇◆

「レディ上一級エクソシストがいらっしゃらない?」
 執務室の前で、二人は第二テトラールキに会いに来たのだが、二番隊の副隊長である男性、リザヴェーダにしか会えなかった。有り得ないという顔でサクヤが声を上げる。副隊長のリザヴェーダは申し訳なさそうに汗を拭いている。
「ええ。恥ずかしながら、完全に私の落ち度なのですが……このような置き手紙を残して」
 彼がおずおずと差し出した紙切れには流れるような文字で、[旅に出ます。探さないでください]と書かれている。
「あの人のことですから、何も考え無しに出ている訳ではないと思います。ですが……」
 目の前の男性は、皺の寄った眉間を解すように揉む。下がった眉や白髪混じりの黒髪からは、エクソシストには珍しい老齢さが感じられる。しかしそれはあのような破天荒な上司を持ったからなのか。
 ベルガモットはいつも通り動かない口のまま、全く驚かない様子で言う。
「仕方ないな。会談は彼女の代理であなたに出てもらうが構わないか」
「勿論。そのつもりでいましたし。共同演習の方も、西部の班員のことはお任せ下さい。あちらは部下に任せます」
 会談とは新皇帝となったアレクセイ2世との会談のことである。皇帝自ら教団に対して呼びかけたのだ。恐らく、前皇帝と自分は違うという宣言だろうか。どちらにせよ、本部直轄のテトラールキが出向かなければならない。本来ならその土地のテトラールキである二番隊隊長も。

             ◆◇◆◇◆

 この地に遠征に来た理由の一つに共同演習がある。
 何故そんなことをするか。それは本部の一般隊員の悪魔と戦う経験の少なさにある。
 一般隊は、悪魔との戦闘は勿論、本部の警備や治安維持、時に魔女狩りと称されることもする。しかし本部に本籍を置く一般隊員は割り当ての場所との関係もあり、悪魔と戦ったことが無い、最悪遭遇したことすらない者もいる。その為若い隊員の多い班を悪魔の遭遇率の高い地へと割り振り経験を積むのだ。実際、この一般隊の無能さはここに来る途中で既に証明されてしまっている。

 雪原の中、遠征隊は制服の上から支給されたコートやマントなどの装備を纏い整列している。
 そんな中、ピンクの変わった色をした髪の女の子が、前に立って元気良く跳ねる。やたらに長い東洋の剣を背中に背負った女の子だ。
「はあいこんにちは!昨日は間違って伝書鴉を切り落としちゃったチュコ・アルバリヒだよ!今日はビシバシしごくからね!」
 それにしても何か聞き捨てならない発言が聞こえた気がする。周りがざわつく。
 その時、突然にどこからか機械音と人の声が聞こえてきた。
《チュコ!私がいなくても真面目にしなさい》
「あーん通信器が盗聴モードになってる!もうリダちゃんったらー」
《なっ、何を――》
 テンションの高いままチュコは通信器を叩き割る。ばらばらと落ちた部品を足で器用に雪に埋めると、何事も無かったかのように進行する。
「さ、キア洞に向けて出発するよ。ちゃんと付いてきてね!ここではあたしが隊長なんだからね!班長より上なんだからね!!」

「あいつ大丈夫かよ……」
 後ろから見ていたアーサーが思わず声を漏らす。
「でも、現地の人間だし中級エクソシストだし。大丈夫じゃないかしら」
 エクソシストの格で、大分信用度は違うようだ。
「そう言えば、朝に隊長達と話してた人じゃないですか?すぐに入っていってしまった」
「チュコは鴉の話を聞いて真っ先に副隊長のリザヴェーダに謝りに行っていたので、実は悪い人間ではないのです」
 聞こえないよう小声で話す三番隊。暫くして指定されていた配置についた。

 演習と言えど悪魔と遭遇する為に来たのだから、悪魔の出没する所へ向かう。エクソシストである三番隊の仕事は、大きな驚異となりうる悪魔から一般隊員を護ることである。三番隊の面々は、一行を囲むようにして配置された。

――キア洞。先生が昔何か言っていたような。……全く。出会った頃の記憶は朧げで当てになりませんね。

 アンリは少し考え頭を降る。嫌な予感が少ししていた。

             ◆◇◆◇◆

【前夜 黒の森】

「ローセッタ!――ローセッタ……!」
 夜の森。月明かりだけを頼りに、息を切らせ少女が駆ける。靴はどこかに行ってしまったのか、白い足は石や草で切って傷だらけである。
「ローセッタ……」
 へなへなと土の上に座り込んだ少女の名はトーレ。目の前に広がる赤は、元々魔女の家だった。彼女の大切な友達だった。友達。それ以上かもしれない。
 村人達が魔女を殺すと言っていた。止めようとしたけれど、小さな子供にできることなど無かったのだ。唯一の肉親である兄は今日も"仕事"である。彼女の痛みは誰とも分かち合えない。
「ローセッタ。あなたは死んでないんでしょ?あんな、あんな大人達に、……そんな訳」
 頬を水が伝う。大きな目は、揺れる炎だけを見つめている。信じられず、呆然とするしかなかった。

「あの子供か?村人の言っていた、魔女の仲間というのは」
「取り敢えず連れていけ」
「逃すより、ハズレでも可能性のある方がいい」
「にしてもあんな子供を売るなんて、あの村はどうなってる」
「さあな」
「手柄は俺な」
「しっ声が大きい」

 だからであろうか、近付くいくつかの足音に気付かなかったのは。

 黒い腕が彼女を掴む。声を上げて逃げる間もなくトーレは捕まってしまった。縄で縛られ袋に入れられる前に見えたのは、闇の中と、やはり赤く燃える友達の家だけだった。
 袋の口を閉じられ、視界は完全に闇となった。
「い、いや!!出して!」
「おい、暴れるな」
「ううっ……ひぐっ……」
 布越しに拳が飛んできた。痛みに涙が溢れる。抵抗はそこで止めてしまったが、それを境に涙が止めどなく流れる。

――ローセッタ。私、死ぬのかな。死ぬってどんな感じかな。ねえ、怖い、怖いよ。……お兄ちゃん……

 村の人達からは嫌われていると言えど、たかだか村八分だった。でなければ自分は生きてこれなかっただろう。
 けれども彼女は一人だった。
 数年前エクソシストを名乗る人物が村に来た。その際唯一歓迎したトーレの家族だったが、直後に村は悪魔に襲われる。悪魔を見慣れていない村人たちは心底恐怖し、その恐怖から生まれた猜疑心から、村を襲った悪魔は余所者を引き入れたこの家族のうち二人が魔女であるからだと村人たちが揃って糾弾し始めた。すると、あろうことかこのエクソシストは二人の目の前で両親を亡き者にしたのだ。そしてこの兄妹は両親を失った。兄はいつも仕事。けれど、ローセッタのいない今、頼るべきは兄しかいない。
――お兄ちゃん。イサアクお兄ちゃん……
 暗闇の中で名前を呼ぶ。けれども兄は現れない。思えばいつもそうだった。大好きな兄は、居て欲しい時にいない。トーレはずっと寂しかったのだ。
 不意に先日出会った人物を思い出した。旅人であるが故に仲良くしてくれたお兄さん。エクソシストだった。
 ……もしかしてローセッタは助けてもらった?燃えたのは家だけで、どこかで生きてる?そのような期待がどこかで生まれた。しかし、自分を運ぶ男の台詞でその淡い期待は砕かれる。
「ローセッタは回収したか?」
「ああ。……酷い姿になってたな」
「魔女の最期はあれか……」
――ローセッタは、しんだ。しんだ?……私もしぬの?
 恐怖が頭を支配する。深い悲しみと恐怖とが混じり、彼女はひたすら泣いた。
 あの時両親を亡くして以来ではないか。こんなに泣いたのは。







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