16話「時の巫女」





【マリュデリア】

 今日のマリュデリアは小雨が降っていた。水が地面を濡らし、生温い空気はしっとりとした土の匂いをさせる。
 しとしとと降る雨の中、ミンとローザは傘を差して買い出しに出ていた。ちなみにミンがローザをよく連れ出すのは、彼女の探し人と出会う確率を少しでも上げる為であるそうだ。なんというか、ほとんど街から出ないのでは意味がないような気がするが。

 マリュデリアの端にある便利屋の事務所。その割れたままの窓からリンは外を眺めていた。
 彼女は先日、負傷したまま何とか帰ってきてそのまま死んだ様に寝ていたところを、弟のミンに介抱され医者にも見せてもらった。彼女からすれば大仰な処置のせいで、彼女はベッドから動けなくなったのである。まだ目覚めてから時間をあまり経ていない。

「全く、今度も酷い怪我したんですねえ」
 キッチンから紅茶の匂いを纏わせ、一人の男が出てきた。男はしっとりした黒い瞳を持っており、笑みと共にそれを弓なりにした。口元は緩やかなカーブを描いて結ばれている。彼がそのまま左手の茶のカップを差し出すと、リンは少し眉を顰めた後それを受け取った。
「別に酷くもないわよ。少し大袈裟なのよぉ」
 そして一拍置いて、
「というか、あなたがわざわざこっちに来たのはあれでしょお、例のあれよね。心配しなくてもちゃんとやっといたわよお。あっちに、」
「いえ」
 指差したリンを遮り、男、エネミ・リラウィッチはにこりと笑った。
「どうやって取ってきたのか聴きたいんですよ。教団がいたんでしょう?私はあなたのお話を聴きに来たんですよ。私はあちらには居ませんでしたので」
「別の所にいたならいないのは当たり前でしょお……」
 正論を述べたあと、分かったわよとリンは先日のことを思い出し始める。オラルトの暗黒地帯でのことである。

【回想】

 リンの人攫いの仕事はついでであった。もう一つはエネミから頼まれた仕事である。正確にはどちらがついでであるなどと言えるものではなかった。彼からの仕事は高難度だったが、報酬は弾んでいたので彼女は快くそれを引き受けた。
 人攫いで薄い信用を得たリンは、拾ったエクソシストを使って所長に取り入り内部に入り、こっそりと目当ての物を探していたが、侵入者の教団員により所長共々足止めをされてしまう。

 気が付くと揺れている感覚と、何かじんわりと温かかい感覚があった。
「……?!」
 足は簡易であるが布で止血してある。そして誰かにおぶられているようなのだ。
「っ!」
「起きたのかな」
「わあ目を覚ましたね!死んでなくてよかったね!」
「それは最初に確認しましたよケイト」
「むーっそうだったかも」
 赤の飛び散った空間で、どこまでも白いワンピースをひらひらとさせている、このアホそうな女とこの保護者には見覚えがある。
「ちっ、お花畑の運び屋じゃない」
「おはなばたけ?」
 きょとんと首を傾げたケイトに、慌ててルートは「幸せで楽しいって意味だよ!」とフォローになってるのかないのかよく分からないフォローを入れ、ケイトはそれに大いに喜んでいた。
「そういえば、僕らのこと知ってるんですか」
 運び屋はその界隈ではブラックリストに入れられる程奇妙な行動を取っている為、一部ではそこそこ有名である。触れないのがいいと、触れられても放っておくのがいいと。
「ええちょっとね。それより私、用があるから放っておいてくれるぅ」
「んー?用って仕事?便利屋の?」
「……私のこと知ってたのね」
「わあっルート!適当に言ったら当たっちゃった!」
「すごいねケイト」
「……」
 別にシラを切ればそれで良かったのだ。完全に運び屋のペースに呑まれている。
「てことは私達、商売敵を助けちゃったんだね?きゃあどうしよう!実は隣のおじさんが味方だったのかも大変!」
「そうかもしれないけど、こんなところで怪我してる人を放っておくことはできないって言ったのはケイトだからね……」
「そうだった!」
「別に助けてもらわなくたっていいのよお」
 リンはあまり彼らに関わりたくなかった。
「遠慮しなくても良いですよ。僕ら運び屋ですから、今は無償で近くの村まで送ります」
「お金は取らないよっ」
 二人の自由すぎる緩い空気にあてられて、彼女の警戒心はほぼ薄れていた。
「なら悪いけど、ついでに地下四階まで送ってくれるぅ」
「お安い御用だよっ」
「ケイト、走っちゃだめだよ」

 どこまでも陽気な二人のせいで気付かなかったが、やはりどこも殺伐としていた。全部あの時の教団員がやったのだろうか。
「ルートは私のナイトだね!敵はばんばん倒してくれるし、こうして手が空いてない時は誰とも会わないんだもん」
「一応今は人が少なそうな通路を選んでるんだ。それでも、あの教団の人が掃除してくれたからってのが大きいけどね」
「そういえばあの人、私達のこと無視してったねえ。そんなに存在感無かったのかなあ?」
「うーんそれは分かんないけど」
 まさかである。こんな惨状を作り出したのはあの教団員だけでなくこの男もだったのだ。彼らがどの経路を通って来たのか、そもそも何の為にこんなところにいるのかは知らないが、この死体と瀕死の人間の中に彼が手を下したものもあるのだろうか。こんな中でも笑顔な二人に少しぞっとした。

 リンの目的の場所に着いた。リンはあれから二人と別れて一人で向かったが、足の痛みで意識が朦朧としていた。別れる際にどこから見つけてきたのか、女から松葉杖を授けられた。見つけてたなら早く寄越せよと彼女は毒づいた。
 それらしい部屋を見つけて忍び込む。懐から取り出したのは、エネミから渡されていた小型の記憶媒体である。彼女には全く馴染みのない物だが、エネミから散々丁寧に扱えと言われたそれを、言われた通り一番奥の機械に言われた通り差し込んだ。そしてやがて音を鳴らしたそれを引き抜き、彼女は戻った。

……
「ざっとこんなもんねぇ」
「ほうなるほど」
 そうしてぬるくなった茶を飲み干して、カップを近くのテーブルに置いた。エネミは見えていた記憶媒体を持って戻ってきた。
「あんたはそれを持ってさっさと帰りなさいよお。ちゃんと報酬は置いていきなさいよねえ」
「ああ、これなんですけど」
 摘んだそれを、ふふ、と顔の近くまで持ってきた。
「こんなものは元々どうでもいいんです」
 リンは耳を疑った。
「私も知ってますし、作れますし、それより――」
 気づけば彼の手からそれは分捕られ、リンによって窓から投げられていた。丁度通りかかった商人の馬車の車輪がそれを踏み、バキッと音がしたように感じた。粉々とまではいかないがひびくらいは入っただろう。
「あーあ。高いんですよ?」
「どうでもいいってどういうことなのぉ?何の為に私はこんな面倒くさいことになってるのお」
 彼女は笑っていた。
「本調子出ましたね」
「出ても困るわよぉ。からかってるわよねえ?」
 すっと懐からドライバーを取り出したところでエネミは重そうな布袋を取り出した。
「そういうものは仕舞ってくださいよ。しっかり報酬は差し上げますから」
「ならいいわ」
「こういうところ、あなたらしいですね」
「うるさいわね、薄気味悪い面は早く失せなさいよぉ」
「ええ、ええ。分かってますよ」
 比較的満足そうなリンを置いて、出ていくエネミ。しかし、ああ、と一言、
「その怪我で、一人で生きて帰ってこれる筈がないと思うのですが、もしや何か忘れていませんか?」
「?」
 リンの頭に疑問詞が浮かぶ。そうしてふと、あの後のことを思い出した。

 やることを終え戻ろうとしたのだが、倒れ込んでしまう。膝をついた時に激痛が走り、意識が飛びそうになった。
「あ、あは……だめね。やっぱり無理だったかしらぁ……」
 揺らぐ視界の中、誰かが走ってくるのが見えた。
「大変!」
 黒髪の、ああ、
「ミン……?」
 彼女は弟の名を呼んでいた。
「ミン、帰らなくちゃ……お願い、ごめん、ね……」
 そうして視界は暗転した。

 しかしそのあと、うっすらと聞こえた言葉を思い出したのである。

「ねえルート、助けなくっちゃあ!お願いされちゃった!それに私からもお願い!」
「そうだね。よし、行こう」

 まさか。
 隣の建物の事務所の部屋の開いた音が聞こえた気がした。しかしそれは杞憂などではなく、階段を下りる音、足音と共に姿を現した。

「わあ。もう大丈夫なの?良かった!」
「ケイト、怪我人にあまり大きな声を聞かせるものじゃないよ」
「うん分かった!」
 なおはしゃぐケイトと抑えるルートを見ながらリンは一言だけ肩を落として言った。
「最悪」
「なんで?!」
「こっちが聞きたいわよお、何で!」
「ミンさんが暫く居てもいいと言ってくださったんです。お世話になります」
「いそうろうします!」
「ああもう。あなたたちといると調子が狂うのよお」
 額を押さえたリン。暫くは彼らに頭を悩ますこととなるだろう。

             ◆◇◆◇◆

 傘の中、雨の打つ音と、声がやたらと響く中でミンはローザに語りかける。
「あとは、こっちのリスト。これだけでおしまいだよ」
 片手に荷物、片手に傘を持ったミンは、ふとローザが付いてきていないことに気付く。不思議に思って後方のローザを見やると、彼女は呆然と前を見据えて立ち尽くしていた。手から落ちそうな荷物が、遂にバシャンと水を跳ねさせた。
「……ローザ?」
 前方から声がした。ミンが振り返ると、少し離れた所で男が傘を取り落としたまま濡れることなど気にせずこちら、いや、ローザを見ていた。
「リューシュカ」
 ぽつりとローザが呟いた。
「……ローザ?ローザ!ローザッ!!」
「リュカ!」
 名前を呼び、走り、二人は強く抱きしめ合った。
「随分と掛かってしまったよ」
「本当に、本当にあなたは……」

 涙するローザを見て、ミンは彼が“あの人”なのだと悟った。彼は心のどこかで、見つかってしまった、とそう思った。


「マリュデリアには、魔女がいるんだって」
「魔女?」
「うん!昔おとぎ話で聞いたことあるんだ。ルートが聞かせてくれたんだっけ」
「あ、ああ。……魔女じゃなくて、巫女の話かもしれないね」
「そっかあ!……あれ?昔のいつだっけ」
「えっ」
「うーーん……」
「無理して思い出さなくてもいいんじゃないかなあ」
「そうだねルート!だってほら見て?」

 彼女の指さした先、晴れた空には虹が掛かっていた。


「なあローザ」
 男、リュカと呼ばれた、もといエネミ・リラウィッチはローザの肩を離して黒い目で見つめ語り掛ける。
「僕は君を探すために不老不死になった。奪い取った技術だけど、そんなことはどうでもいい。やっと出会えたんだ、新しい世界を作ろう。僕と、君だけの」
「新しい、世界……?」
 訝しげなローザと対照的に、エネミは嬉しそうだった。
「そう。そうすれば君をもう見失わなくて済む。種は撒いてある。僕たちの子供もこの世界には沢山いるけど、もう、いいよね」
「何言ってるの?子供なんて私、知らない。いないじゃない。それに世界を?どうするつもりなの。リュカ、おかしい」
 後ずさるローザだが、その肩を強く掴まれる。
「おかしいだって?!この僕が?君こそ、ローザ、君は」
 身をよじり、彼女は顔を背ける。
「やめて、いや、嫌だ。リュカ、来ないで」
「ローザ、」
「来ないでッ!」

 ローザの強い拒否はエネミを貫き、彼は目を大きく見開いた。ざあっ、と雨の音が戻ってきた。暫く続いた沈黙を、先に破ったのはエネミだった。
「――そうだ」
 そう思い出したように、ぼそりと独り言を零した。べっとりと濡れた黒髪を肌に張り付かせ、その隙間から覗く瞳はローザではないどこかを見ていた。
「ローザがいなくなってから、ローザを生き返らせようと、不死になってもっと研究しようと。ローザが何処かで生まれ変わっていると耳にしてから、私はずっと探していた。でもあまりに見つからなくて、ローザはもういないんだと思った。生き続けるのが苦しくて、あまりに暇で。私は全てを知りたかった。でも、君を見つけることが最優先だった。いや、そのような気がした」
 そうして、ゆっくりローザの方を見た。
「私は、私の一番が君なのかが良く分からない。……僕のローザは、本当に君?」
 ローザは立ち尽くし、その何か言いたげな唇は、言葉を紡ぐこともできないまま震えていた。
「僕を拒否する君は、きっともう僕のローザじゃない」
 ローザは膝から崩れ落ちた。
「僕のローザはもういない、そう、私は、この世を、そう、私は」
 ぶつぶつと一人呟きながら、彼はふらりとローザの前を去っていく。ミンも、ローザも、呼び止めることさえできなかった。

 雨が傘を打つ音が、ミンの頭の上でやたらと響く。この大雨じゃ、マリュデリアの屋台もみんな大慌てで店をしまっただろう。他に人は誰もいなかった。
 近付き、そっと、ミンはローザの上に傘を持って行った。掛ける言葉が何一つ見つからなかった。
 どれくらいが経っただろう。ふとしたのはローザの声だった。

「そうだよね……千年もの間、この世界を普通に生きてたら、まともなわけないよね。しかも、私は置いていった」
「ローザ……」
 何かを悟ったような調子だった。

             ◆◇◆◇◆

 ここ暫く、マリュデリアは雨が続いていた。

 窓から外を眺めながら、ケイトが寂しそうに呟く。
「マリュデリアの薬草屋さん、とってもファンタジーって言うから行きたいけど、この雨じゃ無理だよねえ」
「晴れるのを待つよケイト」
「魔女さんが」
「?」
「魔女さんが元気無いからだよね?」
 ケイトは二階の階段を見やった。そこにはローザが暫く引きこもっていた。

「ご飯、ここに置いとくね。ローザ」
 ことりと昼食のプレートを扉の近くに置き、手のついていない朝食を回収しようとした時、きい、と扉が開いた。
「ローザ……」
 顔色の悪い、目の下にクマも作っている。そんなローザが立っていた。けほりと一つ咳をして、聴いてほしいことがあるの、とミンを部屋に招き入れた。調子がとても悪そうなのは、寒い中濡れたままだったせいで風邪ひいてしまったからなのだろう。

「どこから話そうかってずっと考えてたの」
 そうしてローザはそっと話し始めた。

「私はおよそ千年前、ある人に選ばれて時の巫女となった。ミンはなんとなく知ってると思うけど、私は記憶を持ったまま転生を繰り返してる。この世を最期まで見届けるのが私に与えられた仕事。巫女になった時はこのことの恐ろしさには気付かなかった。でもリュカは気付いてた。これはある意味不死、自分を知っている者はどんどんいなくなってしまうのに、自分だけその悲しみを抱えたまま、また生まれ変わる。だからリュカは言ってくれたの。何回生まれ変わっても君を見つけ出す。僕だけは君を覚えてるから、って」
 ローザにとってリュカはかけがえのない存在だったのだ。どうしようもない運命を前にして、たった一つの希望だったのだ。それだけに縋って彼女は生き続けてきた。
「あの人に見つけてもらいやすくする為、見た目は似せてきた。どうしようもない場所に生まれてしまった時は、自ら命を絶ってきた。どうしても会いたくて。でも会えなかった。生きるのが嫌になってどうしようもなくなりそうな自分に気付いた時に、私は自分の心に少し細工をして、これ以上疲れないようにした。あの人に会った時、私が壊れていたらどうしようもないもの」
 彼女は少し寂しそうだった。伏せていた目をミンに向ける。その目はうるんでいた。
「でも私は考えもつかなかった。私より前に、あの人が壊れてしまうなんて。私はもう、心を守る必要なんてないの」
 ローザの話は突拍子もないものだがミンには自然と受け入れることができた。ずっとローザの様子を見てきたからであろう。しかしその分、深い、深い彼女の悲しみが痛いほど分かるのである。
「あの人、妙なことを始めそうな気がする。もうしてるのかもしれない。私は、あの人を止めなくちゃいけない。私の手で終わらせたい」
 そうしてミンの手を取った。
「お願いミン。私が最初に渡したお金が尽きても私に協力してくれる?酷い事には巻き込まないから」
 この声を、ミンはずっと待っていたのかもしれない。彼に迷いなど無かった。
「ローザは強いね。……勿論。元々酷い事に巻き込まれるのが僕の仕事だからね、どんどん巻き込まれていくさ。それに、君が出したお金はほとんど手を付けていないよ?」
「え?」
「東方の異国から金銀財宝携えて若い女の子がこんなところにやってきて、私の面倒を見ろだなんて。しかもそれ以降はほとんど意思の疎通が取れない。ここでは変な人によく出会うけど、君は異色中の異色だったよ。最初こそ金をせしめるだけせしめて捨てておこうって話になってたんだけど、なんだろうな……」
 彼は少年だったあの時を思い出して、微笑んだ。
「歳が近かったからね、思慕とか、そこまではいかなくても、うん情が湧いたんだ。……変な言い方かな?」
 ローザの顔をふと見ると、彼女は下を向いて顔を両手で押さえて震えていた。
「……ローザ!?」
「我慢してたのに、ミンに泣かされるなんて」
 ごめん、とそう言いそうになったが、顔を上げたローザの顔を見てその声は喉に留まった。涙をこぼし、くしゃくしゃになりながらも笑顔を作っていた。
「さあ。天気を元に戻さないとね。そろそろ作物が枯れてしまうわ」
 立ち上がり、ミンにありがとうと言い残して降りていく。
 すぐに下の階にいたケイトが駆け寄る。
「もう大丈夫なんだね」
「ええ」
 外は雲一つない青が澄み渡っていた。
「これでミン君も笑顔だし、リンさんも笑顔だし、外にも出られるね!」
「そう、これからはマリュデリアは霧もそこそこになりそう」
「え?」
 不思議そうな顔をしたケイト達にローザは言った。
「あなたが言った通り、本物の魔女になっちゃうかもね。そうしたらここにはいられないもの」
「つまりは、霧の街マリュデリアの気候変動が不可解なほど続いているのに不信感を抱いた教団に目を付けられていずれは魔女認定されると」
 ルートの発言にローザは頷く。そうしてローザは窓の外の空を見上げた。

 あなたは変わってしまった。
 あの時の衝動のままの私とあなた。あなたがそうなったのは私のせいだから。この世界は、例え何代かかっても私は守る。例えあなたを殺すことになろうとも。

 いいえ、そんな綺麗な文句じゃない。私は私にケリを付けたいだけ。


 恋人を待ち続ける転生少女はもういない。







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