19話「白百合の華 後編」





【白百合の華】

(五)

 ある日、私が屋敷の廊下を歩いていた時、腰の曲がった老婆と鉢合わせした。

「クリス、お前は何てことをしてくれたんだい」
 エルフォード家の当主であるお婆は私を呼び止めてこう言った。大層にご立腹のようで、その剣幕は恐ろしく、眉は釣り上がり険しい目元のシワを更に深くしていた。私はただ怯えることしかできなかったが、喉から必死に声を絞り出し、冷静の体を装った。もしかしたら、声は震えていたのかもしれない。
「何のことで、ございましょう」
 リリィラのことは両親と兄弟には言った。悪魔とは言ってはいないが、尖った耳や髪や目の色を考慮しなければ彼女はどう見ても人間である。そもそも、悪魔の特徴など彼らは知らなかった。それでも何処の馬の骨とも知らない女を連れ込んだ私を、彼らは良くは思っていないようだったが、私の熱に渋々了承した。しかしお婆には言っていなかった。勿論、言えば反対されるからだ。
 お婆は邸宅の中心に住んでおり、対してリリィラを匿ったのは離れの一つである。その上お婆は足が悪く母屋からは殆ど出なかった。私は安易な判断力でもって、お婆を騙せると踏んでいたようなのだ。しかし私の本能は何か悪い事でも察しているように、心臓は早鐘を打ち、必死に繕う表情は恐らく引きつっていただろう。

「隠せていると思っているのか。前々から、特に最近お前の様子がおかしいから、使用人の一人に口を割らせたのさ。いいかい、お前のしたことは、我が一族の顔に泥を塗ったということさ。その上私を騙そうとするとは、尚のこと軽率な。売女に手を出すよりタチが悪い。全く。孫をだまくらかした女狐め」
「お婆さま、」
 私は思わず制止した。
「彼女は、そんなものではありません。確かに、悪魔ではありますが、害をなすような人格ではありません。彼女は、」
「まあ、まあ、お前は本当に。もうすっかりあの悪魔に騙されてしまっていたようだね。けど、屋敷の誰もが驚くぞ、末息子が悪魔との子を作っただなんてな」
 もう、お婆は誰よりも何もかも知っていた。その事実に、私は頭が真っ白になっていた。
 そんな中お婆は、こんな状況では不釣り合いで気持ち悪いほどにっこりと笑った。
「しかしもう大丈夫。それと、お前には一生屋敷から出てはいけない罰を課す」
 何が大丈夫なのか。もう行っていいと言われ、震える杖を付き、足を引き摺りながら去っていくお婆の背をただ眺め、見えなくなっても呆然と虚空を眺め、その場に立ったままでいた。
 私は現状理解能力に欠けていた。燃え上がるようなリリィラに対する愛は、周りを見えなくさせていた。しかし、なにもそれはこれが理由なだけではない。私はもともと一人では何もできない未熟な人間だった。しかし私は父になり、全てのことに責任を負う必要があった。いや、私にはできるような気がしていたのだ。思い返せば慢心と迂闊さしかなく、ぐるぐるとした思考が頭の中で回っていた。
 しかし、ふと私は我に返った。その時思い出したのは、お婆の意味深な言葉と不愉快な笑みだった。
 我が子とリリィラのことが急に心配になった。
 唯ならぬものを感じ、私は外に飛び出した。

(六)

 外には使用人たちが沢山出てきていて、ざわざわとどこか一点をみな見ている。しかしよく見えない。私は彼女達を掻き分けて前へ出た。すると目に飛び込んできたのは、地に刺された木の十字架に磔にされた、我が愛しであった。私はその衝撃に震え、小さく彼女の名を零した。
 リリィラは、外傷は無いものの、生気を失っているように見受けられた。疲れたようにその濡れた頬を右肩に付けて項垂れていた。よく見ると頬だけでなく、どうやら全身が濡れている。そんな彼女の前にはお婆が立っていた。私の方を見ている気がした。
 その時ふと、彼女は顔を上げた。そして私の顔を真っ直ぐに見た。彼女は、何も言わなかった。ただ、小さく唇が動いているような気がしていた。対して私の体は動かなかった。助けてやることはできないのか、しかし、現実を直視した私はもう動くことなどできなかった。
 拳を握りしめた私の前に、すっと手を出し立ちはだかった者がいた。白と黒い特徴的な服を着ている。
 リリィラしか見えなかったが、よくよく周りを見ると、何人か同じ服を着た者達が物々しい雰囲気を醸し出している。私の前にいた女は「あの悪魔は聖水で弱らせているものの、本来は上位の力を持つ悪魔だ」と言ったが、私の顔を見るとはっとして、「やめておけ」と表情を更に厳しくした。
 その中の一人、マスクをした人間がゆっくりとリリィラに近付いていき、十字架の薪に火を放った。火は瞬く間に彼女を包み込んだ。私は膝から崩れ落ちた。

 リリィラはすぐに灰になったらしい。どちらにせよ、私は直視できずに地に這いつくばって、周りを気にせず泣いていた。
 リリィラを殺したのは私だ。知れた筈の結末を見ようとしないで、ただ今の幸せに溺れ、無責任に幸せになって彼女を不幸にした。その罪悪感は痛い程に心を抉った。死に際さえ直視できない自分が心底嫌になった。ここで他を恨んでいたなら、お婆やこの祓い屋達を恨むことでもできれば、少し未来は変わっていたかもしれない。しかし、私は誰を恨むでもない。自分を恨んだ。

(七)

 私の声は聞こえていますでしょうか。私はあなたを恨んじゃいません。むしろ感謝しているのです。
 私はあなたに恋をした時から、このことは覚悟しておりました。人になりたいと願った私。あなたと過ごした間、私はまさに人間のようでした。ただ悪魔として生きるより、なんと幸せなことか。出会った時、取って喰らおうとしていたなんて嘘のように。
 心残りがあるなら、あなたと子供を残して逝くことでしょうか。あなたたちを不幸にして逝くことでしょうか。
 ああ。我が君。どうか自分を責めないで。悪いのは私なのです。私があの時嘘をついたからなのです。本当に私が森の向こうの街の娘であれば、私が人間であれば、なんと良かったことでしょう。でも、そんなことを言っても仕方ありません。
 さようなら我が君。……ああ、幸せだった。

 炎の中の優しい彼女の声が、自分を責めて泣き咽ぶ男に届くことはなかった。

(八)

 あれから時が幾つ過ぎただろうか。
 冷たい風が窓を叩き、目覚めてベッドから身を起こすと、刺すような寒さが我が身を襲った。部屋の中は相変わらず薄暗い。あれから幾つ冬が来たのだろうか。

 あの日ショックのあまり、私はリリィラの読んだ本を全て燃やしてしまった。その後、私はあれからずっと、屋敷の一角、元々の自室に篭もりきっていた。彼女を失った消失感と罪悪感、己を責める重苦しい心のまま、私はまさしく死んだように過ごしていた。使用人の運んでくる飯を思い出したように口に運び、時々眠り、時々発狂したように頭を抱えて震えていた。
 楽しかったリリィラのいた日々。しかしあの燃えた日のことをよく思い出す。特に暗い夜である。リリィラが私に恨み言を言っているのである。どうしてあなたは生きているのかと。無責任なあなたが生きていて、どうして私は死ぬのかと。私は夜が恐ろしかった。

 しかし今は何も考えられなかった。死んだようにがまさしく合う言葉のように、茫然とただ横たわっていた。
 そんな時、戸を叩く音が聞こえた気がした。いや、気のせいではなかった。
「クリストファー様。よろしいでしょうか」
 見知った使用人の声だと思われた。声が少し震えていた。
「馘首を覚悟で申します。息子様にお会いできませんでしょうか」
 息子。息子だ。私には息子がいたんだった。名前は確か……
「アーサー様に」
 息子は殺されることは無かった。そして使用人に育てられた。しかし、嫌われる悪魔の子供であることに変わりは無く、離れの一部屋でほぼ幽閉状態にあったはずだ。このお節介なメイドが、恐らくこの家で唯一私に味方したこのメイドが、以前人の目を盗んで私に報告に来た。しかし自分でも気付く程に私はまともではなく、精神状態に大きくむらがあった私は、すっかり息子のことを忘れてしまうことがあった。
 暫く無言な扉の向こうに痺れを切らしたのか、別の声がした。
「シエラ、もういい。きょうだいが、みんなが来ちゃうよ」
 焦りを含んだ少年の声が聞こえた。
 息子の顔をあれからほとんど見たことがない。遠くからこの部屋を眺めていたのを、窓から確認したことはある。しかし、私は複雑な気分になるのである。

 ゆっくりと扉を開く。メイドが息を呑んだ。
 長らく目にしていなかった息子がそこにはいた。愛しい、あれから大きくなった我が子である。ゆっくりと手を伸ばした。愛しい、いとしい、リリィラによく似ている。微笑んでいたリリィラが不意に豹変して私を責めた。何故お前は生きているのかと、なぜ息子は生きているのかと。ああ、憎い、憎くてたまらない。

「クリストファー様!クリストファー様!」
 メイドの叫ぶ声が聞こえた。
 はっとすると、あのメイドが半泣きで私を取り押さえていた。手首にしがみついているのは小さな手。私の手は、なんと彼の細い首を絞めていた。
 震える手をそっと離すと、彼は苦しそうに咳をし、赤くなった首に手を当て、息を切らして私から数歩離れた。私を見上げた瞳には涙が浮かび、そこにあったのは完全な怯えだった。
 もう、息子の顔など見れない。
 私はそのままふらりと部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。

(九)

 あれからまた幾つか時が過ぎた。あまり経っていないようにも感じるが、どれくらいかは私には全く判別が付かない。

 その時私の心は酷く穏やかだった。そして、元気であった。いつもとは違っていた。
 ずっと死ぬ勇気は持ち合わせていなかった屑の私であるが、今は違った。ああ、どうして気付かなかったんだろう。
 部屋の小さなチェストの二番目の引き出しを引くと、フリントロック式の重い発火装置が出てきた。それを手に取り、本棚から本を乱雑に落とし、そこに火を付けた。冬場の乾燥した紙は良く燃えた。
 炎は以外に早く部屋全体を包み込み、私もその海に飲まれた。熱い身を焼く痛みが全身を襲う。熱くて、苦しい。しかし、私の心は実に穏やかであった。

 熱かったろう。苦しかったろう。きっと君は今の私よりよりもっと辛かったろう。
 私はようやく君のもとまで行ける。やっと君に会える。

 男は笑っていた。彼は炎に飲まれながら、幸せそうに微笑んでいた。

(終)

「終わり」
 アーサーは雑にそう言い、話を切った。
 少々重たかった話にアンリはふうと一度ため息をついた。
 物語の間の時間に比べこちらの時間はさほど経ってはおらず、まだ高い陽が木々の隙間から零れ、アーサーの肌に模様を描いている。
「話すといった手前、変な話だから途中で切ろうと思ったんだが、なんか全部話しちまったなあ」
 そうへらりと笑ったアーサーの横顔を、アンリはじっと見た。
「回りくどい言い方をするんですね」
 あ?とアンリの顔を見たアーサーだったが、すぐに照れ隠しに笑った。
「……まあな」
 勿論自分の心しか知らないが、この話の殆どは、小さい頃閉じ込められていた部屋に時々現れた“何か”に聞いた。幻覚なのか、夢なのか、はたまた幽霊なのかも定かではない。彼女は己が誰だか名乗らず、自分も尋ねることは無かったが、何となく彼はその何かの正体を知っていた。彼が持っていた物語は、少し前に実際に起きた悲劇だけだったのだ。
「じゃあやっぱりアーサーさんは」
「そう。それが俺。悪魔の子とか引くだろ」
「いいえ」
 アンリは真面目な顔のまま言った。
「そう言うと思ったよ」
 そう笑うアーサー。お前はあんまり気にしないって言うだろうなって思ってたのさ。そう言った。それに、そう言うと思ってました。と返すアンリ。
「その眼帯は金の目を隠すためですか?」
「そうだな。半分でも悪魔なんだ。そんな奴が教団にいたらおかしいだろ?嫌われるのさ」
 本当はこれだけの意味ではない。金の瞳が嫌われて、昔兄弟……従兄弟のことだが、彼らに傷付けられたことがあった。普通なら失明しただろうが、自分は直ぐに治った。人と違う。そう強く感じた瞬間だった。傷つけられることより、自分の人間離れしたことを再確認するのが何よりも怖くて、彼は眼帯をしたのだ。
「嫌いなのは周りじゃなくて、アーサーさん本人なんじゃないんですか?隠す必要は、本当は、」
「ああ、そうかもしれないな」
 何か言いたげなアンリを制するように立ち上がる。さわさわと木々の揺れる音がする。アーサーの黒髪が揺れた。
「俺は悪魔の血を引いてることが嫌なんだ。それなのに教団にいることが。でもここに来るしか無かったんだよな。俺みたいな化物がいれる場所はここしか無かったんだ」
 自虐するように紡がれるアーサーの言葉を黙って聞いていたアンリだったが、不意に、アーサーさん。と口を開く。
「アーサーさんは化物じゃない。それに、武器使いはみんな化物みたいなものじゃないですか」
「はは、そうかよ……」
 お前はなんてこと言うんだとアーサーは笑ったが、内心嬉しかったのか、自然な笑みが零れた。
「いつかはバレるとは思ってたんだ。いつかは……いつでも、話してしまいたいってきっと思ってたんだ」
 そっぽを向いていたアーサーは、一拍置いてアンリに向き直る。少し鼻が赤い。
「よかったらまた、お前の話も聴かせてくれよな。くどいみてえだけど、お前はそのまま抱え込んじまいそうに思えるんだ」
「……僕だって殆ど分からないんですよ?」
「じゃあ仕方ねえな。気が向いたらな」
「そうですね」
 アンリは目を閉じる。憶えている範囲の自分の記憶。この前、少し思い出した、あの記憶。それと幾つかの疎らな記憶。反芻して自分の物にするまでまだ時間が掛かりそうだ。
 心地よい風。そして音。このまま眠ってしまいそうな温度だったが、アンリは再び瞳を開いた。

「僕、他人に興味を持ったことなんてありませんでした」
「……は?」
 身を起こして、訝しげにアーサーはアンリの顔を見た。そんな彼のことも見ず、膝を抱え正面を見つめたままアンリは続けた。
「先生と出会ってからの記憶が曖昧なのも、覚えようとしてなかったからではないでしょうか。他人に対する無関心。そして自分に対する無関心。……でも、僕は少し思い出しました。決していい記憶だけではないけど、それは土台になるには十分だったんです。大事なのは未来、この前アルさんが僕に言ったことが、ようやく分かったんです。記憶を取り戻すことで、僕は僕を取り戻す。やっとはっきりしました。僕の目標が」
 そう言ってアンリはアーサーを見た。決意の固まったその表情は、瞳は、どこか明るくはっきりしていた。
「だから、大丈夫ですよ。どうでも良かった自分のことが、周りのことが、大事になってきたんですから」
 そんなことを思い続けてきたのかと、アーサーは驚いたが、こちらを見据えた彼の表情は実に光を掴んだ者のそれであった。そのことにアーサーは安堵した。
「なら大丈夫だな」
「……はい」
 アンリは少し膝を引き寄せた。
 夢の中でエメラリーンに会う回数は少し減っていた。代わりに金髪碧眼のあの少女との思い出を夢として見ることが多くなっていた。ミクスと言う名を持つ彼女はいつも笑顔で、アンリの手を引き「もっと笑おう?だってその世界はこんなにも美しいんだから」と無償の笑顔でアンリを照らした。そして時には絵本を読んでもらい、時には自分より背の高い彼女に手を引かれて歩くのだ。彼女の笑顔に触れる度、アンリは何かが変わっていく気がしていた。今までにここの人たちと接して感じていたものの何よりも強かった。その理由はよく分からなかったが、それ故に彼は過去を思い出したいと思うようになったのだ。
「いつかはバレるだろうと思ったから話しただけじゃないんだぜ。本当は、別れの挨拶の代わりにお前に聞いて欲しかった」
 ぼそりとアーサーは呟いた。
「そんな、今生の別れみたいに。アーサーさんだけですよ、こんなこと言ってるの。アルさんだって昨日ちょっと話しただけです。……わざわざ呼び止められたので、寂しいんですか?って訊いたら殴られました」
「何やってんだお前……アルのそれは照れ隠しだ。蹴られなくて良かったな」
 苦笑いしたアーサーだったが、急に真面目な顔になって地を見つめた。
「でも、今まで武器使いの異動なんてなかったんだ」
「一時的なものですよ」
「嫌な予感がするんだ」
 アンリは溜息をついた。
「大丈夫ですよ」
「……そうか」
 それより、とアンリは芝生の上の本の一つを手に取った。
「それよりアーサーさん。勉強は?」
「え、……今日はもうい――」
「え?」
「や、やります……」
 アンリのこの真顔のような笑っているような表情は、何とも圧力があった。アーサーは渋々勉強を始めた。
 一人ではなかったが、眼帯を取り眼鏡をかけることも、彼はもう気にせずすることができた。

 それから暫くしてアルモニカが、なかなか戻ってこないアーサーを探しに裏庭までやって来た。
 彼は時々裏庭に行くことがある。確かにアルモニカもあそこは花や緑があって心地よい空間だと思うが、彼の理由はそれだけではない気がしていた。
 白い柱に手をかけ、一帯を見渡すけれども人影をすぐに見つけることはできなかった。しかし、その一角の大きな木の下に何かがいることに気付いた。
「あれ?こんなところに…………あら、寝てるわ」
 近付いてよく見ると、二人共うたた寝していた。アーサーは片足に乗せた本を開いたまま木に背を預けて眠っている。右隣のアンリは草の上にそのまま眠っており、体を丸めた姿はまるで猫のようだとアルモニカは思った。アーサーは寝落ちたと言った感じだが、アンリは完全に寝るつもりだったんじゃないかと彼女は突っ込んだ。
 にしても二人共、制服が土で汚れることを考えなかったのか。
「仕方ないわね。後で払ってあげるわ」
 後で。そう小さく呟いてアルモニカは二人の間に座った。大きく育った木のこの太い幹にもたれ掛かる。自分も払ってもらわないとねとぼんやり考えつつ、心地よさに身を任せ、幸せそうに目を閉じた。
 もうすぐ初夏。アンリが二人と出会ってから、一年が過ぎようとしていた。


【???】

 ぴちょん。ぴちょん。
 どこからか、水の滴る音がする。それと共に讃美歌のような歌声が微かに聞こえてくる。
 薄暗い空間。廃れた教会のような空間もあり、壁際には壊れたパイプオルガンが静かに佇んでいる。ここは全体的に灰色で色を持たないが、一箇所、極彩色に染められた部分があった。それは大きなステンドグラス。かなり高い位置、それを背に、壁の縁に腰掛けた少女が足をぶらつかせている。
 真っ白な髪は極彩色の光を反射して更に輝き、華奢な体に相応しい、シンプルで地味な漆黒のドレスは様々に美しく彩られている。憂い気に伏せた瞳は金色。
 はあ、と彼女は溜息をついた。すると下からよく聞く人物の声が掛かった。
「あらリィンリィン溜息をついてるわ」
 リィンリィンと呼ばれたこの少女が下を窺うと、お伽噺の魔女の被るような三角帽子の女が見上げていた。
「あら……メイメイお姉さま。いましたの」
 この名称だけの二人目の姉は、いつも全てを見透かしたような目をしていた。様々な思いを隠し、何でもない風を装うリィンリィンには、彼女は少々厄介で苦手であった。
 いつからいたのか。喉まで出ていた言葉を飲み込み、無表情のまま彼女はいつものように返したつもりだったが、「失礼な物言いね」と、メイメイはふふふと口に手を当てて笑った。
「リィンリィン。あなた最近何をしているの」
「別に……」
 その時、黒くて丸い何かが、リィンリィンの膝まで跳ねるように飛んで来た。
「どうしましたの」
 彼女がそれを持ち上げると、その中心に付いた大きい二つの金が、彼女の顔を見て二度瞬きをした。そして小さく、ミィと鳴いた。
「そう……」
 少し寂しそうに言ったリィンリィンは、その黒い球を再び膝に置いた。貧相な三つ指の脚をよちよちと動かし彼女に背を向けたそれは、たーんたーんと跳ねながら降りて闇に消えた。
「なんて言ったの?」
 それを目で追っていたメイメイが訊ねるも、リィンリィンはさあ、と適当な返事を返しただけだった。その様子にメイメイは溜息をついた。
「私に何か隠す必要は無いのよリィンリィン。私は分かってるんだから。……ずばり、やめた方がいいわ」
 メイメイとの距離はあった、しかし、リィンリィンはまるで彼女と近距離で対峙しているような緊迫感を感じた。まるで、近くで囁かれているような。
「それは身の破滅を意味するわ。あなたも知っているでしょう、人間に心を捧げた悪魔のこと」
「……」
「あなたの為に言ってるのよ?」
 気が付けばリィンリィンの真隣にメイメイがいた。
「私の可愛い妹なんだから」
 優しく耳元で囁いたメイメイから、リィンリィンは身を遠ざける。
「まあ、言ったところで、と言った所かしら」
「?」
 突然の切り替えに思わず驚いたリィンリィンは、まじまじと姉の顔を見た。
「あなたの意思の強さも、あなたの心も知ってるわ。だけど覚えておいて。それは――」
「分かっていますわ」
 食い気味に返したリィンリィンに、メイメイは呆れた顔をして体を離した。すぐ目を逸らしていたリィンリィンだったがふとそちらを見遣ると、彼女はいなくなっていた。
 やっと再び一人になれたリィンリィンは、大きく息を吐いた。自分の内側に踏み込んでくる相手と対峙するのは息が詰まる。もう一人の姉のシンシンを彼女は苦手としていたが、あの一番上の姉は別の意味で苦手だった。

「……分かっていますわ」
 リィンリィンは同じ言葉を一人ぽつりと呟いた。しかし、最近気付いたこの想いに嘘をつく訳にはいかないのだ。
 懐からあの花を取り出す。薄い花びらをステンドグラスの光に翳すと、七色に輝いて見えた。彼女の瞳も輝いていたことだろう。
「きっと……」
 胸に染み込んでいく暖かい気持ちに、彼女は僅かに微笑んだ。







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