アリア・レコード三章


【長方形の湖】

 澄んだ水と、色とりどりの花の咲く美しい湖。それを眼前に一人立った男は、腕を伸ばし、手のひらを下にしてゆっくりと開いた。

ぽちゃん……――

 吸い込まれたのは一体何だ。
 それはその男しか知る由もない。


◆◇◆◇◆

39話「彼らの話」
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 悪魔達が跋扈し、人間の生活が脅かされる世界。メルデヴィナ教団が国境を越え大きな力を持った世界。
 しかし、武器使い……俗に言うエクソシストが台頭した時代、その時代だけは終わりを告げようとしていた。


 メルデヴィナ教団。その中で大きな権力を持っていたのはエクソシストであった。なぜなら、彼らが団長などの役職を務めていたからだ。それは元々は弱かった彼らの立場を守る為のシステムだった。そのことが一般に忘れられる程、彼らは社会的地位を獲得したと言える。
 しかし、そのことを揺るがす事件が、過去に起こっている。

 『聖夜事件』と呼ばれるその事件は、かつて団長であった男が、組織を破滅に追い込もうとした魔女であったことが発覚したというもの。当時本部三番隊隊長であったローセッタ・ノースと共謀しことを起こそうとしたが失敗に終わったとされる。
 それともう一つ。聖夜事件において主犯格はサズ・ホリーという名の男だが、彼と密接な関係を持つ人物、アンリ・クリューゼルが起こした事件がある。
 以下は当時のテトロライア王国内で発行された新聞の抜粋である。

〈 彼は二年に渡り教団に務めたが、全てはホリー容疑者の指示で動いていたとされている。そして現団長を殺害し、メルデヴィナ教団を混乱に貶めた。その後クリューゼルは悪魔と協力し逃走、その後行方が分からなくなり、現在も逃亡中である。教団当局は彼を、ホリー容疑者と同じく『特別指定魔女』通称『トクマ』に認定。周辺国に協力を要請した。〉
〈 メルデヴィナ教団は団長空座の混乱期を迎えた。四つの柱も折れており、天井を支えるには不十分。エクソシストが不当に優遇されていた為起きた事件と、組織の脆さが浮き彫りとなった。これから悪魔絡みの問題が起きた時にしっかりと対応できるのかなどという不安の声があちこちから聞こえてくる。教団側の真摯な対応が求められている。〉

 エクソシストは危険だ。彼らが生まれた当初のように、世論は逆行し始めていた。



 この煽りを受けメルデヴィナ教団は、通称魔女狩りと称される、内部の大掃除を始めた。

 聖夜事件において主犯格とされているサズ・ホリー。彼は姿を消してもなお影を残していた為『亡霊』と呼ばれていた。今回の事件は『亡霊の遺産』が『災厄』を引き起こした第二の聖夜事件という形となった。奇しくも、二年前にニルス・グレイヤーが言及したように。その為、大掃除ではサズ・ホリーと関係のある人物を炙り出すというのが目的であった。
 一番に疑われたのは本部三番隊。しかしその行動から一番怪しいとされていたクロウ・ベルガモットが既に他界していたことを理由に、彼らは脅威を持たないという判を押された。唯一滞団期間の短かったアルモニカ・フリィベルだけが召集されたそうだが、彼女も特に処遇が変わるわけではなかった。
 そう、彼らは“対外的には”魔女狩りを行った。

◆◇◆◇◆

 本部のとある一室。外部や教会宗教関係者上層部との対応に特に追われたこの部署は、一際慌ただしさを見せていた。
 しかし、一日中缶詰なのは良くないと言い出した部長は、ランチタイムだけは仕事を切り上げるよう命じた。そして今彼は、部屋の片隅でゆっくり昼食を取っていた。はずだった。

「おい、お前に構うための時間ではないぞ。膝から降りなさい」
「ええー。酷いのです。ボクもお昼を食べたいのです」
「俺の弁当に集りに来たのか」
 この男……ロイド・ステンスレイの横でただをこねるのは、白いふわふわの髪に大きな赤い目をした痩せ型の子供であった。本来ここにいるはずのない人物、三番隊所属のレイ・パレイヴァ・ミラである。
 同じ部屋にいた彼の部下が、二人の様子を見てクスリと笑う。彼女と目を合わせたレイは、ここぞとばかりに不平を漏らす。
「ロイドが意地悪するのですー」
「ああ!場所を移すぞ。来い」
 弁当の蓋を閉め、花柄の布で丁寧に包み直すと、彼は弁当とレイを抱えて部屋をあとにした。

 混雑した食堂の隅で昼食を再開する。大事な愛妻弁当を少しでも取られるのは我慢出来ないと言わんばかりに、わざわざレイのお昼まで買ってくる世話焼きなステンスレイであった。
 表情豊かにミートパスタを頬張るレイを見ながら、彼はサンドイッチを齧っていた。もぐもぐと咀嚼しながらレイが口を開く。
「ロイド、仕事は忙しいですか?」
「ああ、旧教会のじじいのうるさいのなんの。本当にうちは独立したのかって感じだ」
「それ教皇派に聞かれていたら消されてしまうですよ」
「はは。ここにはいないだろうよ」
 そう言いつつ彼は次のサンドイッチに移る。
「……訊きたいことがあるのですが」
「なんだ」
「内部の魔女狩りで、誰が狩られましたか?」
 ステンスレイの手が止まった。レイの赤い瞳が覗き込む。
「誰を狩りたかったのですか?ボク達以外の誰を」
 ステンスレイは暫く止まったままだったが、「誰でもない」とだけ言うと、またサンドイッチを口に運び始める。レイは怪訝な顔をした。
「誰でもない?」
「そういう風潮なのは分かるだろう。何か対策を練っているように見せないとな」
「外部を満足させる為だけに、仕事をしているふりをしているのですか?」
「不服そうだな」
「だって――」
 レイは閉口した。「お前は正義感が強いやつだからな」とステンスレイは言う。
「お前は誰が悪いと思うんだ?今回吊るし上げられるのは三番隊そのものだと思うが。隊長のロヴェルソン女史が責任を取らされる可能性が大きいがそれもされなかったみたいだな。……お前はどうなんだ?あいつが本当にあんなことしたと思うのか」
 亡霊の災厄がもたらした事件。レイにとってはそんな大層な呼び名ではなく、良い仲間、良い友人だった彼のことだ。テーブルの下で、レイは強く拳を握り締めていた。
「真偽はどうあれ、ボクは信じるのです。彼がこの為だけに今までボク達といたなんて思わないのです。でも、前団長が亡くなったのは本当なのです……本当は今回、ちゃんと調べて欲しい……」
「お前らしいな」
 ムッと下唇を出したレイは、いきなり手を伸ばしステンスレイのサンドイッチを箱から一つ奪う。
「ああ?!お前はお前のを食べていろよ!」
「もう食べ終わったのです!」
「一体どこに消えるんだか……」
「重い武器を扱う武器使いはよくお腹が減るのです」
「どうだかな……それうちの家内が早起きして作ったやつだから有難く食えよ」
「ふふん。惚気は良いのです」
「手厳しい……」
 ぺろりとサンドイッチを食べ終えたレイは、肘を付いて、のろのろ飯を食べるステンスレイを見ていた。
「それでも、みんな困惑しているのです」
「ああ」
「アルモニカ、可哀想なのです」
 小さな声で呟いた。
「ロイド、何か知っているなら、どうか」
「……ああ」
 ステンスレイは最後のサンドイッチを口の中に押し込んだ。箱はパンくずを残し空になった。また可愛らしい花柄の布で箱を包みながら、彼はぼそりと零す。
「悪いが俺は干渉できないが、あいつ、何か面倒事に巻き込まれたな」
「え?」
「さて、」
 何か言いたげなレイを残し、彼は立ち上がった。腕時計を見る。
「そろそろ昼休みは終わりだ。また仕事」
「……ロイド」
「何?」
 顔を上げたステンスレイに、にこりと笑いかける。
「お仕事頑張れなのですー」
「ああ、ありがとう」
 手を振ると、彼は行ってしまった。一人残されたレイは、少し考え込む。
(はあ。これじゃああの時何の為にロイドについて行ったんだか分からない)
 レイにとってあやふやなまま終わらせられるのは心外であった。ましてや正義が曲げられることなど。正しい事をして不当に扱われる事も解せなかった。正しい世界へ。誰もが幸せになれる世界を願っている。大それたことと思うかもしれないが、レイは至極真面目にそう思っていたのであった。
 そんなレイにとって、今回の事件についても、それに対するロイド・ステンスレイ含め文官達の対応どちらもそのままにしておけなかった。
(何か面倒事……ねえ。無理に探せばこちらの身も危うくなる可能性もある)
 近いうちにどうにか調べられないかとレイは考えていた。しかしその直後彼女はあることに気づき、はっと辺りを見回す。車椅子無しでここまで来てしまったが、どうやって戻れというのだ。その時タイミング良く知り合いの青年が通りかかる。レイはにこやかに手を振った。
「フレッドー、ボクを運んでほしいのですー」
 振り向いた彼は、一般隊のフレッド。身長は無いが朗らかな青年である。レイの元までやってくると、恭しく胸に手を当てた。
「何ですお嬢さん、どちらまで?」
「うわ、なんなのですか気持ち悪い……」
「酷くね?」
 軽口を叩きながらも彼はテーブルを片付け、レイを背負うと三番隊のほぼ私室と化したミーティングルームまで歩を進める。

「……フレッドはどう思うのですか?」
「ん?何の話してんの?」
「アンリ」
 彼の足が止まった。
「どうしたのですか?」
「あ、ああ。いや、」
 彼はまた歩き始めた。
「ちょっと思い出したんだ。アーサーと喧嘩したこと」
「アーサーと?何故突然……」
「ああ」
 フレッドはレイに語り始めた。

……
 フレッド・ジョージア、彼はアンリと寮の部屋を共にする所謂ルームメイトであった。ただアンリは夜も任務に出ていることや、東方に行っていて全くいない期間があった。またフレッド自身レインという別の友人の部屋に頻繁に行っていたりしたので、そこまで毎日どんな様子かまでは知る由もなかった。
 そんな彼が団長を殺害して逃亡したという話を聞いた時、全く信じられなかった。フレッドの知っている彼は、何を考えているかよく分からないが結構面白い奴で、温厚で、案外気弱な人間だ。それでも教団は彼をトクマ(特別指定魔女)に指定した。記憶の中の彼と、周りから聞く、現実の彼が全く一致しなかった。……だが、ある時見せた彼の心の闇に、一抹の不安を覚えていたのも事実だった。またそれを受け、何もしなかったことも。

 そのような混乱の中、アンリと同じ本部三番隊のアーサー・エルフォードがフレッドの元をわざわざ訪ねてきた。今思えば、彼もフレッドと同じような気持ちだったのだろう。しかし、フレッドからすれば、アーサーの方がアンリに近かった。彼なら何か知っていると思っていたのだ。

「フレッド、何か知ってるか」
「は?」
 思わず大きな声が出た。事務室から出てすぐの場所であるので、声を抑えるのに努めようと思った直後のことであった。
「何だよそれ……何か知ってるかって、何なんだよ……お前、アンリのことホントに何も知らないのかよ。なあ、あいつがどれだけ苦しんでたか!なんで何も知らないんだよ!お前、同じ隊じゃないか!親友じゃないのかよ!」
「知らねえから訊いてんだろ!」
 ふと出た大声に、我に返った二人は、ふいと顔を背けると、小声になった。
 涙目のフレッドが、つぶやくように続けた。
「俺だって……分からないよ。アーサーなら、何か知ってるかと思った」
 アーサーは沈黙していた。しかし、ゆっくりと口を開く。
「話してくれねえと、分かんねえよ。俺、あいつのこと、全然知らねえ……」
「……俺は、本当は気付いてた。きっと助けてって言ってたのに、俺、見て見ぬ振りした。最悪だ……全然お前のこと責められないよ」
「……」

 後悔ばかりが募る。沈黙を続けたアーサーは、そのまま踵を返して立ち去った。……それきり一度も口を利いていない。
……


「仲直りはした方がいいのですよ。その様子ならごめんの一言で済むのです」
「ああ。そうだね」
「仲間割れなんかしたって知ったら、悲しむのです」
「うん」
 背負った小さな体から発せられる、大人びた優しい言葉。フレッドは淡白な言葉を返し続けた。


 フレッドの脳内でふと蘇る記憶。それはある夜のことだった。

 ……ああ……そんな、ごめんなさい、ごめんなさい――

 真夜中、ふと目が覚めたのは、偶然ではなかった。
「……?」
 身体を起こす。二段ベッドの上で寝ていたフレッドは、ベッドから降り、部屋の明かりをつけた。
 二段ベッドの下で寝ていた彼は、荒い呼吸で苦しそうであった。汗と涙で頬や額に金の髪を張り付かせていた。ただならぬものを感じたフレッドは、すぐさま揺さぶり彼を起こす。
「アンリ、おいアンリ!」
「……!」
 深海から突然引き上げられたように、前後不覚になっていた彼は、暫く茫然自失といったようだったが、フレッドの顔を見て、やがて、「大丈夫です」と笑ってみせた。フレッドはその言葉に弱かった。大丈夫には見えないのに、安堵してはいけないのに、その言葉にほっとしたのだ。
「大丈夫です。起こしてごめんなさい。……怖い夢を見て泣くなんて、子供みたいですね」
「……そっか。無理するなよ」
「はい」
 人の闇を覗くのは怖い。あの時彼は確実に、目を背けて逃げたのだ。


 目的地に着く。しかし両手が塞がっている今どうやって扉を開けるかと言わんばかりの時、偶然にも扉が開いた。二人はそのことに驚いたばかりでなく、同時に現れた人物に驚いていた。
「……アーサー」
「おお……扉の前で何やってんだよ、びっくりした」
 低い調子で返した彼は、扉を押さえたまま二人を見た。早く通れと言っているようだ。だがフレッドは動かなかった。
「何やってんだ?」
「あ、あのさアーサー、」
「?」
「その、ごめんな。俺、あの時。年下にやることじゃなかった。ごめん!友達として謝る!」
 意を決したフレッドの謝罪に答えるように、アーサーはゆっくりと口を開いた。
「あー、えっと?何の話?」
「ええー!?」
「ちょっとフレッド?どういうことなのです。作り話は良くないのですよ!うっかり信じたのですよ!」
「嘘じゃねえよ?!」
「いや、だからお前ら何の話してるんだ?」
 彼らは全く噛み合っていなかった。


 取り敢えず落ち着こうとアーサーが言い、二人を奥のテーブルに座らせるとコーヒーとココアを一杯ずついれてきた。それを二人の前に置くと、彼はテーブルに体重を預けた。

「ええとつまり。フレッドは俺に謝りたいとずっと思ってたと」
「でもお前は喧嘩したなんて微塵も思ってなかったと」
「良かったのですフレッド」
「うん……複雑……」
 落ち込んだままココアに口をつけるも、沸騰したてのお湯のあまりの熱さに勢い良く口を離すと、息を吹き掛け続けた。彼の様子を見ながらアーサーは口を開く。
「俺もあの時は気が動転してたからな。何言ったかなんて覚えてねえ。ごめん。……あんたは年上なのに偉ぶらないし昔から俺と友達でいてくれる。そんな人のこと嫌いになるかよ」
「お?このタイミングで俺褒められた?」
 にかっと笑ったフレッドに「褒めてねえよ!」叫ぶアーサー。しかし、その直後、目を逸らして拳を握り締めた。
「怒ってなんかない。……あんたには」
 独り言のように零した言葉に、フレッドはレイと顔を見合わせた。
「……怒っているのですか」
「は?だから怒ってな――」
「フレッドには怒ってないんでしょう?」
 真っ直ぐ目を見て話すレイに、アーサーは思わず目を背ける。
「そうだな」
 アーサーは居心地悪そうに一つ咳払いした。レイはぱんと手を叩き、手を合わせたままにっこり首を傾けた。
「まあまあ、言葉遊びはそれくらいにして」
 そして時計とアーサーの顔を交互に見た。
「アーサー、何か用事があったのではないですか?こんな所で油を売っていても大丈夫なのですか?」
 アーサーははっと何か思い出したようだ。慌てた様子で言い残す。
「うおおお危ねえ!じゃ、俺は行くから。コップは適当に片付けといて!」
「はーい」
 彼が出ていったあと、閉まる扉の音を聞いてから、ふふとレイが笑う。
「よかったのですフレッド。アーサー怒ってないって」
「うん」
 彼は微笑んだ。
「そう言えばアーサーはどこ行ったんだ?何か仕事あんの?」
「さあ」とレイは首を傾げる。
「何やら隊長副隊長だけでやってる仕事でもあるようなのです。ボクなんて末端のお仕事なのですよ。ボクは最近巡回に出されるのです」
「そっかー」
「半年くらい前から森が広がっていますね、そのせいで巡回も頻繁になったのですが。……フレッドは知っていますか?」
 森が広がっている。レイはそう言ったが、これは暗黒地帯の拡大を意味していた。
「ああ、そのせいで大陸横断鉄道が一部運休になったんだったな。別の路線の方もやばいんだって?」
「ええ。共同管轄地帯になるのですがね、……気乗りはしませんが。――ああもう、アーサーが巡回に行った時にカジノで遊んでないでちゃんと原因を突き止めてくれていたらボクが何度も出向く必要無くなったのに!」
 レイは分かりやすく頬を膨らませる。ぽこぽこという音が聞こえてきそうだ。
「あー、あの盗賊団捕まえた時の。……何度もって、レイちゃんが一回の遠征で解決出来なかったからなのでは……?」
「……」
「あああごめん、ごめん!」
 むくれたレイを必死に宥めるフレッドであった。

◆◇◆◇◆

【本部隊長執務室】

 現在のメルデヴィナ教団は団長空座状態にあった。
 こういう状況で混乱した本部を纏めるのは本来西部テトラールキの仕事であるはずだったが、その役職を務めていたクロウ・ベルガモットの殉職後、その役目は全て団長に振られていた。次期テトラールキを決める前にその団長がいなくなってしまった今、残された者達の負担は大きかった。上級官達や一般隊トップやエクソシスト隊の代表は議会を開き、メルデヴィナ教団の総意として事を進めていた。
 今まで通り順当に団長を決めるのであれば、テトラールキNo.1のグロリア・レディである筈だ。しかし放浪癖のある彼女は、この期に及んで召還に答えることは無かった。その次に挙げられたのは、南部を指揮しているエリック・ジェイル。彼を召集しようとしたのだが、彼はNo.4のニルス・グレイヤーを推薦した。南部は人手が足りないというのだ。
「こんな事態に陥っているというのに来れない、か」
 呆れたようにレイクレビンは溜息を吐いていた。しかし全て読んでいたかのように、連絡を入れる前にグレイヤーは本部にやって来たのだ。

「緊急事態ということで、仕事を伝えるつもりで助太刀に参りました。レディ氏が見つかるまでの間にこの組織が潰れてしまっては困りますから」

 グレイヤーが公にとったスタンスは、あくまでも「お手伝い」であったが、このまま団長になるつもりなのだろうと上級官の間では実しやかに囁かれていた。だが実際、旧協会関係者や一般世論は、武器使いが団長となることに難色を示していた。

 彼は一通り現状把握と仕事の分配をした上で、アーサーとサクヤを集めて話し合いの席を設けた。それも一度や二度ではない。
「そんな独断でことを進め、咎める人はいれど罰することはできません。何故なら彼はいないのですから。社会的にね」
 二人にはそう言い、彼はこの行為を正当化した。


「貴女の口から直接現状把握がしたい」
 会議の第一回目、グレイヤーはそう言った。
「いくら軍事組織とは言え、トップが独裁者のように振る舞うことはできませんね。聖夜事件が起こった後……八年前から本部では、団長にもテトラールキにもそれ程大きな権限は与えられていません。各隊隊長、上級官代表、テトラールキ、団長、時に教会の者も交えた会議で話し合う。まあ、最終決定をするのは団長……本部ではテトラールキですが。今回の件について、あなたはどういう選択を取ったのですか?」
 今回の件とは、団長が殺害された事件のことだ。
「私自身ではない……私達で決めたんだ。私は一隊の代表に過ぎない」
「それであの処遇。妥当でしょうね」
 サクヤの回答に、狐は納得していた。

◆◇◆◇◆

 グレイヤーは二人を集めた。拠点は隊長執務室だ。
 小さな台を囲むように、三人は対面していた。
「今日も来てくださりありがとうございます。早速ですが報告を。何か変わったことでも」
 いつもは何も無いを貫き通していたサクヤが口を開いた。
「……ここには何かいるんだ」
「何か……?」
 その言葉に、アーサーは眉を寄せる。しかしグレイヤーは大して反応もせず返した。
「ああ、ようやく話してくださいましたか。……そうです。ですがそんなことくらい分かります。前回来た時から何か余計なものがいることには気づいていました」
「あなたは一体何者なんだ……」
「何者も何も。共鳴士の力です」
「共鳴士すげえ……」
「造作もないこと」
 ふふんと上品に笑うと、さてと、とグレイヤーは組んでいた両手を広げた。
「問題はどうやって彼らを燻り出すかです。このままだといつまで経っても出てきてくれないかもしれませんからね」
「このままではいけないのは分かる。ただその後のことも……」
 怪訝な顔をしたアーサーが、恐る恐る伺いだてるように手を挙げる。
「水を差すようで悪いんすけど、彼らって何です?」
「何かです」
 答えになっていない答えを狐は返した。困惑したアーサーがサクヤの顔を見ると、苦い顔の彼女もまた「何かだ」と言った。アーサーの顔は腑に落ちていないようだった。
「この組織には何かがいます。ですがそれがどんな性質を持った物なのかも私達は知りえません。しかしそれとどうにかして対話しなければなりません。できれば私達のフィールドで――」
 言い終わらない内に、グレイヤーははっと顔を上げる。何と、出入口の付近に二人の女が立っていた。三人は驚き身構えた。
「あら何?私達のお話してるわけ?こそこそしてないで私達も入れて欲しいものよ」
 そう言ったのは、黒髪の女。教団の制服と似ているが、赤と黒という全く別の色をした制服を着ているのが何よりも印象的だった。顔立ちは落ち着いているもののそれは大陸の東に住んでいる人間のものだった。
 もう一人、黒髪の女の後ろからひょっこりと顔を出したのは、ふわふわとした金髪の少女であった。彼女はクールで大人びた和女と違い、人形のように可愛らしく表情も豊かであるようだった。
「いつの間に……!」
「えっへん!ミカミは隠密行動と変装が得意なんだ!」
「馬鹿!何喋ってんのよ!」
 女は金髪の少女の首を締めようとするが、彼女はするりとその手から逃れる。

 様々なことに各々驚いている三人に、黒髪の女は咳払い一つした。彼女の顔を見て、少女はおとなしく後ろに下がる。
「私達、とある宣告をしに来たのだけど」
 ニヒルな彼女の微笑みは、やがて訪れる混沌と戦いの幕開けを静かに告げていた。







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