1話「少年と忌み子」




――ようこそいらっしゃい、私の愛するアリア=レコードへ。

髪も目も真っ白な女性が優しく微笑む。周りには天まで届くような本の山。……天井は見受けられない。

――私はエメラリーン。ここでアリア=レコードの管理をしています。

ぱたりと、開いていた本を閉じて白い女性、エメラリーンはゆっくりとした動作でその分厚い本を膝に置く。白く長い髪が揺れる。

――時が来るまで、相応しい時が来るまで。私はここにずっといましょう。……ここの本全てを開くには、まだ時間が来ていません。

それではまたいつか――


【魔女と少女の回想】

 この世界には悪魔がいるの。信じられない?そうね、でもホント。その悪魔っていうのはきっと、あなたの思ってる悪魔とは違うんだけれど。

 ……光があれば影がある。悪魔を影に例えるなら、光は人間。教団。影を払う力を持った、エクソシスト。
 

img              ◆◇◆◇◆

「聞いた?また森の魔女の仕業?」
「あそこに子供二人だけで暮らしてる家があるでしょう?そこの女の子、魔女と繋がってるって聞いたわ。怖い怖い」
 ある小さな村。その住人の数人の女性達が、井戸の近くに立って話をしている。聞く限り、森の魔女と繋がりのあると思われている子供の話をしているようだが、信憑性に欠ける内容だ。そんな身勝手なことを二人はそのまま話し続ける。背後から近付いてくる、十歳くらいの女の子に気付かずに。
「それでね奥さん……あら?あ、これは失礼……」
 そそくさと逃げていく女性たちを見ながら女の子、トーレは空のバケツを力なく提げたまま突っ立っていたが、やがてはっと気付いたように水を汲み始めた。
「さー早くお兄ちゃんのとこに届けないと!今日のご飯はシチューかなー」
 さっきの出来事は嘘のように、トーレは歩く。自らを魔女の手先だと身勝手に噂されても彼女は笑顔を作る。しかし心中は穏やかではないだろう。それでもトーレは笑う。両親が死んでからというもの、彼女には妙な笑みがこびり付いてる様にも見える。
 鼻歌混じりに家の脇を通り過ぎようとしたが何か異変に気付き立ち止まる。
 そこには人が倒れていた。
 思わずバケツを手から落としてしまう。ばしゃりと地面に水をぶちまけるも、彼女にはそんなこと気にならない。
―大変……!人が死んでる人が死んでる!!
 まさか自分の家の裏でだなんて。パニック状態のまま叫ぶ。
「いやああああ!!お兄ちゃあん!誰か死んでる!!」
 い、生きてますー……と力無い声がその後に上がった。

             ◆◇◆◇◆

「さっきは本当にありがとうございました、あのままだったら死んでました。僕はアンリ・クリューゼルと申します」
「まあうちの家の裏で死んでもらっても困るしな」
 トーレの家の中、さっきまで倒れていた少年が、……15くらいであろうか、薄い金髪に珍しい緑眼が良く映える少年、アンリは、爽やかな笑顔を向ける。しかしトーレの兄イサアクはそんな行き倒れの少年に一応水と食べ物を与えるも、訝しげに彼のことを見ていた。
「で、なんで俺達の家の裏に倒れてたんだ?」
「実は王都のメインライアにちょっと用がありまして。そこに向かう途中だったんですが、道中迷ってしまって……よく憶えてないんですけど、空腹でここで倒れてしまったみたいですね」
「いや、みたいですねじゃねえよ!」
 イサアクは声を荒げる。そしてキョトンとしたアンリに続ける。
「お前怪しすぎるだろ……大体なんで王都に行くのに迷うんだよ」
 確かにメインライアには、鉄道も通っており多くの交通手段があったはず。わざわざこんな小さな村を通る必要などないのだ。
「お兄さんまだシチューあるよ」
「ありがとうございます。すごく美味しいです!」
 明らかに怪しい。そんな奴を家に入れてしまっ……というかなんだこいつよく食うな。ちょっと待て鍋無くなるおいトーレ甘やかすな!
 はあ。とイサアクは頭を抱え込み溜息をつく。目の前には空になった自分たちの昼食。トーレを見やると、彼女は自分のお昼が無くなったのにも関わらず楽しそうにしている。なぜかいつもの妙な、無理して作った笑顔ではない。
 トーレは最近、兄の前では明るく振る舞っているがどこか暗いところがあった。トーレが心から笑っている。たった一人の家族である可愛い妹を持つ兄にとってそれはかなり嬉しい事だった。そんな、トーレを明るくしてくれたこの行き倒れの少年に密かに感謝しつつ立ち上がる。仕事の時間だ。
「じゃあ俺は仕事に行く。何も無い家だ。妹に何もしなかったらある程度自由にしていいからな。……あとトーレ、もし何かあったら刺せ。構うな」
「うん!大丈夫!」
(えっ刺す??)
 何かすごいことが聞こえた気がする……と、アンリが苦笑いのまま呟くも、兄はそのまま家を出て行ってしまった。ちらりとトーレを見ると、彼女は頬杖を突いたまま、お兄さんよく食べるんだねと顔を覗き込む。そうみたいですねと返したと同時に鳴った腹の音に、トーレはにぱっと笑って立ち上がる。
「やっぱりねえ。お兄さん!まだ食べたそうな顔してたから!何か作るね!」
 そう言って奥へ消えたトーレ。本当にお客さんというものは久しぶりだったのだろう。その足取りは軽やかで、鼻歌も聞こえてくる。
 ……ちなみに、再び出てきた時にはなぜか両手に包丁を構えており、アンリが身構えるのは十分後のこと。

             ◆◇◆◇◆

 林床を薄暗くする程茂った木々。黒い森という名がぴったりなその森には、何故か生き物の気配が感じられない。
 そこを行く二つの人影があった。一方は大きな剣を背負っているのが目立つ。二人とも黒と白を基調とした制服に身を包んでいる。教団だ。胸元にある緑を見るに、俗に言うエクソシストであると分かる。
 その内の女の方が、地図をひっくり返したりしながら考え込んでいる。まだ一六,七くらいだろう、女というより少女というのが相応しい。後ろでまとめられたブラウンの髪をなびかせ、透き通るような青い瞳は地図を追い、右へ左へと揺れている。彼女はしばらく考え込んでいたが、うーんと唸って地図を下ろし、右側を歩く青年に顔も向けずに声を掛ける。
「ねえアーサー、こっちで合ってると思う?」
 青年、アーサーは、は?と言いたげにアッシュグレイの目を見開き、―と言っても眼帯で左目しか見えないが―口をぽかんと開ける。
「いや、地図もってたのお前だ、ろっ!?」
 突如少女の蹴りが入るも、アーサーの方は少し予想できていたようで、腕で防御の姿勢を取りクリティカルヒットは免れたようだ。少女は頬を膨らませ、地図をアーサーに押し付ける。アーサーは地図を畳みつつ、蹴りはないだろ蹴りは……とぼそぼそと文句を言っているが。
「……まあどっちに向かってるでもないからいいんだけどね」
 今回の二人の任務は、五年間消息を絶っているローセッタ・ノースという人物を見つけて本部に連れ帰すことである。彼女は元々教団のエクソシストでかなり上の地位にいた人間だったが、任務のたびに離れがちになっていく中姿を消してしまい、それ以来確認されていなかった。しかしそんな彼女がこの黒の森にいるかもしれないという情報が入り、教団が動き始めたというわけだ。
「それにしても。どうしてローセッタ・ノースは教団から姿を消したのかしら。あの人、かなり有名な人でしょう?」
「さあ。詳しくは知らねえんだ。……教団から逃げられないことは一番よく知ってた筈なのにな」
 そうアーサーが答える。しかし最後の方は呟くように。
「?何て言ったの?」
「いや、別に何でもねえよ。それよりアル、やっぱりレーダーは利かないか」
「そうね。さっきから見てるけどだめみたい」
 意図的に話を逸らすようなアーサーの質問にも、アルと呼ばれた少女、アルモニカは、気に留めずに続ける。
「この森は暗黒地帯だからレーダーは使えないって分かってたけど、ほんと不便ね。”穴”も見つからないわ」
 暗黒地帯とは暗黒点とも呼ばれており、ある特殊な空間のことを指す。何故だか理由ははっきりしないが、電波が入らない、機械類が使い物にならなくなるなど、進む技術革新を妨げる最大の要因である。穴というのはその言葉通り、暗黒地帯の中にありながら、”暗黒”ではない部分のことを指す。暗黒地帯に使い物にならないはずの機械を持ち込むのは、その穴を探し出す為である。暗黒地帯の管理も教団が行っており、そのような些細なことも記録していくのである。
 当てもなく歩き続ける中、ふとアルモニカは何かを感じ取ったようにある方角に顔を向けた。あまりに突然なことで、隣のアーサーも驚く。彼女は目を瞬かせながら、アーサーにとって驚くべきことを告げる。
「悪魔がいる。あと、他にも何か。変な感じがする」
「おいどういうことだ?」
「行かなきゃ」
「あ?ちょっ……アル!」
 すごい速さで駆けていくアルモニカ。アーサーは、これまで見たことのないアルモニカの行動に正直面食らっていた。アルモニカは速い。青い光を放ちながら駆けるその姿は黒々しい森には目立つほどに。それでも、走っていく彼女をそのままにはできないと、青年は必死に追った。

             ◆◇◆◇◆

「あのね、お兄さん。お兄さんが今日、うちに来てくれてホントに嬉しいんだよ」
 数刻前、包丁の誤解を解いたトーレは、嬉しそうに両肘をついてアンリに笑いかける。……どうやら彼女は、料理といえば包丁を両手に構えてしまうようだ。料理を作ると張り切ったは良いが、実は料理がそこまで上手くなくて助けを求めた為あのような状況になったようだ。しかも『お客さんが来たことがあまりに嬉しくて』そうしてしまったなんて。トーレにとってとても嬉しい事だったのだ。
「お兄さんは何処から来たの?旅してるとしか聞いてなかったよ」
 トーレが何となく尋ねる。アンリはうーんと首を傾け色素の薄い髪を揺らした。
「何処から。というのはちょっと説明しづらいですね。僕は昔、先生と一緒に各地を回っていたので」
「先生?」
「はい。先生です。僕に色んなことを……生き方を教えてくれた恩師です」
 アンリの碧の瞳が揺れる。今までとは少し違う表情に、トーレは何か引っかかる。
「でも実は――
「悪魔が!!悪魔が村に!!悪魔が向かってくるぞ!!」
「!?」
 突如外で上がったのはある村人の声。トーレは思わず立ち上がる。その顔は真っ白だ。
 外では村人達が、家の中に隠れようと、騒ぐ悲鳴が聞こえる。どうやら誰も悪魔に対抗するすべを持たず、逃げ隠れるばかりのようだ。バタンバタンと扉が締まる音がする。
 震え、思わずアンリに抱きついた少女に、彼は優しく笑いかける。
「大丈夫ですよトーレ。ここに隠れていてください」
 そして彼はペリドットの様に光る瞳を細めて薄い笑みを作る。
「僕が倒してあげますから」



 悪魔。それは稀有なものに感じるだろう。しかし実際のところ悪魔とは、人々が信じて恐れているそれとは少し違う。人ならざるものにして、人を脅かす悪。それが悪魔。
 村を襲った悪魔の数は三体。かろうじて人の姿を成しているという言葉がぴったりなそれは黒くおどろおどろしい。なるほど悪魔と呼ばれるに相応しい。爛々と金に光る大きな目。大きく湾曲した背骨。折れてしまいそうな程細く飛び出た腕。どこを取っても形容し難い。
 アンリが悪魔を見たのは初めてではなかった。だから、村を襲ったこの悪魔を格別恐れなかったのだろうか。彼の表情は変わらない。そのまま悪魔の方へ向かって行く。
 しかしどうやって悪魔に対抗するというのだろうか。見たところ、アンリが武器を持っているようには見受けられない。ましてや、素手で戦えるほど彼は強そうではない。どちらかと言うと華奢である。
 悪魔の一匹がアンリに気付き、気味の悪い叫び声にも似た声を上げながら走り近づいてくる。アンリは立ち止まり、すと何もない右腕を真横に上げる。

「さあ、始めましょう。ティテラニヴァーチェ――」

 その瞬間、彼の右の袖の中から黒い何かが飛び出し一瞬にして真っ黒な剣を形作る。それとほぼ同時に飛びかかった悪魔を剣で受け止め、そのまま吹き飛ばす。
 吹き飛んだ悪魔は、ギギイと妙な音を上げながら体制を立て直し、また襲ってきたが、アンリも走りそれを迎え撃ち、ざばりと斬り捨ててしまった。そのまま背後から来た別の影を下から上に二分する。その時悪魔から飛び出した赤をまともに被ってしまうも、アンリはさして気にしない。
 ぼとりと悪魔だったものが落ちる。悪魔といえど、体を半分にされてはさすがにどうにもならないようで、そのまま動かなくなった。
 先ほどは抽象的なことを言ったが、彼らの言う悪魔とはなんでもない。誰にでも見え、実体はこの世に存在する。力があれば、切り捨てることも容易い。
 あと一匹。悪魔の気配がして振り返る。その目が家屋に手を伸ばそうとしている悪魔を捉えた。
「させませんよ!……ティテラ!」
 振りかぶった時には、剣であったはずの彼の黒い武器は鞭に変わっており、伸ばした腕と同時に悪魔の方へと伸びる。そのまま巻き付き、建物から引きはがす。変幻自在なその黒は、瞬時に剣へと再び形を変え上方へ吹き飛ばした悪魔を切り裂く。地に落ちた悪魔は炭のようになり、灰となって消えてしまった。彼はほとんど息を上げることなく村を襲った悪魔たちを倒してしまったのだ。

「お、お兄さん!」
 静かになった外を見に、トーレが顔を出す。ティテラニヴァーチェを右腕に収めていたアンリは、ふと顔を上げ少し強い口調で彼女に言う。
「危ないですよ、近付いてはいけません」
 アンリの忠告を聞かず、トーレが駆け寄ってきた。しかしアンリを見てぎょっとする。
「血が……!お兄さん怪我してる!」
 この時本人もあまり気付いていなかったが、彼の白い肌は赤黒い血とのどぎついコントラストで彩られていた。血相を変えたトーレに対し、アンリは格別焦る様子も無く左手の甲で少し血を拭った。
「これは全部悪魔の血なので大丈夫です」
 しゅううと音を立てて頬と手の甲から煙のようなものが立ち上る。初めて見た光景に、トーレは目を大きく見開き、思わず手を伸ばす。しかしアンリに、普通の人が触れると何が起こるか分からないから。と言われ手を引っ込める。……普通の人が触れてはいけないのなら、彼は普通ではないのだろうか。
 ここで、トーレは純粋に思ったことを口にした。
「お兄さん、無傷で悪魔倒したの?どうやって……?もしかして―」
「エクソシスト」
 突然、いつの間にいたのだろうか、後ろに立っていた老人が声を上げる。
「奴はエクソシストじゃ」
「お兄さん……?」
 トーレがアンリの顔を見る。しかし彼の表情がよく分からない。
「エクソシスト……!なんでエクソシストなんかがここにいる?」
「こんな奴を村に入れたから悪魔が来たんじゃないか?」
 いつの間にか二人は、家から出てきた村人達に囲まれていた。彼らは各々に呪言を吐いていく。
「エクソシストなんて追い出せ」
「あのエクソシストだ」
「汚らわしい」
「魔女の子が匿ってたんだろう」
「いつでも禍はこいつだ」
「追い出せ。追い出せ」
 トーレは何か言いたげに、下を向いたまま拳を握り締めていた。可哀想なほど真っ白に。
 不意に輪の中から石が投げられた。俯いたトーレに直撃しそうだった石は、彼女を傷付けることは無かった。隣にいたアンリが間に入り、彼女の代わりに当たったのだ。
「お、お兄さん」
 一つ飛んだ石を皮切りに、一人また一人と石を投げ始める。しかしトーレは全く当たることはなかった。アンリが彼女に覆い被さるようにして守ったからだ。トーレは目を見開く。
 住民達は、彼がずっと黙っているのをどう思ったのか知らないが、数の上で一方的に有利に立っていると思っていた。……彼は一人で、しかも短時間のうちに、自分達が恐れていた悪魔を倒してしまったというのに。集団心理というのは実に具合の悪いものである。
「いい加減にしてくださいよ」
 そう。
「気は済みましたか。何があったのか知りませんが、適当なことを言って小さな女の子を憎しみの捌け口にするのはどうかと思いますよ。一般的に」
 顔をあげた少年は、少し長めの前髪越しに彼らを見つめた。それは怒りをたたえたものではなく、ただそこにあったのは呆れにも似た無感情だった。
 ようやく気が付いたのか、さっと目を逸らし後ずさる者もいた。やがて何かぶつぶつ言いながら散っていく。そして誰も近寄らなくなってしまった。

 そっとトーレを離し彼女の顔を伺うと、彼女は完全に泣いていた。顔を見られたくないのか、そのままアンリに抱きつく。
「お兄さん。痛かった。でしょう?わ、たしの、せいで。お兄さんが」
 絶え絶えに話すトーレ。確かにアンリの額には、少量ではあるが、先程の悪魔の血ではない、本人の血も見えた。しかし、彼にとってそれはどうでもよいことだった。
「大丈夫ですよトーレ。……でも、そろそろ村を出ますね」
 トーレがアンリの顔を見る。
「元はといえば僕が武器を使ったからです。僕がこの村に留まったから。のようですし」
 トーレは少し悲しげにアンリの顔を見つめていたが、「そっか」と言ってアンリから離れる。ぐしゃりと雑に涙を拭いて、彼女はよく見せる笑顔を作る。
「お兄さん、あのね。私お兄さんに会えてよかった。お兄さんとてもいい人だから」
 トーレがくるりと背を向ける。夕焼けが小さな背を照らす。
「あのね、あのね、お願いがあるの。お兄さんにしか頼めないの」
 そう言い真面目な顔で振り返る。

「森の魔女……ローセッタを助けて欲しいの」







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