43話「熱」
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【森の中の家】

 暗い部屋。テーブルの上に置かれたランプがじりじりと音を立てる。光に吸い寄せられるようにやって来た虫を、彼は手で払った。
「遠くまでわざわざ呼びつけておいて、私より虫の相手?何の用か、さっさと話してもらいたいわ」
 目の前の女は、呆れたように腕を組んだ。男は乾いた音を立てて笑う。
「すみませんね。少し暖かくなったから虫が気になりまして。それにしても、あなたはそんなに短気な女性だったでしょうか」
「帰るわ」
「実は、これをあなたに差し上げたくて」
 席を立ったばかり、木のテーブルの上を滑ったのは、赤く四角い箱状の物だった。何だと言いたげな彼女に、男は続ける。
「赤い石。ディアイレの本能に働きかける力を持つ、所謂花の種と類似した装置です」
「こんなものどうして私に?」
「研究途中、種と同時期に開発したのですが、私には必要の無い物でしたので。誰にでも使用可能なレベルにまで改良を加えました。あなたにとって喉から手が出るほど欲しい物なのではないですか?ただの一幹部がいずれ王として君臨するには、記憶の改竄や強い洗脳が必要ですから」
 にっこりと口角を上げた男。その顔と石とを交互に見ていた彼女であったが、ふいと顔を背ける。
「事足りているわ。そんなもの無くても、私は神になれるもの」
「備えあれば憂いなしと言いますよ」
「……」
 暫く無言を突き通していた女だったが、「一応貰っておくわ」と石を受け取った。
「ご健闘を祈ります。理想の世界の為に」
「ええ」
 席を立った女は、テーブルの隅に置いていた魔女帽子を被る。その時ふとなにかに気付いて、目の前にあったカンテラを手に取り男の顔に近付ける。男は眩しそうに目を細めた。
「なんですか」
「いや、あなたイメチェンした?それとも人間は死ぬ間際になると白髪が増えると聞くけれど、そんなに早く歳をとるのかしら」
 夜の湖畔ような黒い目が、女の顔をじっと見る。その口元は弧を描いていた。
「元の姿に戻っただけです。流石に目の色を戻すには手間が掛かりすぎるのでまだですが。……そろそろ目が痛いですね」
 目を細めたのに気付いて慌てて離す。彼女は少し間を置き考えた。
「あなたがイーリア人であることを隠す必要が無くなったと。もうここからは出ないつもり?」
「まさか。まあ、不用意に出歩く気はありませんが、単純に終わりが近付いているのですよ。やることはほぼ終えました」
「終わり……」
 遠い目をした魔女帽の女に、男はクスクスと笑う。
「失礼、あなたにとっては始まりに過ぎませんね」
「そうよ、でも」
 魔女帽の女の金の瞳が光る。
「私達の協力はそこまでだけど。私達は利害が一致するから利用し利用されているだけよ」
「父親に寂しいことを言いますね」
「親だからって情は無いし義理も感じる義務などないでしょう。私、親子ごっこがやりたい訳じゃないわ。それにあなたのことを父親だなんて思ったことなんて一度も無いわ」
「すみませんね。息子から姉妹ごっこは好きだと聞いていましたので」
「シロウ……」
 殴りたくなるような男の顔を思い出す。女は溜息をつき眉間を押さえた。
「そう言えばあいつは何処に行ったのよ。あいつ、借りるものだけ借りて返さずに行ってしまったのよ。おまけに散々掻き回して行ったわ。お陰で大変だったのよ」
「ああ、彼なら出て行きましたよ。今は花を追っています。彼は私のことが嫌いなので、私の邪魔をしようと花を殺してしまう可能性も無きにしも非ずですね」
 自分の計画が失敗するかもしれないというのに軽々と話す男の言動に、魔女帽の女は頭を振る。
「厭世的なのは構わないけど、約束は守ってもらわないと困るわ」
「まあまあ、殺されない自信がありましてね。彼が死なれたら困る者もいますので、身を呈して護ってくれるでしょう。例えば花守とか」
「花守?……もしかしてリィンリィンのこと言ってるの?」
「そのような名だった気がします」
 魔女帽の女は暫しの思考時間の末溜息をついた。
「花が無くなって困るのは私も同じよ。結局は協力せざるを得ないのね……」
 飄々と「そういうことになりますね」と言った男の顔を、魔女帽の女は大変憎たらしく思った。


◆◇◆◇◆


 テトロライアから北上する路線は既にやられていると聞いた。しかし、東へと向かう列車は一部運休している路線があるものの、まだ辛うじて運行していた。
 アーサーとレイは共に東へ向かう列車に乗り込んだが、二人の旅は短いものであった。

「アーサー、ボクとはここからお別れになります」
「ああ」
「一人で大丈夫なのですか?……本当に大丈夫?迷わず町まで行けるです?」
「いや馬鹿にしすぎだろ!子供かよ!」
「フフッ」
 では、とそう言ったレイ。ホームに降り立ったアーサーは、閉まる扉越しに手を振った。


 ここはミジャンスク。大陸の内陸部の一部を統治するハザール帝国の、最西端の都。駅からは少し北に歩かなければならなかったが大した距離ではない。駅を出発した時間も時間だった為、目的地に着いた頃には明け方になっていた。薄暗く街が浮かび上がる。
 ここ一帯は古代遺跡の多く残る地域で、普段は立入禁止とされているがここは流石のメルデヴィナ教団、国際手配のトクマを捕まえる為として、協力国からいとも簡単に特別許可をもぎ取ることができる。
 ミジャンスクは一口に都と言えど古都。石造りの建造物がちらほらと残る。かつてここにあった王国は今や無くなってしまっているが、小さいながらも交易で栄えていた国だったという。しかし当時西で最大勢力を誇っていた大国テトロライアと戦争をし、中心地のミジャンスクは火の海になったこともあるらしい。風化した石が残るのみとなったミジャンスクであるが、その街の形はしっかり分かる。外敵から守る為に街は外壁に囲まれている。東と西に門があり、外壁全てが原型を留めていない現在はそういう訳にはいかないが、当時は出入りはその二カ所に限られていたようだ。街の中は住居と思しき建物が立ち並び、大通りを除き通路は大して広くない。
 西の街の入り口には巨大な門、そびえ立つ柱、双頭の鷲の像。任務で来ているということを忘れてしまいそうになる程、悠久の時を感じさせる建造物に圧倒される。街の中心にある丘を登る階段の壁一面にはレリーフなどが見受けられた。薄暗い上崩れかけていて分からないところも多々あるが、どうやら人を模しているようだ。手のひらで触ると、かさついた音と共にパラパラと脆くなったレリーフの表面が崩れ、その脆さを知る。それ以降彼は建造物に触れることは無かった。
 街の中心にある丘には、かつて宮殿であったと思われる崩れた石の建造物が鎮座している。その隣にあった小さな塔は随分低くなってしまっているが、当時は見張り塔として立派に機能していたのだろう。アーサーはそれに登り、おおよそこの周辺で一番高い場所から遺跡を見下ろす。
(薄暗くて分かるもんも分からねえな、出直すか?……というか本当にここにいるのか?もう移動しちまったんじゃ――)
 その時、さ程遠くない場所で何か白い物が動くのを見つけた。目を細めてよく見ると、それは一人の人影のようであった。
「!」
 ここは立入禁止区域。人影がいるということは有り得ない。いるとすれば、例えそれがターゲットで無かったとしても許可を取らず立入禁止区域に侵入した賊には変わらず、追い掛ける価値は十分にある。
 極力足音を殺しながら、アーサーは階段を降り駆け抜ける。彼に勘付いた黒いフードの人物は、脱兎の如く駆け出した。
(待てと言っても待たないだろうな。おっとそっちは確か行き止まりだぞ……?)
 黒フードはこの遺跡のことをよく知らないのか、追い込まずとも三方を高い壁に囲まれた袋小路に迷い込んだ。行き止まりだ。
「油断したな。袋の鼠だ」
 距離を詰め捕らえようとしたその時、追い詰められた筈の黒フードが高く飛び上がった。
「!?」
 そして壁を飛び越え向こう側へ。
「おい、今の人間の動きじゃねえぞ!」
 そう振り返った時、正面から蹴りが飛んできた。
「うわっ!」
 何とか両腕で受けとめるも後ろに吹き飛ばされ壁に打ち付けられた。
「袋の鼠はどっちですか」
「は、あ……?」
 見上げると、目の前にはもう一人の黒い影。しかしこの顔には見覚えがあった。
「ア――」
 その直後。轟音と共に、目の前が砂塵で覆われた。次目を開いた時、目の前にあったのは何かの像が砕けた物だった。近くにあったものだと思われる。
(おいここ遺跡だぞ!?何考えてるんだ)
 彼が連れた味方は、重い石の塊を砕き、落とすことまでできるようだ。
「っクソ!」
 こんなところで足止めを食らっていられないと、アーサーは剣を構える。ひやりと一筋の汗が垂れる。
「さて、できるかな……」
 石と石の隙間から僅かに姿を見せた氷塊は、みるみる大きくなり石を前方に押しやる形で吹き飛ばす。越えられる程度の高さまで崩れたそこから彼が何とか脱出した時には、二人の姿は見えなくなっていた。

 しかしまだ近くにいる筈だ。辺りを見渡しながらやってきたのは回廊の続く場所。辺りは静かで風の音しか聞こえない。白い石の柱、無機物しか視界に入らない。そんな中、柱の影からこつりと音を立てて現れたのは、先程驚異的な跳躍力を見せた黒い人物。白い脚に深紫のヒール、脱いだフードの下は、透き通る青白い肌に真っ白な髪、そして金に輝く瞳がアーサーをじっと見ていた。彼女はリィンリィン。アーサーは、昔ヴァルニアで彼女に会った時のことを憶えていた。
「また会ったな」
「ええ」
 彼女もまた彼のことを憶えていた。否、アンリと仲の深い者のことは遠の昔に調査済みだ。
「頼む、退いてくれ。あいつがいるんだろ。俺はお前と闘いに来たんじゃない。お前は関係無い」
 彼女は薄ら笑いを浮かべた。
「フッ……そう言われて易々と退くものですか」
「……お前はどうか知らないが、俺はあの時お前になんて言ったか覚えてるよ。『次会う時は、どうか敵にならないでくれ』ってな」
「そんなことを覚えていたんですの。見かけより頭がいいのですわね」
「っ……」
「どれだけ粘ろうとも、リィンリィンは決して退きませんわ。早く来なさい」
 彼女は廊下の中心、大きく足を広げて立ち両手を広げる。足元の影が伸びた気がした。
「何故だ、人間に何故そこまでする」
 その時、落ち着いていた彼女は一転した。息を吸い込み声を張り上げる。
「あの人は大事な種!お前達人間が理解できる価値よりずっと大きな価値を持っている!連れ戻す?馬鹿なことを言うな!お前達などに渡すものか!」
 その華奢な体から発せられたとは思えない、びりびりと大気を震わせる叫びだった。
「くっ……結局は闘わなくちゃいけねえのかよ!」
 そう剣を握りしめた時、走る足音と共に、彼女の後ろから別の人影が現れる。その人物を待っていた。
「リィンリィンさん!」
「アンリ!」
 リィンリィンは振り返り眉をひそめる。
「来る必要なんてありませんわ。リィンリィンだけで十分」
 並んだ二人を見ながらアーサーは苦笑いで零す。
「二対一は流石にキツいんだが」
 その時、アンリはリィンリィンの前まで進み出で、手を広げて彼女を制した。彼女は不服そうにアンリの顔を見る。
「リィンリィンさん、彼は、僕がやります」
「何故?リィンリィンが!」
「お願いです」
「……っ」
「どうか、手を出さないでください」
「……分かりましたわ」
 折れた彼女はすっと引き、回廊から離れた。

 ようやくアーサーはアンリと向き合った。彼は闇に溶けるような黒いマントを羽織っていた。
 冷たい一陣の風が吹く。黒がはためき音を立てる。沈黙の末、アンリは静かに口を開いた。それはおおよそ、友人と感動の再会を果たした時のものでは無かった。
「僕を処しに来ましたか。団長を殺した僕を」
「本当にお前が殺したのか」
 アーサーは内心何かの間違いではないかと思っていた。否定することを期待していた。だが目の前の彼は、首を横に振ることはせず、少しの間の後「ええ」と言ったのだ。そのことがアーサーにはかなりショックであった。初めて会った日からあの日まで、彼がどれだけ成長したかを知っているから。いや、そう信じて止まなかったから。
「お前は裏切ったのか。いや、周りで言われているように、ずっとそのつもりだったのか」
「……ええ」
「あの笑顔も、あの優しさも、ふざけ合ったあの時も、全部全部嘘なのか?俺達は、」
「早く決着を付けましょう」
 そう言いマントの留め具を外すと、それは風に攫われた。黒い布の下は、身軽そうな服装だった。黒く変色した右腕が露になる。
「僕には行かなければならない場所がある。あなたと長話をするつもりはありません。それでも僕を引き留めると言うのなら、あなたを此処で殺すだけ」
「人の話を聞けよ!」
 アーサーがそう言い終わらない内に、武器を展開させたアンリは地を蹴り走る。慌てて出した剣でその一撃を受け止めた。それを弾き飛ばし、一手、二手とアーサーが攻撃を仕掛けるも黒い剣で受け止められていく。
「アーサー・エルフォード。あなたの力はこんなものですか」
「……っ」
 アーサーは距離を取る。足元に、近くの柱に、僅かな霜柱が立ち始めた。
 その距離のまま、アンリは紐状化させた武器を振るう。ティテラニヴァーチェはアーサーの剣に絡み付いて奪おうとした。しかし彼は不敵に笑う。
「――雪華(セッカ)」
 剣に触れた場所から瞬く間に氷の華が咲いていく。
「その手に乗るとでも」
 彼は瞬時に武器を切り離した。凍りついた黒が地に落ち、氷の華は石の床に散る。溶け、影のように染み込んだ黒は、吸い上げられるように足元へと戻っていき、気が付けばその右手には黒い剣が握られていた。しかし確かにその手には血が滲んでいた。
「生半可な攻撃はしないでください」
「会話は終わってねえぞ、」
「その必要はありません……八方羂索――」
 彼が右手を大きく広げる。何をするのか気付いたアーサーは回廊から飛び出て斜面を駆け降り、街の中心部に向かって走り出した。それを視認したアンリはぴたりと止まると黒を剣に戻して追いかけた。
「逃げるんですか!」
 建物の天井から天井へ飛び移りながら、アーサーは叫ぶ。
「大技をあんな場所でして遺跡を壊されちゃ困る!」
「遺跡の心配してる場合ですか!」
 ほぼ予備動作無しで繰り出された黒い鞭は、地面に向けて飛び降りたアーサーの背に命中する。体勢を崩し着地を誤った彼が立ち上がる間にアンリはすぐに追いついた。屋根から飛び降り着地の後、容赦無くアーサーに攻撃を浴びせ続ける。閃くような突きの多い攻撃と、それを受ける銀の剣。軽快な金属音がリズムを刻む。
「それでも、俺はな、お前を連れ返しに来たんだ!」
「無理です。あそこは僕の帰る場所じゃない!」
 尚も刃で受け流し避けていたが、一手が頬にかすり、一筋の赤い血が流れた。そのことに怯むことなく、アーサーは次の攻撃を剣で受け力強く弾き飛ばすと、体制を僅かに崩したアンリに両手で大きく剣を振りかぶり攻撃を仕掛けた。重い金属音と火花が散り、二つの刃はギチギチと音を立てて競り合う。
「本当に裏切ったのなら、お前は最低だ。あいつの気持ち考えたことあんのか」
「……っ知らない」
 力を込めたアーサーの剣に次第に押し負け、膝を付いたアンリの肩から血が噴き出す。
「アルは、お前のこと――」
「困るって言っているんです」
「は?」
「くどい」
 直後刃の表面が溶けるように染み出し、アーサーの刃を渡る。舌打ちをして彼は後方に飛び退いた。
「お前は、本当に、」
 三刀身程の距離。剣を振ったアンリの手の中には何も無かった。
「八方羂索(ヤホウケンサク)――」
 伸ばした手の中から黒がほとばしる。アーサーは身構えた。
「四帯捕縛!(シタイホバク)」
 大きく広がった数本の黒い帯は一点に集中する。それは逃げ損ねたアーサーを縛り上げ始める。
「ぐ……っ!」
 帯の一本が彼の剣を奪い、投げ飛ばす。彼は丸腰になった上、身動きが取れなくなった。
「もう諦めてください」
 だが、アーサーを縛った黒の隙間から、白い冷気が漂う。
「俺から武器を奪ったくらいで勝ったつもりか」
「な」
 内側から氷の刃が膜を破るように黒を突き破り、凍りついた黒は割れたガラスのように地に突き刺さる。解放された彼は地に降り立ち、そして少し離れた距離にある剣を拾いに行こうとした。
「させません!」
 追いかけたアンリ、しかしアーサーはそれを読んでいたかのように、振り向きざまに拳をぶつけ、彼を吹き飛ばす。
「俺はお前を許せない」
 アンリは起き上がると鼻血を拭い、僅かに笑って見せた。
「そう、ようやく理解してもらえたようです……!」
 すぐに態勢を整えると、アーサーの懐へと飛び込み鳩尾に拳を叩き込む。そして回し蹴りを下がった顎に命中させた。口内が切れ、血反吐を吐く。
「僕に本物の殺意を向けてください。生温い勘違いなど迷惑極まりない」
「望まれなくてもそうしてやる!」
 そのまま二人は暫し肉弾戦になるも、最終的には、息を切らしたアンリが立ち上がりに時間が掛かっているうちにアーサーは己の剣を手にした。しかし満身創痍なのはアーサーも同じであった。口の端から滲んだ血を拭う。
(流石は可変型の武器に異国の格闘技……攻撃のバリエーションが多くて強い……だが弱点は明白。防御の薄さとスタミナの無さ。力もさほど強くない)
「まだ戦うつもりか」
 声を投げかけると、彼はふらりと立ち、歩みを進める。
「……勿論、」
 その時、ガラリと何かが崩れた音がした。床に開いた穴の際に足を乗せたためバランスを崩したのだ。
「長期戦は苦手か」
「……あなたが、しぶといだけです」
「はっ!そういうのは俺を倒してから言え!」
 叫んだアーサーは、己の剣コールブラントを構えて声を張り上げる。金の瞳が光った気がした。
「行くぞコールブラント、どこまでも!」
 周辺の湿度が変化した。温度は明らかに下がり、それは気流を生み渦を巻くように風が吹く。彼自身僅かに白い光を放ち、頭髪が根元から白く染め上げられていく。同時に、足元から張った薄い氷の膜はみるみる広がっていく。金の瞳が輝いた。
「凍てつかせろ、コールブラント!乱氷筍(ミダレヒョウジュン)!」
 彼を中心として巨大な氷の柱が密集して次々と乱立していく。アンリは足元を掬われ呑まれそうになるのを、武器を展開し必死に抗った。柱から逃げるように避けていき、辿り着いた場所には既に逃げ場は無く、見上げるとアーサーが待ち構えていた。
 宙で剣を横に薙ぐ、丸い膜が張ったように白い冷気が漂う。
「針雪(ハリユキ)――」
 右手を翳す。彼の頭上から雨が降る。それは冷気の膜を通過すると鋭利な針となって降り注ぐ。
「ティテラニヴァーチェ!」
 伸ばした手の中の黒が弾け、盾のように広がる。氷の針そのものなのか、周辺の氷含め、砕けキラキラと氷片が飛び散る。細く白い氷片は辺りを覆い、両者の視界を奪う。
 やがて氷の針が止む。アーサーは温度を調節し周辺の氷を溶かし、その水蒸気も落ち着いた頃、そこには、脇腹を押さえ息を切らして立っているアンリがいた。負傷しているのは脇腹だけではない、所々血が滲み息も荒い所を見ると、限界はもうすぐそこまで来ているようだった。一方アーサーも先程の大技で体力を使いすぎ、白くなった髪はじわじわと元の色に戻りつつあった。剣を右手に佇むアンリにアーサーは近付いていく。
「初めて見た攻撃、でしたが、僕を殺すには至り、ませんでしたね」
 洗い呼吸と共に、途切れ途切れに皮肉を零しながら、口の端を持ち上げる。アーサーがその様子に僅かに感じたのは違和感だった。
「――アルが、お前に会いたがってる」
「……だからなんですか」
「嘘なんだろ、本当は裏切ったなんて」
 その時彼は剣を握り締めると、一気に距離を詰め振りかぶった。
「まだ、そんなこと言ってるんですか!」
 大きな金属音、だがすぐに押し負け、蹴りを食らって背を打ち付ける。立ち上がる前に、顔の真横に刃が突き立つ。硬直した彼を見下ろしたアーサーは、剣を引き抜き彼の喉元へ剣を向ける。
「諦めろ」
 刃先を見つめた彼は、咳込み血を吐きながら、アーサーを見て不敵に笑う。
「……それは、こちらの台詞です。聞いて呆れます。あなたも、あの人も、盲目的で馬鹿な人だ」
「その口を閉じろ。右腕を吹き飛ばすぞ」
「……っじゃあ、やればいいっ、うっっああああああ!!」
 容赦なく右腕に剣を突き立てる。神経がすり減るような、肉を切り裂く感触と骨の折れる音。悲痛な叫びを聞きながらも、これでもう抵抗はしないだろうと思っていた。
「もう、これで、!?」
 切り離したはずの右手から黒が伸び、アーサーに襲いかかる。慌てて回避行動をとる。アンリは立ち上がり、震える手で腕を拾うと断面を合わせてくっつける。
 黒の帯がシュルシュルと伸び腕を繋げていく。ピクリと動いた指を見る限り、すぐに元に戻るようだが、その表情は痛みで歪んでいた。
「はあっ、は、まだ、は、終わってない」
「ッ!」
 アンリは何度も向かってきた。その度に避けられ、防がれ、弾き飛ばされるも立ち上がり、剣を向けてくる。
 この時アーサーが僅かに感じ始めたのは怖れだった。だがそれは、己の命の危機ではない。このまま真意を知れないまま、本当に死んでしまうのではないのだろうかという懸念であった。
「俺のことよりもな、あいつが不幸になるのはもう御免だ。だから、騙して、裏切って、何度も泣かせたお前は許せない。俺がどれほど悔しかったことか!あいつを幸せにできるのは俺だけだって、思った!」
 向かってきたアンリを吹き飛ばす。
「――でも、なんでそんなになってまで俺に向かって来るんだよ。おかしいだろ。勝てないのに、逃げたっていいのに、何故死ににくる。痛いだろ、怖いだろ?なんでお前はそこまでするんだよ!死んじまうだろ!?」
「はあ、なんで、でしたっけ」
 息を切らしながらぼんやり答えた。
「とにかく、あなたは僕を、倒す。裏切ったなんておかしいこと、言います。僕がいつ仲間だって言いました?」
 そう言い嘲笑を浮かべた。アーサーの感じた違和感は強くなっていく。
「お前、言ってることおかしいぞ」
「おかしいのはあなたもだ。――憎む人が死ぬことに、どうして、そんな感情を、抱く」
 アンリはゆっくりと右手を広げる。アーサーは首を振る。
「いや、おかしい。……だって、お前、さっきからずっと、……嘘ついてる時の顔だ」
 剣の形を形成しようとするも、黒はぼたぼたと落ち、赤と混ざり足元を染める。アーサーは知っていた、ティテラニヴァーチェは血の武器、連続して何度も使うことはできないと。
「もうやめろ、やめろ、」
 氷を飛ばし、足を攻撃する。バランスの取れなくなった体は地に膝を付く。氷は地面と脚に広がり、完全に身動きが取れなくなった。さすがに血が少なくなり動けなくなった彼は、頭を垂れた。

 薄暗かった筈が、いつの間にか明るくなっていた。明星は近い。
 風の音と衣擦れ音。浅く、荒い呼吸音だけが聞こえる。咳をし血反吐を吐いたアーサーは、跪いたアンリに剣を向けながら静寂を破る。
「下手くそが、慣れない嘘はもういいだろ。……もう一度聞く。お前、なんでいなくなった、なんで本当のことを何も話してくれない。あいつが、どんな気持ちでお前を待っているのか知ってんのか」
 彼は虚ろな瞳で俯いたまま、暫くして口を開く。
「僕が、どんな気持ちで、去らざるを得なかったか……分かりますか」
 アーサーはハッとした。
「あの人の気持ちは分かってる」
「だったら!」
「だからこそできないんです!あの人の気持ちも、僕の気持ちだって、素直になるわけにはいかない。だって僕は――」
 登りつつあった朝日が彼の瞳を照らした。薄い虹彩が透けて金色に見えた。
「もうすぐ死ぬんだから」
「……!」
 一瞬何を言っているのかアーサーには分からなかった。想像していた、理解できる範囲を超えた答えだったのだ。
 アンリは咳き込んだ。それでも喋るのをやめなかった。
「だから、アルさんを幸せに、できるのは、僕じゃない……。アーサーさん、だけです」
「ふざけるな!」
 思わず叫ぶ。やり場のない怒りをぶつけようにも、目の前の彼は小さく、儚かった。囁くような声で、俯いたまま零す。
「あなたもだ。僕のことなんか、憎んで、いつか、記憶から消してしまえば、良かったんだ……。なのに、あなたはやっぱり、アーサーさん、だった」
「ふざけるな、よ……」
 力が抜け、そのまま膝から崩れ落ちた。
「何なんだよ……それ……」
 いなくなってしまうと分かっているから、悪役を演じ憎まれることを選んだ。理解などされなくていいと。大切に思う程、いっそのこと嫌われた方がましだと。
 しかし矛盾していた。アーサーがずっとアンリのことを信じていた理由の一つ、それは、わざわざエクソシスト章をアルモニカに預けたことにあった。……別れを告げた。だが、まるで追ってきてくれと言わんばかりに。
「そう、僕は、心做しか……期待、してたんですね。……ありがとう――」
 ようやく顔を上げ、そう僅かに微笑むと、彼はどっと地に伏した。
 その時、上から何かが降り立った。それは、戦いが始まる前に戦闘に参加しない意思を見せた悪魔の少女、リィンリィンであった。彼女は、すっかり気を失ったアンリに駆け寄り身を抱き寄せ脇腹を押さえると、振り返りじっとアーサーを見つめた。まだ闘うと言うのなら、自分が殺すと言っているようだった。アーサーは首を横に振る。
「……もう死ぬなんて言っていましたけど、リィンリィンは諦めませんわ。彼は死なせない。だから、任せて」
 そう言うと彼女は、アンリを抱えて立ち去った。
 完全に燃え尽きたアーサーは、一人座り込む。
「あいつを幸せにできるのはお前だけだよ……。俺じゃだめなんだ……なのに」

 遺跡を覆っていた氷の大半は太陽の陽射しに照らされ溶けて、水溜りとなった。残った氷も朝日を反射してキラキラと輝く。虚ろな心に反してその景色は、皮肉なほど美しかった。



 茫然自失で座り込む。段々と高くなった日は、もうすぐ頂点に達しようとしていた。怪我の治りが人より早いとは言え一応応急処置はしたものの、暫く動く気力が無く、この頬を撫でる生暖かい風と怪我のせいか少し眠ってしまいそうだった。しかしその微睡む意識は、突然感じた人の気配に一気に覚醒する。
「あれー?あんた一人?」
「お、お前は!」
 広場の階段を登り姿を現したのは、赤い教団の制服に身を包んだ少女。金のフワフワとした髪に、大きなエメラルドの瞳を瞬かせる。彼女は疲れたアーサーの顔を覗き込み、無邪気に問いかける。
「ミクスちゃんだよ!ねえあんた一人なの?」
「なんでお前がここにいる。何しに来」
「あたし今質問してるんだけどー!あんたイライラする!」
「う、悪い……」
 くるくると表情を変えるミクス。アーサーは完全にミクスのペースに飲まれていた。
「で?あんた一人?」
「ああ、俺は負けたんだ……」
「じゃあいたんだね!近くにいるんだね!」
 彼女は嬉しそうに跳ねながら辺りを見回した。
「お前はあいつを追いかけてるのか?」
「ん?まあね!」
「あいつのこと、何か知ってるのか」
「うーん。そうだなあ……」
 少し寂しそうに微笑んだその表情は見覚えがあった。金色の髪も、この世界では珍しい緑の瞳も。アーサーはあることを思い出す。初めて会った時に気付いたのに、言及し損ねていたことを。
「そうだ、お前って――」
「あー!もう!ここにいないなら帰ろうかなー。これ以上長居すると帰れなくなっちゃうし?」
「おい聞けって!」
 全く聞く耳を持たず、彼女は駆け出しふと振り、意地悪な笑みを浮かべた。
「ふふん?じゃあね。今度会った時は切りつけるから」
 唖然としたアーサーを一人残し、彼女は嵐のように去っていった。
「ったく……あの兄弟はみんな人の話を聞かねえのかよ……」


◆◇◆◇◆


 地下通路。それは昔、弾圧された宗教徒達が隠れて礼拝をする為のカタコンベが原型となり、今では西方悪魔集団がそれを拡張して使っている、縦横無尽に張り巡らされた通路や部屋。リィンリィンはその入口と出口、そして近頃の悪魔達が使用していない末端に至るまで全てを把握していた。
 その一室に彼女は逃げ込んだ。



 目眩と痛みと、そこから来る熱と眠気に彼は微睡んでいた。朦朧とした意識の中で、彼がふと零した人の名を聞き、傍にいた少女は少し悲しそうな顔をした。
 顔を寄せ、痛むかと問うと、熱に浮かされた彼は、彼女とは違う人の名を呼び頬に手を当てた。魔が差した。そんな言い訳をする間もなく、彼女はそのまま吸い寄せられるように、そっと唇に触れる。それは血の味がしたという。
 顔を離して彼を見ると、彼は眠りに落ちていた。

 毛布の傍に腰を下ろす。
 自分を見てくれなくても構わない。包帯に包まれた手をそっと握り、一人で泣いた。







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