【教団本部 団長室】
「隊長殿のいらっしゃらない入隊式はやはり物足りないものでした」
団長は表情の伺えないままそう言った。目は厚い前髪の下で、捉えどころが無い。彼に対峙しているベルガモットは、筆と手帳を構えることなく腕を後ろで組んで立っている。返答する必要のあるような会話をするつもりは無いということか。
「そして遠征お疲れ様でした。……帰ってすぐで申し訳ないのですが、仕事が溜まってしまっています。オラルトのコリデラ地区にて子供が行方不明になる事件が多発しており、悪魔絡みではないかという見解です。それからレイズの抵抗が続くエリアD暗黒地帯への加勢。ああ、テトロライアエリアJ地区周辺の巡回もそろそろ行うべきですね」
労わりの言葉などさらりと済ませ、次々と仕事の説明を始める団長。対してただこくりと頷くベルガモット。「幸運を祈ります」そう言った団長に丁寧に頭を下げ、ベルガモットは退出する。
本部の団長室のある階を降りると、久しぶりに顔を見るとある好青年が機嫌よさそうにこちらに向かって歩いてくる。彼の名はジェイル。いつもは南方支部にいる第一テトラールキであるが、今日は用事があってこちらに来ているようだ。
「よおベルガモット。会うのは久しぶりだな。遠征と呼び出しお疲れ」
[労われるようなことはしていない]
「そうかいそうかい。フィルグラードから電話貰った時はなかなか大変そうだったからな。何だ、俺の声が聴きたかっただけか。どうやらお前にとって俺はそんなに大事な存在だったんだな」
[その余計な口を閉じろ]
「へいへい冗談だよ。それにしてもこの後すぐ任務だろ。本部ってのは忙しいんだな。一般隊員が多い分そっちに任せればって思ったんだが」
[そうもいかない。なかなかに対人戦闘で手一杯なんでな。魔女に対する規制がそっちより厳しいからかは知らないが]
「結局は人と戦ってんのか……」
その時、がしりとジェイルの腕を掴む白い手袋。彼が振り向くと、そこには赤いアスタリスクの付いた腕章を着けた、凛とした女性が腕を掴んでいた。
「見つけましたよ隊長。逃げようとしても無駄ですよ」
「ク、クラリネ……。逃げようとしたんじゃなくて迷――」
「迷う訳が無いでしょう。いつもそのようなことを言って。行きますよ。資格称号の更新に来たんでしょう」
そう言いクラリネ一番隊副隊長は、ジェイルを引き摺って連行する。ベルガモット隊長、見苦しいところをお見せしました。それだけ言ってクラリネとジェイルは去って行った。
ジェイルの先程の言葉が頭に残る。そう。我々は悪魔と戦う聖人などではない。そんなことはよく分かっているのだ。
◆◇◆◇◆
【エンジェント・ルーム】
教団ヴァルニア本部のメディカルルームの隣に、エンジェント・ルームと呼ばれる部屋がある。ここはメディカルルームの前主任が開発した特別な部屋である。なんでも、武器の人格を視覚化する空間だという。
次の仕事までに施設を回り切ることを目標にしていたアルモニカがアンリをこのエンジェント・ルームに連れて来た。
「ここはエンジェント・ルーム。ドクターの許可が無いと入れないんだけど、あの人、悪魔の脚に夢中で上の空で許可証の判子付いてたから大丈夫よ」
「具体的にどの辺が大丈夫なんですか……」
そう言えば、とアルモニカは部屋を開ける前に尋ねる。
「アンリって武器、えっと、」
「ティテラニヴァーチェですか?」
「そう。その変な名前の武器。ティテラの声聴いたことある?」
「武器の声なんて聞いたこと無いですが。……そもそも話すんですか?感情はあるような気はしてたんですけど」
「まあ分かるわ」
部屋の中に入る。部屋はソファーとテーブル以外何も無い白い部屋だった。しかし、そのテーブルの上に腰を掛け、足をぶらぶらと揺らす人物がいた。長く一方に垂らした黒い前髪の反対側から見える瞳、そしてその表情はどこか妖艶。黒い服は変わった服で、胸元が開き、短い裾には太腿に大きくスリットが入っている。かなり危なっかしい服装だ。そしてその女性は、誰かと量りかねているアンリに向かって口を開く。
「もう。やっと私のこと見てくれた。私が話し掛けてもぜーんぜん反応してくれないんだもん。前の男の方が良かったって思っちゃってたわ」
「あなたは……もしかして」
黒い女性は立ち上がり、アンリの元へと歩いていき、そっと肩に両手を添える。
「そう。ティテラニヴァーチェよ。他の子に浮気したら絞め殺しちゃうかも」
「ちょっ、ちょっと!」
首へと伸びた白く細長い指を横から払うアルモニカ。ティテラニヴァーチェ本人はそれを見て笑っている。
「やだもう冗談なのに本気にしちゃってえ」
ひらひらと手を顔の前で振り悪戯っぽそうに笑う。すすとアンリに近付いたと思うと、ベッタリとくっついた。
「浮気って武器の話なのにぃ」
「そうじゃなくても。こ、殺すなんてそんなの冗談でも……。アンリも何か言いなさいよ」
「ティテラはきっと、ずっとこんなんですから。姿を見たのは初めてですけど、こんな感じだったような気がします」
「ほーらアンリもこう言ってるー」
「……」
「それにあなた、変な名前とは失礼ね。私はティテラニヴァーチェ。それ以外の何でもないわよ」
「確かに。相変わらず能力の想像し辛い変な名前ね」
「!」
突然に割り込んできた、何処かで聞いたことのある声。「此処にいるわ」と言う方を見れば、天井に足を置き、自然の摂理に反して立っている見覚えのある赤いケープの女。
「ローセッタ……さん」
「アンリ君また会ったわね。少し大きくなったかしら」
にこりと微笑む。あの時黒の森で見たローセッタの歪な痣は消えており、瞳も澄んでいた。昔、先生と訪れ初めて会った時のローセッタとほぼ変わらなかった。
「やっぱりアンリってローセッタと知り合いだったんだ。知らないって、言ってたけど」
「アルさん?」
「へっ?何でもないよ」
呟いたアルモニカの小さな声は聞こえていなかったよう。概ねティテラニヴァーチェがべたべたと絡み付いている腕で耳元が塞がっているせいだと思うのだが。
「分かるわよね。私が此処にいるってことはそういう事なんだけど。全く情けないわね。……あと、すごく気になってる事を聞いてもいいかしら」
ローセッタはアンリの隣のティテラニヴァーチェを指差す。
「あなた、あいつの武器じゃないの」
「前の男はもう気にしてないのよ」
「いやいやいや」
そう言う事じゃなくてと、ローセッタは突っ込みを入れる。
「そこの雅京使いさんも分かってると思うけど、武器の譲渡はそうそう簡単にできるもんじゃない。どうしてアンリ君が持ってるのかってことよ」
急に引き込まれたアルモニカは思わず目を逸らす。ローセッタは雅京の前の使用者のことを知っているのだ。のらりくらりと躱すティテラの代わりにアンリが口を開く。
「貰ったんです」
「貰った?」
「偶然触れた時適合者だと判って、先生が持ってろって言ったんです」
「ははあ……」
呆れたように頭を抱えるローセッタは、目の前に例の先生がどんな風にそれをしたのかまざまざと浮かぶらしい。間を空けて、適当ね、とだけ言った。そうしてティテラニヴァーチェをアンリから引き剥し、耳打ちをする。
「ティテラニヴァーチェ。アンリ君のこと頼むわよ。……喰っちゃわないでね」
「勿論よ。あの男と違って浮気はしないし髪もくれるし」
そう言いにやりと笑ってティテラニヴァーチェは普段のトーンで返す。何のことを話しているのか分かっておらず不思議そうにしている人間の二人を差し置いて、満足そうにローセッタはティテラニヴァーチェから離れる。
エンジェント・ルームの戸が開き、小柄な男性、少年ほどの外見の人物が顔を出した。ドクターだ。確かクルスという名だったか。
「ある班の予約が入ってるの忘れててさ。すぐに出て行ってくれない?」
ローセッタがこの部屋にいたのはそのせいだったのだろう。部屋を出た後アルモニカが溜め息をつく。
「アンリに武器の姿を見せようと思って来たのに、ローセッタがいたなんて」
「人間としては死んでいるのに、また会えるって妙なことですよね」
「死んでない。武器は永遠の時を手に入れた人間だって雅京が言ってた」
ローセッタの事案を見て改めて確信する。魔魂武器は物ではない。人なのだ。こうも身近な人がそうなれば、もう強く認識せざるを得ない。ティテラニヴァーチェも変わった性格をしているが何処か何時かの時代に生きた人だったのだ。また聞いてみてもいいかもしれない。
「そう言えばアルさん。アルさんの雅京は?」
「え、いたじゃない。ローセッタとアンリの武器の存在感が強過ぎて埋もれてたけど、ちゃんといたよ」
傍にいたドクターが興味深そうに会話に割り込んでくる。
「面白いね。エンジェント・ルームに武器によって存在感の違いが出るなんて。フリィベルさんは使用者だったから分かるんだろうけど」
「ただあの二人のアクが強過ぎるだけじゃないかしら」
ドクターはあまり聞いておらず、アルモニカにまた実験させてくれなんて言った。
「にしてもあの部屋凄いでしょう?使用者個人にしか認識できない魔魂武器の人格を複数人にも認識できるようにするって。……あっ僕が開発したんじゃないんだけどさ、これはね――」
「あっアンリ、これ長いやつだよ」
熱く語り始めたドクターから逃げるように立ち去った二人。
今度は雅京を紹介したいなと言ったアルモニカの隣でアンリはある疑問を抱いていた。簡単なことである。何故自分は武器の人格が認識できないか、である。普通はできるようだけれど、アンリにはティテラニヴァーチェは見えないからだ。
「アンリ、気になってることがあるんだけど」
「何ですか?」
「さっき、武器の言ってたこと。ティテラニヴァーチェに髪をあげてるの?」
ぱちくりと目を瞬かせるアンリ。そう言えば、と言うように、顎に手を当てる。
「確かに昔先生に髪を切ってもらってから長さが変わらないような。あげているという認識は無いんですけど……」
「武器が使用者に対価を求めるなんて聞いたことないよ。それに前、武器を取ろうとすると余計に強く巻き付いて取れないって言ってたよね。そんなに負担が掛かるものなの?武器って。ほんとに?」
「確かに時々痛いですが……変ですか?」
「……一概には言えないけど。心配はしてる」
アルモニカの言わんとしていることは分かる。妙だと言いたいのだ。そしてアンリのことを心配してくれているのだ。
「その“先生”からは何か言われたの?貰ったんでしょう?」
「いいえ何も。……アルさん?」
じっとアンリの顔を見つめていたが、「何でもない」と顔を逸らす。
その時機械音が鳴る。アルモニカの持っている通信器の呼び出し音だ。それを確認すると、アルモニカは立ち止まり第二棟への渡り廊下の方を向く。
「じゃあ私こっちだから。また後で」
「はい」
「あ、あとね、」
「作り笑い。辞めた方がいいよ」
それだけ言ってアルモニカは行ってしまった。
作り笑い。実は前から、特に昨日アーサーにも言われていた。「作り笑いをやめろ」と。そして次の日に「もっと笑え」と。アンリは彼の真意がまだ今ひとつ分かっていなかった。
自分は他人、真っ当な人間とは少しずれていることに気付いていた。それも昔の記憶が無いことが関係しているのかどうかは定かではない。けれどもそのことはアーサーにもアルモニカにも見透かされている。妙な心地がした。
二年程前に別離した、彼が先生と呼ぶ人物の言葉が思い出された。出会ってすぐくらいの頃に言われた言葉だ。
「お前は変わってる。だから人と同じようにする必要がある。同じようってのはそつなく生きたりすることだ。分かるか」
「……?」
「お前の場合、その無表情を何とかすること。それから危機認識。どっちもできるようにしてやるつもりだ。楽しくなくても笑うとか、怖くなくても逃げること。分かるか」
「……はい」
アンリの人格構成は記憶が無い分ほぼ全てと言っていいくらい、先生の影響を強く受けていた。
我なんて分からない。元々無いのかもしれない。きっとこんなふうだから武器の声も聞こえないのだ。
右腕に収まったティテラニヴァーチェがぎゅっと強く巻き付いてきた気がした。
◆◇◆◇◆
【オラルトへの列車】
フレッドは独りで個室に座っていた。
先程班長から特に詳しく任務内容を聞いたところだ。サクヤクラスタのレインは、メリゼル班長の口からロヴェルソン副隊長の名前が出た途端にプッと鼻血を出して倒れた。
全く。段々と気持ち悪く思えて来た。そんなレインを班長が医師の元まで連れて行った所だ。
それにしても、あいつは一体どうなっているのだろうか。このようなストーカー行為はいつものことだが、ここまでだと任務に支障が出るのではないのだろうか。スヴェーアの際はベルガモット隊長の存在にしょぼくれていたようだけれど。
その時突然ノック音と共に例のロヴェルソンの声が聞こえた。どうぞと言うと戸が開く。
現れたのは、東方の和国の血を感じる黒髪黒目の女性、サクヤ・ロヴェルソン。相変わらずきりっとした綺麗な顔である。しかし特に今日はある点で変わっていた。彼女の肩に、赤い髪をした布製の可愛い女の子の人形が乗っているのだ。その対比が凄まじい。あれっ、元々乗ってたっけ?そんな気がしてきた。
「?メリゼル班長はここにはいないのか?」
「ちょっと出ています。すぐに戻ってくると思いますよ。ここで待っていたらどうですか?」
「……では、そうさせてもらう」
彼女はいつも強めの受け答えをする。何と言うか、かっこいいのだ。その分やはり可愛らしいロリータ人形が気になる。
ロヴェルソン副隊長は謎の多い人物だ。両腕が無いにも関わらず、上三級エクソシストとして三番隊の副隊長というポジションにも就いている。鉄の義手を嵌めてはいるものの、まるでそれはただのハリボテのようにも見えるのだ。聞く所によると、武器の使用の認められていない本部ではその義手は動かないそう。今は動いているが。普段はむしろ両袖は動く度にはためくことが多い。代わりに二つに結った長い髪が、まるで両腕の代わりというように自由に動いているところを見ると、訳が分からな過ぎてもうどうでもよくなる。エクソシストってすごいね。
そんなこんなでフレッドが一人悶々と考えていると、サクヤが口を開く。
「なあ、聞いてもいいか?」
「はい?」
突然の質問。
「急に素っ頓狂なことを言ってすまない。……思ったんだが、彼は何故こんな私に構ってくれるのだろう。セヴェンリー下級官だけではない。三番隊のメンバーも同様だ。全くの他人であるのに何故……。私にはそれが分からない」
そう言って俯いた。その表情は、悲しみでもなく自己嫌悪でもなく、ただ困った、という感じだった。
「何となく、じゃないですか?」
「?」
「人って、利益を得るために仲良くしてる訳じゃないですよね。しかも、特にこんな物騒な職業で。……ほら、単純に好きなんじゃないですか?」
当たり前と言えば当たり前。しかし彼女は不思議そうな顔をしたままだった。
――また沈黙になってしまった……
変なことを言い過ぎたかと頭を悩ませる。それに気付いたサクヤは「すまない」とだけ言った。
――それにしても、レインの好意は部下の敬慕と同等に見られてるな。レイン、お前の往く道は険しいぞ……
沈黙が続いている。そんな空気とは裏腹に、肩の人形は笑ったままだった。
止まった列車からオラルト王国の地に降り立ったのは、メルデヴィナ教団中級エクソシストのサクヤ・ロヴェルソン。続いて彼女の部下であるアーサー・エルフォードが降りる。白い息をふっと吐き、かちりと義手を鳴らす。
「フィルグラードから戻ったばかりだというのにまた寒い所ですまないな」
「いえ。これくらいの寒さなら何とか。それに、前回はベルガモット隊長も出払ってしまってましたからね。仕事が溜まるのも伝達が上手くいかなかったのも仕方ないです」
オラルトでの任務内容は、この国の中でも東の暗黒地帯を有するコリデラ地区において起こっている事件の調査である。何件も寄せられた依頼によると、知らない内に人がいなくなってしまうらしい。とりわけ小さな子供が失踪すると言うことだ。農村部では失踪事件として扱われていたようだが、主に暗黒地帯で起こり悪魔との関連性が高いことから、こうして教団に依頼が舞い込んだ。
「あの、いいっすか?」
「なんだ」
アーサーは、ずっと気になっていたことを口にする。
「その人形、どうしたんですか」
「ああ、グレヴォラだな?」
「グレヴォラ……?」
時々サクヤがその言葉を口にしていたことを思い出す。当時アーサーはサクヤが何のことを言っているのかはよく分からなかったが、レイなどに聞くと「グレヴォラはグレヴォラなのです。サクヤの大切なのですよ」と返された。
サクヤは肩の人形を下ろしてよく見せるよう持つ。
「ドクターにお願いしていた品がやっとできあがったんだ。火の出力が安定しやすくなる媒体で、グレヴォラと言ってな、魔人が宿ってる。……こんなはずじゃなかったんだが」
「ま、魔人……?――かなり昔に仰ってたの、冗談かと思ってました」
「私が冗談を言うか」
「……そうっすよね」
サクヤは謎の多い人物だ。けれどもそれは、彼女が多くを語らないからであり、周りもまた聞かないからである。
「自分の意志で動く義手はなかなか手に入れられなくてな。これはただの金属の塊なんだが……」
そう言い右手で左の義手を引き抜く。一瞬ぎょっとするものの、案外簡単に外れる。そしてまたそれを戻し、すぐに拳を握ったり開いたりして見せた。
「これはグレヴォラが武器のアレスを介して発現できる能力なんだ。私が魔人と契約して得た能力は髪に意思を宿らせること。これしか武器を使わずに行わずにできることは無いからな」
世の中に不思議なこともあるものだ。“悪魔と戦うエクソシスト”という特殊な職種でありながら、アーサーはそう思った。
「あまり聞いてこないから、知ってるのかと思ってたぞ」
「いえ……聞いちゃいけないのかなあと思っちゃって。あんまり意味は無いですよ」
そうかとサクヤは言ったが、またもや人との隔たりを感じていた。別に少し前まではそんなことは気にならなかったのに。
「とは言っても、自分のことなのにあまり思い出せないんだ。……確かに、妙か?」
「いえ。そういうこともあるんじゃないんすかね」
アーサーは、年下の同僚の顔を思い浮かべながら言う。
「自分のことが分からなくて何だか不思議な奴、他にもいるじゃないですか」
「……ふっ。そうだな」
これは自分にとって一種の成長なのだと思うことにした。あまり気にする必要もない。部下だって、こんなにも優しいのだから。
本来は調査だけなので本部隊五番隊第四班だけでの出発であったが、この前のスヴェーアの件を踏まえた「念には念を。ってやつだろ」と言う班長メリゼルの進言により本部エクソシストの三番隊の人員が割かれることになった。副隊長である上三級エクソシストのサクヤ・ロヴェルソン、そして下級エクソシストのアーサー・エルフォードのたったの二名ではあるが。
「じゃあ会議で説明した通り、事件の多発している中心部まで歩いて行くよ」
メリゼルが指揮する調査班は、暗黒地帯の内部の深い森の中を歩いていく。
その中にある、触れてはいけない物の存在などまだ知る由もない。
閑話「笑顔の話」
「おい、お前その変な顔やめろ」
「は……??」
いきなり何を言い出すのかと思えば。……変な顔なんてしただろうか。
「変な顔なんてしました?」
「それだそれ。その変な笑い方だよ」
……全くもって分からない。すると彼は身を乗り出し、両手を近付けてくる。何をされるのか、ぎゅっと目を閉じると
むにゅ
……口角を持ち上げられたのか。
やめてください。そう言おうとしたが全く言えてなかった。……それにしても。アーサーさんはなぜこんなことをしたんだろう。
「いつも作り笑いしてるよな」
作り笑いとは。
「なんれふか?」
「あはは言えてねえ」
この人はやっと手を離してくれた。あなたがそんなことするから言えないんでしょう。
「この前から思ってたんだが、その作り笑いが気になってたんだ」
だから分かりませんって。じゃあ無理して笑わなければいいんですね?そう言うと、そういうことじゃねえと言われるし、本当にどうしたらいいのか分からない。この人は一体何が言いたいのか。
次の日。書類仕事をしていると、アーサーさんはまたやってきた。
「お前もっと笑え」
「……は……?」
思わず声が出てしまう。この前笑うなと言ったのはあなたですよね。
「無理です」
「何でだ」
「何もないのに笑えません」
そう何も感じない。普通にしているのだが、僕は無表情なのだろうか。それにしても、未だにこの人が何を考えているか分からない。
「そうか何もない、か」
これでも昔に比べたら豊かな方ですよと言うと、アーサーさんは複雑な顔をした。どうしてそんな顔をする必要が?
「僕は空っぽなんです」
そう。
「僕には昔の記憶が無い」
この名前が僕のものであるかさえも怪しい。それ程に危うい生。思うに僕にはきっと、生きているという感覚が無いのだろう。
これは自分を客観的に見てそう思っただけであって、実際どうなのかは良く分からないけれど。
自分の事なんて、分からない。
突然頭に何かを感じた。アーサーさんの腕が見える。どうやら頭を撫でられている?
「アーサーさん?」
「言うな」
え?
「空っぽなんて言うな」
表情がよく見えない。……もしかして怒っているのかな。ホントに分からない人だ。
「さっきから命令されてばっかりですね」
「うるせえ、お前がそんなんだからだ」
それだけ言って彼は部屋を出ていってしまった。
結局アーサーさんが何をしたかったのか分からなかった。
自分はおかしい。
そう何となく気付いてはいたけれど。それがアーサーさんのしたいことが分からなかった原因であったり、怒らせる原因なのだ。そう思う。
だけど、仕方ないですよね。アーサーさん。
あなたの考えてること、分かるようになりたい気もするけれど。