後日談Ⅰ「女王の手紙」
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 その日のことを、覚えている者も、覚えていない者もいるだろう。
 けれど、テトロライアに暮らすヴァルドの民にとって、新女王戴冠の日は、忘れられない日となった。

「わたくしには夢がございます。一つは、未来永劫の平和を希求すること。その為に、わたくし達ヴァルドの民は、成さねばならない使命が、受け入れ乗り越えなければならない過去がございます」

 テトロライア元国王の突然の崩御により、悲しみと自粛ムードに包まれたテトロライアは、後日行われた新女王の即位により活気を取り戻した。しかしその日、新女王の出したスピーチにより、国民はかつてないほどどよめいた。

「テトロライアは今日を以て、鎖国を撤廃します」

 緩やかな文化規制、東大陸の真ん中に位置しているというのに一つしかない駅、国境の壁。その全ては、テトロライアという国の誇りと伝統を失わない為であった。もちろん、教団というグローバルな組織を抱え込んでいた以上、外界との文化そして文明の差に気付いていなかった訳では無いが。

「わたくし達の誇りは、伝統は、外界と交わることで消滅してしまうようなものなのでしょうか?違いますでしょう」

 その言葉を、真摯に聞いた者も、また受け入れられない者もいるだろう。

「ヴァルドの民は、同じ民族であるが故の結束で、今日までテトロライアの発展に寄与してきました。けれど、わたくし達は受け入れなければならないのです。外界を、他の民族を」

 この言葉の意味すること。そのままに受け取る者も多いが、一部はそれに留まらなかった。その一部というのは、準軍事組織であるメルデヴィナが発表した、悪魔及びディアモ・イレイアに関する報告のことが脳裏を過った者である。



◆◇◆◇◆


「親愛なる兄様へ」

 夜の帳が下りた頃。冠もドレスも脱ぎ置いて、一人の女性が筆を取った。

「庭の葉も落ち始め、段々と肌寒くなってまいりましたね。こちらでは豊穣祭が開かれ、連日大賑わいでございます。そちらでも、もうそろそろ祭りの時期ではないでしょうか」

 ちょっと砕けすぎ?彼女は万年筆を唇に当て少し思案したのだが、諦めて続きを書き始めた。

「ひと月ほど前の私のスピーチの話は、お耳に届いておりますでしょうか。
鎖国の撤廃。それが主な私の方針ですが、本当は別の目的があるのです。

私たち、ヴァルドの民も、イーリア人も、同じ時代に生きていた民族と言われています。同じ髪の色をしています。目の色が違うだけです。
この世界の価値、人間の評価基準は目の色でございます。それは果たして、正しいのでしょうか。きっと、私たちが生まれるよりもずっと昔に、私たちが知りえない何かがあったのでしょう。人類の持つ記憶とは根深いものです。私たちには、それを知る術すら無いというのに。
私が今後何をしようと、きっと差別は無くならないでしょう。何十年と時を経ようとも、我々と違いの無くなったイーリア人が、昔は悪魔だったと呼ばれ続けるでしょう。けれどいつかこの過去を、受け入れ乗り越えることができると信じているのです。
大層に聞こえるでしょうか。本当は違うのです。私はただ


 そこまで書いて、フローレンスは不意に手を置いた。

「なんてね、兄様」

 肯定されたいだけ。会いたいだけ。最も尊敬する人物から、褒めて欲しいだけ。


 チェストの引き出しの、上から二番目。そっと手を掛けると、中から何枚か紙が零れ落ちた。彼女はそれを拾い上げる。
 一枚は拙い絵葉書。またもう一つは、ぎっしりと弱音が書かれた手紙。彼女はそれを見てくすりと笑うと、先程の手紙と一緒に引き出しの奥に仕舞い、パタンと閉めた。

「届くわけがないのに」
 そう呟き、照明を消して寝床に入る。
 正面に見えたチェストの上、暗がりの中ぼんやりと見える、幼い少女と少年が写った写真立て。その隣に、額装された記念切手。もう気軽には会えなくなってしまったけれど、こうやって、いつでも思い出せるのだ。

 若くして困難に立ち向かった少女を支えたのは、ある特定の人物に向けて書き続けた手紙だった。そしてこれからも増える。誰にも何処にも届かない、女王の手紙が。




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